2000年11月前半のdiary
■2000.11.2 /
■2000.11.3 /『神住む森の勇者 上』
■2000.11.4 /
■2000.11.5 /『神住む森の勇者 下』/『上と外 1 素晴らしき休日』
■2000.11.6 /『ローランスは猫日和 有閑探偵コラリーとフェリックスの冒険』/『肩胛骨は翼のなごり』
■2000.11.7 /
■2000.11.8 /
■2000.11.9 /『夢の樹が接げたなら』
■2000.11.10 /『マリア様がみてる ウァレンティーヌスの贈り物 前編』
■2000.11.11 /『マリア様がみてる ウァレンティーヌスの贈り物 後編』
■2000.11.12 /『夏至祭 竜の眠る海』
■2000.11.13 /『ブラッドジャケット』
■2000.11.14 /
■2000.11.15 /『マリア様がみてる ロサ・カニーナ』
今野緒雪『マリア様がみてる ロサ・カニーナ』(集英社コバルト文庫.1999.252p.476円+税)読了。シリーズ四冊目。読むのが前後しましたが、『マリア様がみてる ウァレンティーヌスの贈り物 前編』の「前」の本。また何ヶ月も待たされるだろうと思いこんでいたのに、意外にも一週間でつづき…じゃない、まえのが読めたのでうれしい。短編を二編収録。
「ロサ・カニーナ」
生徒会役員選挙のお話。
山百合会って生徒会組織だったんだ。そういえばはるか昔にそんなことを読んだような記憶も。忘れてしまうのは日頃彼女らの呼び名が「ロサ・キネンシス(紅薔薇さま)」だの「ロサ・フェティダ(黄薔薇さま)」だので、「会長」「副会長」「書記」といったことばがまったく登場しないからだと思う。それに誰がなんの役付なのかぜんぜんわからないし。
不思議な雰囲気の蟹名静嬢が魅力的。
「長き夜の」
お正月。いちおうシリーズ通しての語り手、福沢祐巳ちゃんが白薔薇さまに騙されて、「紅薔薇のつぼみ」小笠原祥子お姉さまの豪邸にお泊まりしにいく話。めずらしく男性がふたりも登場。
この話はとてもたのしかった。祐巳ちゃんと、弟だけど年子で早生まれなせいで同学年の祐麒くんのふたりの姉弟コンビがかわいい。
「ウァレンティーヌス」はヴァレンタインの季節が舞台でしたが、今回は暮れから正月にかけて(「長き夜の」)、さらに三学期が始まってからヴァレンタインまで(「ロサ・カニーナ」)、という感じでしょうか。
「サイト制作はなるべくタダでやる」という自分でたてた禁を破って、ついに買ってしまいました。macromedia Fireworks3。web用画像制作に特化したソフトです。
先日、サイト作成ソフトDreamweaverとともにトライアル版を使用して、Dreamweaverはめんどうなと思っただけでしたが、こちらについては「これは便利」ととても感心し、それ以来ずーっと買おうか、どうしようかと悩んでいたのでした。
手始めに、広告バナーのせいですっかりかすんでしまった我がサイトのタイトル画像を作り直してみました。
いろんなことができるのが楽しくて、何度も試しているうちに、これしきの画像をつくるのに半日つぶしてしまいました。おバカです。しかも、できあがりは大したことないし。やはり最後は作り手のセンスによるのだということを、いまさらながらに思い知る秋の夕暮れでありました。
ところで、アクセスカウンタの不具合は、予想したとおり広告に関係していたようです。いま、サーバーの方でメンテナンスをしているらしい。
通院日。
今月は「グイン・サーガ」が出ないので自前で本を用意していった。待合室で、さあ、読みましょうと開いたとたんに名前を呼ばれてしまいました。この間なんか小一時間も待ったのに。そういえばいつもより病院自体に人が少なかった。そのため処方箋薬局も空いていたから、こちらでもゆっくり読書する時間はとれなかった。長い間待たされるのはごめんだけど、ひといき入れる間もないというのも、問題。非常につかれました。
古橋秀之『ブラッドジャケット』(メディアワークス電撃文庫.1997.266p.530円+税)を帰りの電車内で読了。『ブラックロッド』につづく積層都市〈ケイオス・ヘキサ〉を舞台とする魔術的SFの二冊目。
積層都市〈ケイオス・ヘキサ〉はそのとき、未曾有の吸血鬼禍にさらされていた。その原因はロング・ファングと呼ばれる源吸血鬼。奈落墜ちした積層都市から流れ込む難民に紛れてやってきたらしい。
アーヴィング・ナイトウォーカーは屍体蘇生業者につとめる冴えない若者だった。病身の母親を看るために学業をあきらめたかれは、あとから入社してきた同僚にからかわれながら抑圧された日々を送っている。ある日、屍体の持ち物の中に見つけた一丁の拳銃が、かれの運命を大きく変えてゆく。
すみません、うまくあらすじがまとめられません。前作に出てきた伝説のブラッドジャケット、アーヴィング・ナイトウォーカーの真実に迫ります、という感じのプロローグから一転、鈍くさいアーヴィー青年を読ませられると「あれ?」と思います。さらにその後の展開で「?」度はどんどん高まります。きょうは疲労であたまがうまく回転してないせいか、とくにその程度がひどかった。ラストに至って、ようやく疑問は氷解しましたが。
「サイコ」ふうなストーリーでした。そのことと「伝説のブラッドジャケット」とは、結局あんまり関係なかったのが、ちょっと拍子抜け。「サイコ」は嫌いじゃないけど、こういう世界のものでそれを展開されるのは疲れます。というより「サイコ」は疲れてるときに読む本じゃ、ないよということです。元気なときに読んだら、とても楽しめたと思う。だって疲れると思いつつ、最後まで読んでるもの、車中で。
ところで、きょう購入したのは、水樹和佳子『イティハーサ 7』(ハヤカワ文庫JA)。完結編です。これは家に帰ってから読みました。そうしてよかったと思います。これを車内で読んだらとんだことになってた。ラスト近くで涙がじわじわきて、自分でびっくり。本を読みながら泣くなんて、何年ぶりのことでしょう。
友人に借りながら読んでた『イティハーサ』ですが、最近あまり会えなくなって、必然的につづきが読めなくなってました。本屋でも売っていないし、なかなか買えずにいるうちに時間もたって、はじめから読まなければわからないというところまで来ていたので、文庫化は渡りに船だった。ひと月に一冊ずつ、間をおかずに読んでさいごまでやってきて、いま、しあわせな余韻にひたってます。
この物語をかたることばを私は見つけられませんので、感想は書きません。
タダにはそれに見合う苦労がある。
きょう、日記をアップして確認のためこのサイトにアクセスしたらば、アクセスカウンターが表示されなくなっておりました。それよりも広告の表示方法が変わったことの方がショック大きいはずなんだけど、カウンタを表示するためにいろいろとやってみて駄目だったので、その徒労感が感想の比率を下げてしまったもよう。
広告表示の方法というのは、いままで別ウィンドウが強制的に開かれるポップアップ方式だったものが、ごらんのように画面の上下に大きなバナー広告が表示される形式になったのですね。
ホップアップ方式はメモリをいきなり消費するので、好きかと聞かれれば嫌いと答えますが、デザイン的にはバナーよりマシ。とつぜん自分のサイトの見ためが変化しているのを見て、驚かない人がいるでしょうか。でもタダなので文句は言えませんわ。
しかし、つい昨日まで動いていたカウンタが動作しないというのは、どういうわけなんでしょう。パーミッションをいろいろいじってみたけど効果がないので、サポート掲示板にいってみたらおなじような苦情がけっこう来てました。なんだ私だけじゃなかったのね。
カウンタだけじゃなくてCGI全般にわたっていろいろあったようで、どうやら原因は広告表示方法の変更にあるような。ここの掲示板はいまのところちゃんと動いてますが。これだけ苦情があればなにか対策が講じられるだろうと、しばらく様子を見てみることにします。
思いついてネスケでサイトにアクセスしてみたら、ちゃんとカウンタが表示されました。これってどういうこと? IEだと相変わらずなんですが。
金蓮花『夏至祭 竜の眠る海』(集英社コバルト文庫.2000.238p.476円+税)読了。
貿易と外交、そして海軍の力により周辺に多大な影響力を持つ島国オディロカナ王国の王子リューイと、《暁の傭兵》の異名を持ち王子に剣を捧げたジェイファン・スーンの物語。異世界ファンタジーシリーズの六作目で九冊目。巻数表示はありませんが、しっかりと続き物なので刊行順に読んだ方がいいと思う。
王国で盛大に祝われる夏至祭の夜。王女ノーイの主宰する宴でリューイはイラ王国のスシュン姫の相手を嫌々つとめていた。彼女とはさきにいろいろといきさつがあり、ふたりの間の関係が修復されぬまま、急に彼女がオディロカナを訪れたのである。そこへエシャンテの女王からの伝言をたずさえた吟遊詩人がやってきて、イラ王国にひろく流布する悲歌を披露する。そのときリューイはいつもは余裕たっぷりの暁の傭兵ジェイが動揺していることに気づく。気づいたリューイの目の前からジェイは歩み去った。
シリーズの一作目『竜の眠る海』は、美しい文章による細やかな描写がしっかりとした構成に支えられて結実した、とても好きなファンタジーです。
つぎつぎと出る続編は、あの作品をもう一度という願いをいまだ実現してはいません。「竜の眠る海」という作品は一作で完結していて、そのあとはつけたしというか蛇足というか、なんだかまとまりのなさ加減が増しているという印象があります。
思うに、「リューイとジェイが主役」というしばりが話の焦点をぼやけさせているのではないかと。四作目の『虚飾の檻』は、タニミナを焦点にした話とアサノ様の悲恋話とわけて、別の作品にした方がいいのではと感じたし、今回もジェイファン・スーンの過去を現在とするリューイのいない話にした方がすっきりしたのではと思いました。題名と合わなくなりますけどね。
なにがなんでもリューイを出したい、リューイとジェイファンのからみを書きたいと思うのは自由ですし、ノーイちゃんの愛らしさとかゾーイ・ギースくんの苦悩とか、読んでいる分には楽しいです。だけどそればかりだとねえ。もっと大きな物語の流れの中で、この楽しみを味わいたいと思うのは、欲張りな読者のわがままなのかなあ。
ASAHIパソコン責任編集『パソコンで困ったときに開く本』。こんなものを読む日がやってこようとは。暗中模索でラヴィをいじっていてわからなかったことが、はたはたと鱗のように落ちていくのがちょっと快感。
Winってアプリの割り当てメモリを勝手に増やすことができないんだー。というのがいちばんのショックかな。すると大きなファイルを開こうとした場合、Winが自分でメモリ割り当てを増やしてくれるんでしょうか。そういうところまでは解説されていない初心者向けの入門書。
ちなみにMacの場合はアプリの割り当てメモリをユーザーが変更することができます。ここまで書いてくればわかるか。だから、エディタに30MBとか、そんなにいらないよというような配当も(積んでいるメモリからシステム分を引いた範囲内なら)やろうと思えばできます。おもにグラフィック系のソフトで活躍する機能ですね。ぎりぎりのメモリで動作しているソフトの割り当てを増やすと、劇的に動作が速くなったりします。むかしはメモリが高価だったから、ソフトウェア的にメモリを増やすアプリケーションなどもありました(いまもあるのか)。
今野緒雪『マリア様がみてる ウァレンティーヌスの贈り物 後編』(集英社コバルト文庫.2000.248p.476円+税)読了。
清純派女子校もの。『マリア様がみてる ウァレンティーヌスの贈り物 前編』の続編。短編を三編収録。
このシリーズ、最初の一作以外はぜんぜん男性が登場しないんですよね。(その男性も、普通の存在ではなかったし。)少女たちの浮世離れ加減といい、この話の少女らしさはすこし昔風な気も。ここまでくると幻想小説のような趣を感じます。だから安心して読めるのですが。
ところで、この本を読んでいるときにとても不快な出来事がありました。どうも脈絡が通じない部分があるのでおかしいなと思ったら、ページが切り取られていたのです。二カ所も。
どうやら挿し絵の入ったページを切ったらしいのですが、そんなに欲しいのなら本を買ったらどうだと言いたい。基本的なマナーも守れない人は、図書館を利用する資格はありません。発見したときのイヤな気分といったら。
最近、曇ってばかりです。きょうはとても寒い。そろそろ暖房の季節だな。
今野緒雪『マリア様がみてる ウァレンティーヌスの贈り物 前編』(集英社コバルト文庫.2000.248p.476円+税)読了。由緒正しいカトリック系お嬢様学校、私立リリアン女学園の山百合会を構成する「薔薇さま」たちをめぐる、少女たちの砂糖菓子のような世界を描いたシリーズの五冊目。
先日分の日記にも書きましたが、四冊目の副題「ロサ・カニーナ」をワタクシ、まだ読んでおりません。だからワケわかんないところがけっこうありました。こういうときは推理してみます。前の巻でなにが起きたのか。推理小説のようでそれはそれでおもしろいかも(そうか?)。
この巻は、ヴァレンタインデーのチョコレート贈呈ごっこに関する悲喜こもごものオムニバスを二作収録。後編もこのかたちで行くらしいです。すぐとなりに置いてあるんですけど、まだ読んでません。
今野緒雪の出しているシリーズでは、これがいちばん作者の資質に合っているかなという印象があります。人物設定はけっこうつっこんだとこまでしてあると思うんですが、表に出てくるのはひたすらあまくて明るくて、正しい部分だけ。これだけ悪意の少ないお話も、昨今の現代物ではすくないのでは。
少女たちのこころの機微がこまやかにつたわってくるのが、かつての少女漫画へのノスタルジーをかきたててくれます。上質の砂糖菓子。
森岡浩之『夢の樹が接げたなら』(早川書房.1999.354p.1900円+税)読了。第17回「ハヤカワ・SFコンテスト」入選作を含むSF短編集。八編収録。
スペースオペラ「星界の紋章」でブレイクした森岡浩之の第一作品集。こちらは正統的、真っ正面から「SF」の短編集です。
ひとつひとつの感想を書くと長くなるのでやめときますが、このひとは本当に「ことば」についていろいろ考えているんだなあというのがとても印象に残りました。表題作にはあらたな言語を創作する「言語デザイナー」という職業が出てきたり。「星界」シリーズでも「アーヴ語」をあそこまでしっかりと作りあげてあるのには驚き感心しました。日本語ですらもてあましている人間にとっちゃ、想像の外の世界ですね。しかし、ことばが思考過程をも縛ってしまうというのは、異なる文法体系の言語を学ぶとよくわかります。
色合いの異なる八つの作品は、それぞれ意表をつくSF的なアイデアをもちいてちゃんと読ませるお話になっており、ひさびさにSFとはこういうものでもあったねという感触の残る読後でした。おもしろかった。
また、やってしまった。
図書館で予約してあった、今野緒雪『マリア様がみてる ウァレンティーヌスの贈り物』の前後編二冊を受け取ったその後。蔵書検索をしていて「ウァレンティーヌス」のまえの「ロサ・カニーナ」をまだ読んでいないことに気づいてしまう。がっくし。
どうして予約を入れるときに気づかなかったんでしょうねえ。おなじ検索画面を見ていたはずなのに。ここで年齢を理由にあげるのは、イヤだな。
本屋で「ロサ・カニーナ」を買ってくれば順番通りに読めるのですが、ここまで借りて読んできて一冊だけ買うのも業腹なので、おとなしく(?)借りた順に読むことにします。「ロサ・カニーナ」には予約入れときました。
日米野球をみています。
日本人プレイヤーの下半身のほうが太く見えるのは、アメリカ人プレイヤーの肩幅の広さが関係しているような気がする。
今日は晴れるのではなかったの。どんより曇って、寒いです。
橘香いくの『ローランスは猫日和 有閑探偵コラリーとフェリックスの冒険』(集英社コバルト文庫.2000.306p.533円+税)読了。『革命はお茶会のあとで』のつづきでシリーズの九作目(すみません、前作のとき「七冊目」と書いてしまいましたが、八冊目でした)。異世界ミステリコメディー。
ブローデル王国王太后が、息子であり国王であるテランスの花嫁候補としてコラリーに目をつけた。結婚など眼中にないテランスは、部下のフェリックスを呼びつけてコラリーとすぐに結婚するか、しないまでも王太后の目の届かないところへ連れて行けと命じる。そんななか、私立探偵その実コラリーとフェリックスの使いっ走りであるボナバンが行方不明だというしらせがコラリーの耳に。すぐさま立ち上がるコラリー。ボナバンの事務所は無惨なまでに荒らされていた。
作者は「番外編ではない」とあとがきで書いてますが、やっぱりインターバルのような感じがしてしまうのは、この話を構成している三つのストーリーすべてが前作、前々作からのもちこしであるからでしょう。ひとつひとつはそれほど大きなネタとも思えないのですが、三つを同時進行でからませるのは、けっこう大変だったのでは。でも、新鮮さがすくない分、たのしさは減ってた。
テランスがフェリックスで遊ぶのに夢中になっているうちに自分で掘った墓穴を必死で埋めようとしているようすは、笑えましたが。
次作に期待。
デイヴィッド・アーモンド(山田順子訳)『肩胛骨は翼のなごり』(東京創元社.2000.180p.1450円+税
David Almond "SKELLIG",1998)。現代イギリスを舞台にしたマジックリアリズムファンタジー。
マイケルの家族は父母と生まれてすぐの妹。かれらはアーニー・マイヤーズ老人が死後一週間経ってから発見されるまで住んでいた家を買い取って、引っ越してきた。マイケルはもとの学校にバスで通うことになっていて、いままでどおりの友達づきあいもつづけられるはずだった。かれの生活に影を落としているのは、赤ん坊の妹が命も危ぶまれる病気に罹っていること。まだ手入れの行き届かない新居の庭に建っている、今にも壊れそうなガレージの中で、マイケルは「彼」に出会う。
1998年のウィットブレット賞児童書部門と、イギリス図書館協会の児童文学賞であるカーネギー賞を受賞した作品。
引っ越しや妹の病気、それにともなう保護者の精神的な不安定からゆれうごく少年のリアルな描写と、かれが出会った不思議な存在との現実とも夢ともつかない交流が、違和感なく溶けあってしあわせな物語をつくりあげています。読み終えてなんとなくこころがあたたまるお話。登場人物が少年少女なので児童書と位置づけられているけれど、もっと年をとっている人にも読み応えある本だと思う。
マイケルの隣人で学校教育に異を唱える母親に育てられている少女ミナの、理に勝ったことばと幼さのみえかくれする表情のアンバランスがスパイスになってます。
母親が病院に泊まりこんでいる間の、マイケルと父親の食生活がかなり心配でした。
J.グレゴリイ・キイズ(岩原明子訳)『神住む森の勇者 下』(ハヤカワ文庫FT.1998.410p.740円+税
J.Gregory Keyes "THE BLACKGOD",1997)読了。異世界ファンタジー『神住む森の勇者 上』の続編。
上巻の感想にストーリーを書かなかったのでここで書くわけにもいかないのですが、善悪を超越した神々と人間のかかわりあいと戦いには、めくるめくような思いをさせられました。ヒロインにとってはだれが味方で敵なのか最後までわからない。それは読んでる方にとってもおなじことで、これはストレスが溜まると同時にわくわくもさせられる読書体験でありました。
最後はおさまるべきところにすべてがおさまって、大団円。めでたし、めでたし。
恩田陸『上と外 1 素晴らしき休日』(幻冬舎文庫.2000.160p.419円+税)読了。隔月連続刊行されている全五巻の書き下ろしシリーズの一冊目。
中学生の楢崎練は、両親が離婚していまは祖父母と暮らしている。かれがもとの家族とともに過ごすのは、考古学者の父親が赴任している先へ母と妹とともにでかける夏休みの間だけだ。今年は中央アメリカがその舞台。しかし、今度の旅ははじめから雲行きがあやしかった。
薄い本なんです。スティーヴン・キングの『グリーン・マイル』のように、雑誌みたいな文庫本をめざしているのでしょう。だから、すこし内容に踏み込んだあらすじを書こうとしたら、あっという間に本の終わりまで行ってしまい、あわてて削りました。
ストーリーは進んでいないんですが、内容は濃いです。登場人物に関するいろんなエピソードが、かれらのひととなりを的確に紹介してくれていて、それだけでも読んでいて楽しい。しかし、ストーリーはこれから。なにゆえ、舞台が中央アメリカになったのか、そのあたりの必然性がこれから明らかになると思います。いままでのところ、こんなところでやめるなんて、というラストがとても残酷。後をひきまくりです。
久々に『幻想水滸伝2』(数字はローマ数字だけど機種依存文字なのでアラビア数字で表記してます)をする。けれどストーリーを進めるどころか料理勝負に走ってしまうため、物事がいっこう進まない。
その命をかけた(?)料理勝負の最中に姪がやってきて、少し目をはなしたすきに「前菜・ハンバーグ、メイン・ハンバーグ、デザート・ハンバーグ」というメニューを組まれてしまい、青くなったものの、楽しげにコントローラーをいじっているので覚悟を決めて最後までやらせてみた。
すると、どうしてか勝ってしまった。それまで審査員の好みなどを考慮していろいろとやっていた私の苦労はなんだったのであろうか。姪、二歳。コントローラーで前後左右に移動することもできない、ハンバーグ好き(?)。
戻ってきたPowerBookでメールチェックをしたら、とんでもないことになっていた。ここ二週間というもの、プライベートな連絡用のアドレスしかチェックしていなかったので、メールマガジン用のはほったらかしのままだった。だけど、まさか200通以上のメールが溜まっているとは思いもよりませんでしたよ。ははは(^_^;)。
無料のアドレスなので広告が五分の一くらい混じっているほか、本人が登録したメルマガとメルマガに登録するともれなく送られてくるニュースメール(それも二カ所から)と、登録した覚えもないのに勝手に送られてくるダイレクトメール。それで200通。
ダウンロードするのに15分もかかってしまった。内容選り分けてダウンロードする機能のついてないメーラーを使ってるんで仕方ありません。が、電話料金はかかるし、取捨選択するのに時間はかかるし、参った。メルマガもすこし整理しなくちゃいかんなと反省しました。こんなに溜まると読む気もしない。
J.グレゴリイ・キイズ(岩原明子訳)『神住む森の勇者 上』(ハヤカワ文庫FT.1998.410p.740円+税)読了。異世界ファンタジー。
前作『水の都の王女』を図書館で借りて一晩で読み終え、そのまま続編であるこの本を購入し、すでに二年以上が経過。手元にあることでいつでも読めると安心して放置してしまうらしい。その後読むときに苦労することはわかってるんですが。
前作を読み返そうとしても手元にないから、いろいろと記憶を掘り起こそうとするのですが、そういう本がまた山ほどあるんで遺跡発掘のように想像力を駆使して欠落を埋めることになる。こんな読み方をした場合、どれほど作品に対して責任を持ったことばを発することができるのか。かなり問題だなあと自分でも思います。
というわけでストーリーに関してはふれないことにします。物語は西洋風ではないアニミズムに近い形の神々が、人とともに存在する世界で展開。あくまでも人間とは別の存在として描写される神々。その神様を自分たちのものとして崇めている(ということばは何となく違和感を覚えるけれど)部族の、それぞれの民族的な風習や考え方の違いが、生活に密着した説得力のあるかたちで描かれているところや、その民族的な背景を背負ったうえで成立する、しかし民族に寄りかかってつくられたわけではない、個性的なキャラクターが魅力的。
とはいうものの、翻訳物は描写が密なのとキャラクター描写がライトノベルなんかに比べるとあまり親切ではないので、カバーの折り返しにでも登場人物の紹介を入れてくれたらいいのになあと思います。続き物と思われると売り上げが落ちるのかもしれないけど、まさしく続き物なんですから配慮してほしい。レインカスターという人物がどうしても思い出せないので、切に思う次第です。
朝から雨。夕方、ようやくPowerBookが帰還。二週間と二日かかった。昨日帰ってきてくれれば、ラヴィで作業しなくてもよかったのに。
J.グレゴリイ・キイズ『神住む森の勇者 上』を読む。
11月になってしまった。月が変わるときの作業の準備を始める前に、10月分の日記を書いてしまわねばと思い、ラヴィを借りて作業をした。
まず、DOSフォーマットのフロッピーディスクにMacのデータを落とす。そしてラヴィのフロッピーディスクドライブに挿入した後、編集ができそうなソフトを立ち上げて試してみた。
WordとFrontPage(?)は、直接タグを編集するのに不便なので、却下。
さいごに見つけたのがWordPad(だったか)。これがWin付属のエディタらしい。さきのふたつのソフトよりシンプルで、ちゃんとタグもそのまま表示されて、私が探していたのはこれに違いない。というわけで、10月最終週の日記はこれで書きました。
しかし、これはどうすればいいのかと悩んだこともひとつ。
ファイルをふたつ同時に開いて、あっちとこっちを切ったり貼ったりということはできないのでしょうか。もうひとつファイルを開いたら、もとのウィンドウは閉じられてしまいました。Winのシステムに無知なせいだと思うけど。Mac付属のSimpleTextよりも大きなファイルが開けて、これはいいなと思った矢先だったので、ちょっとがっかり。
読書感想文の執筆は、読んだ本をすでに返却したりしていたため、難航。ちゃんとメモを取っておいたのになあ。
榎木洋子『シャドウ・レイディズ 影の王国10』(集英社コバルト文庫.2000.206p.419円+税)読了。ちょっとだけダークなファンタジーシリーズの10作目。
満月の夜にひらかれる扉で地上とつながれる異世界、月。そこは絶世の美貌を自らの力の証として君臨する、ただひとりの王の統べる王国。
王が息子を生け贄として求める十三年目の年に、地上に生まれた少女は月の王子と出会う。それは月の光の照らしだす、闇の世界への旅立ちだった。
シリーズ10作目にもなる話のこれまでのあらすじを書いてみようとして、挫折しました。もし、これを読んでこのシリーズを手に取ってみようなんて思われた方がいらしたら、これだけでもネタばれになってしまいそう。具体的なストーリーを書かずに雰囲気だけをつたえるのってむずかしいですね。
榎木洋子の以前のシリーズは物語も登場人物もその舞台となる世界もとても健康的で、それこそ子供にも安心して読んでいいよといえそうなものだったのですが、このシリーズを読んで印象が変わったなと思います。タッチは変わらずあかるいのですが、書こうとしている世界はかなりハード。挿画のイメージも月の王国の描写も、『千夜一夜』を意識しているように感じられます。
ところでこの巻ではヒーローの月哉がかなり前向きになってきており、従来の優等生ヒーローに変化しつつあるのが、いじわるな月哉を楽しんでいた私としてはちょっと悲しい。百雷さまに鞍替えしようかしらん。