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2000年12月後半のdiary

最新の日記インデックス
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2000.12.17 爪が割れた/『麦の穂を胸に抱き 足のない獅子』
2000.12.18 年賀状づくり
2000.12.19 フリーウェア
2000.12.20 疲労の水曜日/『これが投手だ!』
2000.12.21 寒さの理由/『王妃の離婚』
2000.12.22 これも肩こり?/『SFバカ本 宇宙チャーハン篇』
2000.12.23 年賀状づくり2/『双色の瞳II ヘルズガルド戦史』
2000.12.24 年賀状づくり3/『月の森に、カミよ眠れ』
2000.12.25 フィギュアスケートの音楽/『天人の橋』
2000.12.26 関節痛
2000.12.27 図書館と本屋へ行く
2000.12.28 /『キノの旅 the Beautiful World』『十六夜異聞 影の王国』
2000.12.29 ビデオテープのダビング/『ケルトの白馬』
2000.12.30 2000年もあと一日
2000.12.31 二十世紀最後の日
二十世紀最後の日 2000.12.31(日)

 だといっても、とりたてて変わったことをするわけでもない。
 十二月の末日それは恒例、親父孝行の日なのだった。
 父親につきあって、映画を観、本屋へ行き、カメラ量販店をめぐって帰宅。
 ヒトのペースで進むというだけで、いつも自分ひとりでやってることとおんなじ。ただ、自分に不都合なことについてはまず怒ってみるという人物とともに行動していると、かなり疲れますけどね。ええ。

 ストレスのせいで、買うつもりのなかった三冊を購入。

 『ハンニバル』は、ほとぼりが冷めた頃に図書館で借りようともくろんでいた。
 『裏庭』は、すでにハードカバーで一度読んでいる。いや、これは名作です。せっかく買ったのだから、もう一度読もう。

 冴えない二十世紀の最後だったことよ…。

2000年もあと一日 2000.12.30(土)

 西暦2000年もあとわずか。来週の月曜日には21世紀になってるんですねー。といってもやはり西暦の話だけど。
 そんなわけで今年の個人的なトピックスをいくつか。

痛くない靴を買った
 ここ数年、足が痛くて外に出るのが非常に億劫だった。病院で作ってくれた靴の中敷きは、ウオノメをひどくするのに役立ってくれただけ。二万円もしたのに。
 そこで新聞に載っていたマイスターシューフィッターのいる個人の靴屋に行って、相談にのってもらった。足の正確な寸法を測り、フットプリントをとった。そして足形をとってオーダーの中敷きをつくってもらいました。非常に高価でしたが、それだけの価値はあり、痛みはだいぶんやわらいで外歩きも苦にならなくなった。いままでで一番、うれしい買い物でした。

サイトを開設した
 このサイトを開設した大目的は暇つぶしだったのですが、結果的に暇はほとんどつぶれました。目的は達した…。HTMLタグを書くのはけっこうおもしろかった。あらたなことをおぼえるために久しぶりに脳が働いたような気がする。それから面倒だけど、サイトの模様替えはたのしいです。でも当分しないだろう。

PowerBookG3が故障する
 それも何度も。自分で対処できないくらいひどいのが二度もあったので、大変だった。保証期間中だったからタダですんでたけど、それも切れてしまった今、これ以上のトラブルが起きないように、こわれ物のように扱っている私がここにいる。

PostPetエラー解決したりもどったり
 それに付随してなのか、別個の原因があるのか、メールソフトPostPetはメールチェックでエラーが出る癖がなおらず、ペットはほとんど遊び暮らす毎日。最近Fireworksが原因かと感じはじめているが、もう面倒になってきたので、当分このままほっておくつもり。

友人の結婚披露宴に出席
 あらたまった場所に出るのがひさしぶりだったので、準備がとても大変だった。そして披露宴そのものにもいろいろと苦労がついてきた。つかれたぞ。

肌荒れが改善せず
 飲みつづけている薬のせいなのか、はたまたトシのせいなのか。夏はあせも、冬は乾燥肌、ひとつ治るとほかの場所にできる吹き出物。
 いろいろと世間でいわれてることをためしてみましたが、ひとつよいものが見つかって少し改善がみられたかとおもうと、気候が変わってすぐに役に立たなくなったり、いろいろと試行錯誤しています。
 ことしの一番の変化は、洗顔に使用していたアレッポの石鹸で髪も洗うようになったこと。これで額の荒れがかなり改善してきました。

 例年に比べ、能動的な一年だったような気がします。やはり、年はじめに買った靴が一番大きかったですねー、私にとっては。あと、サイトを始めたおかげで混沌としていた日々にメリハリが生まれました。

ビデオテープのダビング 2000.12.29(金)

 デジタルビデオカメラで撮ったテープを、テレビで見られるようにVHSテープにダビングする。(ダビングだけ。編集はナシ。)
 この作業を半年以上やっていなかったため、私はやり方をすっかり忘れていた。おかげでまったくなにも録画されていないテープを一本作ってしまいました。巻き戻して見たときは呆然。
 どうやらビデオカメラをテレビに接続してダビングしようとしたのがいけなかったらしい。ビデオデッキに接続したら、ちゃんと録画できました。
 しかし一時間もむだにテープをまわしてたかと思うとかなり悲しい。

 ローズマリー・サトクリフ(灰島かり訳)ケルトの白馬(ほるぷ出版.2000.204p.1400円+税 Rosemary Sutcliff "Sun Horse,Moon Horse",1977)読了。イギリスのアフィントンに残る白馬の地上絵にまつわる謎を膨らませて描く、ケルトのイケニ族のものがたり。

 イケニ族の族長の三番目にして末の息子として生まれたルブリンは、先住民の血の混ざった褐色の肌に黒い髪をもっていた。それはイケニ族にはけしてわからない、夢の世界をうちに秘めているということだった。
 五歳のときに見た白い馬の姿はルブリンのこころに深く焼きついた。かれはうごくものを形にとどめたいという思いから、模様を描くようになった。
 少年組にはいるようになっても集団にうまくとけこむことができず、たえず兄やほかの同年代の少年から攻撃されており、親友のダラだけがかれの味方だった。竪琴弾きの歌う古の若者たちの大移動が、ふたりをさらにつよく結びつけた。かれらはひそかに北の広い草原のある国へともに移住する夢を抱いたのだ。

 ローズマリー・サトクリフの紀元前のイギリスを舞台にした歴史小説。
 むずかしいです。この話をまとめるのはー。
 よけいなもののなにもないそぎ落とされた骨太な文章、構成で、どこもかしこも大切なことばかり。
 きらきらしいことは何もない代わりに、ずしりと手応えのある人間の物語がそこにあります。
 そっけない文章がたんたんとつづいているのに、読んでいるうちにじわじわきてしまいます。
 ファンタジーではないけど、とても近いものがあると思う。それは舞台となる時代もあるけどそれだけではなくて、登場人物の気高さが理由なのではと思うのですが、どうでしょう。いや、気高くないファンタジーもありますし、あってももちろんかまわないのですが。

 サトクリフの本は、児童書として出版されているのがほとんどで、しかもハードカバーばかり。(沖積舎の二冊だけがソフトカバー。)気軽に買えないし、気軽に読めないので、岩波のなんかは少年文庫でも出してほしいなあと思います。

 2000.12.28(木)

 時雨沢恵一キノの旅 the Beautiful World(メディアワークス電撃文庫.2000.240p.530円+税)読了。第六回電撃ゲーム小説大賞の最終選考候補作。『電撃hp』に一挙掲載されたものに加筆したもの。

 キノという名の子供としゃべる二輪車エルメスがあちこちの国を見て回る旅を連作でつづる短編集。
 ファンタジーというより『ガリバー旅行記』みたいな風刺のきいた童話というかんじ。淡々とした文章でえがかれる灰色の世界。しんどかった。

 榎木洋子十六夜異聞 影の王国(集英社コバルト文庫.2001.204p.419円+税)読了。ファンタジー「影の王国」シリーズの番外編四編をあつめた外伝集。

 月鬼とよばれる月の王国の住人たちにスポットを当てた、本編とは趣向の異なるおはなしを並べてあります。
 おもえばシリーズ開幕当初にはただよっていた魔とか異形とかのあやしげでおそろしげな雰囲気が、最近はかなりうすれていたのも事実。
 「戦慄のホラー・ファンタジー」というキャッチフレーズが似合わないと、巻末広告を見るたびに思ったものです。月の王様が出てくるとあまりの輝かしさに影までうすらいでしまうのでしょうか。
 この本では当初の雰囲気がすこしよみがえったかなと感じました。

図書館と本屋へ行く 2000.12.27(水)

 年の瀬を迎え、道路も混んでいるようで、バスがなかなか来ない。やっと来たかと思うと予想外のすし詰め状態で大変な状況に。おかげでまたもや大汗をかく事態になって、外に出ると風の冷たさが身にしみるのであった…。

 きょうはだれかに先を越されて『週刊ベースボール』を読めなかった。かわりに『SFマガジン』を読んでたら、予定よりも長く居座ってしまっていた。時間に気づいて、あわてた。
 帰りに以下の本を購入。

 文庫四冊を買ってから別の本屋で見つけたサトクリフ。
 頭をよぎったのは「あれは買わずにお金をとっておけばおけばよかった…」。さらに「そのうち図書館にはいるかもしれない」。でも、意味不明に気が大きかったのと、サトクリフなので、買った。

関節痛 2000.12.26(火)

 右手ゆびの関節が腫れている。キーを打つと痛い。
 時雨沢恵一『キノの旅』を読みかける。

フィギュアスケートの音楽 2000.12.25(月)

 クリスマス。年賀状が投函できるところまでととのったので、すこし休憩してビデオを見てました。
 録画して二週間ほど忘れていたフィギュアスケートの全日本選手権です。

 見ていて感じたのは、「今年の日本ではアランフェスが流行っているのだろうか」ということ。放送されたごく一部の上位入賞スケーターのうち、三人もアランフェスをバックに流して滑っていた。スケート向きなのか、毎シーズンだれかひとりはこの曲を使用しているような気がしますが、さすがに一大会に三人は多いのでは。

 流行りといえば、先シーズンはテレビで見た競技会ほとんどで、必ず一組は私の好きなサラ・ブライトマンの曲を使用していました。世界的なヒットとなったらしい「Time To Say Good Bye」のせいだったのでしょうか。この曲が収録されているアルバムから知っている限りで三曲、複数のスケーターに重複して使用されていました。

 なじみの曲をバックにスケーターが滑る、というのは、私にとってはあまり歓迎できることではありません。(あくまで私にとってはですが。)スケートより曲の方に意識がいってしまうからです。
 旋律を無意識に追いかけるのはまだよくて、時間制限にあわせて切ったり貼ったりされた部分を「あそこで切ったんだな」と考えているうちに滑走が終わっていたりすることもある。
 「今見ているのはフィギュアスケートで、音楽は添え物だ」とかたく念じていないと、画面を見る目はぼーっとしたままプログラムがすべて終了してしまいます。

 だから先シーズンはスケーティングがあまり印象に残らない大会が多かったです。
 こんなことだから選手の名前が覚えられないんだな…。ちょっと反省。

 立原えりか天人の橋(愛育社.2000.232p.1300円+税)読了。
 幻想的なおとぎ話が九編収録された短編集。

 「立原えりか」というとこどもの頃から名前だけは知っていて、そのせいか一度も読んだことはないくせに未知の世界という気がせず、これまでずっと手に取ろうとも思わずにきた作家でした。
 今回読んでみようかと思ったのは、たまたま読んだ新聞の書評欄と、ウェブサイトの書評で同時期にとりあげられていたから。
 しかし、予約してからずいぶん待たされたので、書評の内容はもう忘れてしまいました。

 ごく短いショートショートのようなおはなしは、ほぼ現代の日本が舞台と言っていいでしょう。
 ところが。日常が希薄というか、枠がうすれているというか、携帯電話が出てくるようなはなしだったのに、とつぜんそこから「何十年もすぎてしまいました」ところに連れていかれたりする。めまいがしました。
 いかにも現代であると意識させる小道具をもちいながらも、ものがたりはあくまで自立していて、時間を超越しています。
 このあたりはながく書きつづけてきた作家ならではの巧みさなのでしょうか。ものがたりそのものがふんわり浮かんでいるような印象を受けました。

 表題作でもある「天人の橋」だけは、すこし異色。途中までは日本の昔話だと思って読んでいたのに、ようすがどんどんかわっていって。ふつうならもっと今から離れてしまうはずなのに、最後はどこかでつい最近起きたことを新聞で読んでいるような気分になりました。こんな記事はぜったい載らないと思うけど。

年賀状づくり3 2000.12.24(日)

 世間はクリスマスイブですが、うちにはそんな気配はみじんもありません。
 私はようやく自分の賀状に手をつけたところです。
 困るのは、いままでとやることはおなじなので、どうしてもダレること。新鮮味がないというか、飽きてしまったというか。
 途中でゆうべ録画しておいた『プロ野球ってナンだ!?』を見始めちゃったりした。
 いかんいかん、ちゃんとやらねば…と意欲のない自分を叱咤してどうにか裏面を完成。
 しかしまだ宛名が…

 上橋菜穂子月の森に、カミよ眠れ(偕成社文庫.2000.244p.700円+税)読了。
 日本の古代(?)を舞台にしたファンタジー。1991年に同社からハードカバーで刊行されたものを加筆修正したもの。偕成社文庫は表紙がB6判サイズのソフトカバーの児童書のシリーズで、文庫本サイズではありません。
 
 〈クニのハテ〉と呼ばれる地方のムラに〈オニ〉退治を頼まれてやってきたナガタチ。このムラは絆として存在する巫女のおかげで長くヤマのカミとヒトの間に平穏な関係がむすばれていたところだ。しかし、いまかれらは〈月の森のカミ〉を封じる決心をした。〈オニ〉というのは〈カミ〉のことなのだ。
 ナガタチは〈カミ〉を封じる力があることを証明するために、ムラの力士(ちからびと)と相撲を取った。三人の力士をあっというまに敗ったナガタチの前に、まだ入墨をしていない男童のような若者があらわれて人々は動揺する。タヤタと呼ばれた若者と組み合ったナガタチは、腹の底からはいあがってくる、しびれるようなおそれを感じる。この若者はなにものなのか。
 ナガタチはいきさつを知らずに〈カミ〉を封じることはできないと感じる。酒宴の席から離れたかれはムラの巫女に出会い、なぜカミを封じることを許したのかと訊ねた。巫女はかれに問う。なぜ、カミを封じるのに力を貸そうと思うのかと。

 九州の祖母山に伝わる『あかぎれ多弥太伝説』をベースに、朝廷の支配下に組み入れられていく地方民族の苦悩を描いています。

 支配されるということは、まず税をおさめなければならなくなること、労役に働き盛りの労働力をとられることにより、経済的に困窮することであるといえます。それは飢えるということ、死に直面することです。(昔の支配者はひとびとのために権力を握っていたわけではないとはいえ、どんなところにも一律の税を課すのはとても理不尽だとおもう。でも、きめこまかな税制って作るのタイヘンだろうな。古代じゃ無理ですね。)
 なんとか労役を免除してもらいたいばかりに、ひとびとは米を作るために山を切り開こうとする。そこで山を守ろうとする神と対立することになるわけですが。
 これって環境をまもるか、人々の利益を優先するかという、人間が生きていく上で避けては通れない一大テーマですよねえ。人間が生きているこの環境を守っていくべきというのは、生物のとしての人間の存続を見据えた考えですけど、余裕があるからいえることで。ぎりぎりの生をいきている古代の人々に理解できるとは思えない。
 でも、カミと対話し、心をかよわせる巫女にはわかるわけです。しかし人々の苦しさもよくわかる。せつないですねー。どちらも選べず、優柔不断になって他人に決めてもらいたいと無意識に依存してもしかたないですよね。

 ムラ全体をまとめあげることのできる力ある指導者がいれば、こんなふうには進まなかったかな。どちらにしろ円満な解決策は見えてこないので、けっきょくはこうなるしかないのですが。わかっていてもやるせないラストです。

 ところで、この神様は蛇神さまです。やまたのおろちを思い出したり、鉄を扱う民族のことをおろちと呼んだという説を思い出したりしましたが、どうやらここでは純粋に山の精神をあらわしている神様のようです。
 来年はへび年ですね。

年賀状づくり2 2000.12.23(土)

 もうそろそろ本気で年賀状に取り組まなければまずい時期になってきました。
 ところが自分のものに手をつける前にもうひとり、家族のをつくることになってしまったとさ。

 依頼人は書道をたしなんでいたことがあるため、字は自分が書いたものを使用しろとのたまいます。しかし、「いまは書く気がしないので、一昨年年賀状用に書き下ろしたものを使うように」といいわたされました。スキャンデータは残っているからいいけどー。そんな手抜きでいいのか? もらう人はどうせ気づかないということばにも、一理あるかとはおもうが。

 話し合いの後、年賀状用画像データ集の中から背景用の画像を選んでもらい、それを文字データと合成することになったのですが、その間に背景と似た色の「巳」の文字を大きく淡く重ね合わせてほしいという追加注文が。
 そこで画像データ集の中から「巳」の文字デザインで使えそうなものを見つくろい、背景にあわせて色を調整した。このあたりがとてもとても面倒だったのだけど、愚痴になりそうなので割愛いたします。
 ようやく、これでいいだろうと思われる色になったところで、三つの画像を重ね合わせて一種類が完成。

 もうひとつは、イラスト入り年賀はがき用。添え書きを入れる場所を減らそうとして買ってきたらしいのですが、肝心のイラストが青っぽくて画面が寂しいので、(またもや)「巳」の文字をデザインした赤っぽい画像を入れたいらしい。つくづく文字が好きなお方です。

 そうして二枚分のデータが完成したので、試しに印刷してみたところ、背景付き賀状の背景が、見本よりもかなりくすんだ渋い色にプリントされることが判明しました。賀状らしくないのでカラーマッチングなどをいろいろと調整してみましたが、うまくいかない。
 しかたなく、背景をべつのもっと明るそうなものと差し替えることになり、「巳」の色もふたたび調整し直すことに。
 さらに、イラスト入りはがき用は「巳」の位置と大きさをさんざん試行錯誤したあげく、「やっぱり画面がうっとおしい」とおっしゃるので外すことになりました。しくしくしく。

 こんなことでもないと人様の役には立てないので、一生懸命やりました。なんとか印刷し終えるまでに一日かかっちゃいましたがね。
 ずいぶん長いこと賀状づくりをやっていて、もうたくさんのような気がするのに、まだ自分のはぜんぜん進んでないのが悲しい。明日はやらなきゃねー…。

 霜越かほる双色の瞳II ヘルズガルド戦史(集英社スーパーダッシュ文庫.2000.204p.495円+税)[Amazon][bk-1]読了。『双色の瞳 ヘルズガルド戦史』の続編。遠未来SF戦争青春小説(?)。

 穀物のゆたかに実る土地がどうしてもほしい。ヘルズガルド公国第三皇子タンバールは、ゾルキエフに奪われていた農地を奪還することを決意していた。
 左右の瞳の色が違うことを隠して近衛師団長となったウナ・ライツは、親友の近衛工廠長エクトラ・ベンツインの設計した高速軽戦車、通称ゾンタの小隊を率いて出撃する。彼女の使命は、後の戦闘を有利に運ぶために、前線をいち早く突破して、敵の補給施設をすべて破壊することだった。
 作戦はうまくいったかに見えたが、事前にもたらされていた情報よりも戦車の数が少ない。敵はヘルズガルドの攻撃を予測したかのように戦車隊を二分し、あらたな補給基地を築いていたのだ。
 タンバールの率いる本隊は、泥濘を背に敵の猛攻撃にさらされていた。

 刻々と変化する戦況描写が巧み。さらに無情かつ悲惨な戦闘シーンの中で、ウナの率いる戦車隊の人情話が淡々としながらじつはホット。われらの姫さまをお守りせねば、みたいな。(ちょっとイメージがちがうか?)
 全体的に抑えた語りくちが好印象。
 あまり感情をあらわにしないウナとエクトラですが、醒めているわけではなく、心の中は熱い。疑似家族の人たちもそうですが、他人に対する思いやりというか、たいせつに思う心が芯にしっかりと存在しているのがうれしい。だから荒廃した世界の物語であっても殺伐としないんですね。
 とてもおもしろくて、つづきがはやく読みたいのに…売れてないんでしょうかね、次回作が別の話だということは。ちょっと、罪悪感を覚えてしまう。

これも肩こり? 2000.12.22(金)

 睡眠中、異様に肩が痛くなりました。
 頸の痛みからきたのか、それとも姪の「だっこ攻撃」に屈して三回ほど抱きあげたせいなのかは不明ですが、眠りながらも痛みを意識して変な夢を連続して鑑賞(?)。
 腕を頭の方にあげると痛みが和らぐのですが、それでは布団から出た腕が寒い。
 試行錯誤したあげく、タオルケットを頭からかぶって寝つづけました。
 起きてみると痛みはひいており、すべて夢だったような気がするほど。
 運動不足をつげる天の声だったのでしょうか。

 岬兄悟・大原まり子編SFバカ本 宇宙チャーハン篇(メディアファクトリー.2000.414p.1400円+税)読了。ほら話めいたSF短編のアンソロジーシリーズの通算八巻め。十作品を収録。

 図書館の「新着図書コーナー」に鎮座ましましていた本。「黄金スパム篇」も隣にあったのですが、なんとなくこちらを選んで借りてきました。選択に深い意味はありません。
 収録作品は以下の通り。

谷甲州「スペース・ストーカー」
岡崎弘明「アンテナおやじ」
森奈津子「マゾ界転生」
岬兄悟「もちつもたれつ」
村田基「ヘルシー家族」
牧野修「メロディー・フィアー」
高井信「超人の代償」
岡本賢一「宇宙親善料理」
高瀬美恵「われはなまはげ」
館淳一「お熱い本はお好き?」

 中では「アンテナおやじ」と「マゾ界転生」、「われはなまはげ」がおもしろく読めました。とりわけ「マゾ界転生」は、くすくす笑ってしまった。ほかの作品もおもしろかったのですが、特に感性にあっていたというか。
 あと「ヘルシー家族」は、「おもいっきりテレビ」をまるごと実践しているようでおかしかった。あれをすべて鵜呑みにするとこうなる…とはいいませんけど。

寒さの理由 2000.12.21(木)

 今年の冬は暖冬だというのに、なぜかいつもより寒い気がしていました。ものすごく寒いのではなくて、なんとなくうすら寒いというか。
 どうしてだろうとずっと不審だったのですが、ようやく理由が判明。
 先シーズンに着ていたフリースのアイテムを、今年はまだ一度も身につけていなかったせいでした。暖かいという先入観から厚着を避けていたのでしょうか。
 フリースジャケットを着ていると体感温度が二度くらい違うような気がします。気づかなかったあいだ、エネルギーを浪費したかと思う。損したなー。

 他人の年賀状を印刷。その間に読書。

 佐藤賢一王妃の離婚(集英社.1999.382p.1900円+税)読了。
 第何回だったかは失念しましたが、直木賞受賞の歴史法廷小説。

 15世紀末。フランスの国王ルイ十二世は、正妃ジャンヌ・ドゥ・フランスに対して離婚を申し立てた。暴君であった先々代のルイ十一世から押しつけられた后であり、ふたりは正式に婚姻を果たしていないという主張に対し、王妃は真っ向から対決する姿勢を明らかにする。だが、権力者に逆らって彼女を助けようとする弁護士は存在せず、検察側の世話により体裁をととのえるだけが精一杯。民衆の同情は王妃にあつまったが、劣勢は誰の目にも明白だった。
 裁判を傍聴していたナントの弁護士フランソワは、かつて彼に襲いかかった暴君への憎しみを、その娘である王妃にかさねあわせていた。だが茶番のような裁判にかれの心情は複雑に変化してゆく。弁護士としてのプライドと王妃への思い入れから、ついにかれは王妃の弁護士となる決意をした。

 おもしろかったです。
 外国を舞台にしているのでついつい翻訳物のつもりで読み始めて、言葉遣いに多少違和感をおぼえましたが、日本の時代物とおなじ感覚で読めばいいのねと気づいてから楽になりました。

 当時のフランス情勢なども裁判の背景と関係していて、歴史のお勉強もできます。ときの法王はボルジア家のロドリゴ。フランスはこんなおバカな国王で大丈夫だったんでしょうか。じっさいにおバカだったかどうかはしりませんが。
 昔の裁判は教会でとりおこなわれており、判事も弁護士も検事もみんな聖職者だったというのは初めて知りました。大学の学生のほとんどが剃髪した坊さんだった、というのもいわれてみればという感じ。勉強になるなー。

 しかし、いろいろな要素をつめこみながらもストーリーはすっきりとして骨太。
 フランソワの若き日の苦い思い出がたんなる過去のいきさつではなく、現在の物語をうごかしていく伏線というか大きな力です。さまざまな人間ドラマがからみあって、ぐいぐいとすすんでいきます。ラストは心地よい開放感。とても読後感のよいおはなしでした。これで法廷シーンがもう少しスリリングだったらなー。

疲労の水曜日 2000.12.20(水)

 図書館へ行ったあと、繁華街へ出て年賀状用イラスト集とプリンタのインクカートリッジを購入。それから妹から頼まれていた「もっと初歩のパソコン参考書」を探す。ファイルやフォルダから説明してあるものなんて、Win用ならいざ知らず、もともとすくないMac用の在庫の中にはなかなか見つからない。三軒本屋をまわったあげく最終的にインプレスの『できるiBook』を購入。
 ついでにくじ引きをしたら、九回ひいたうちの七つがティッシュペーパー。あとの二つはお菓子。ようするに、ビリとそのひとつ上の賞しかとれなかった。
 その後、妹たちと落ち合って昼食。出張パソコン教室をして帰宅。血糖値がどん底まで下がって、乳酸が脚にたまっているのが実感できた一日。
 きょうは曇りがちで陽がほとんど射さず、とても寒かった。でも繁華街のビルの中でゆだって汗を流していたのは私です。

 女帝モードについて。
 イギリス史の概略みたいな本を図書館でみたら、彼女の活躍した年代って1100年代だった。とすると「足のない獅子」とはかなり離れているから、シモン・ド・モンフォールは関係なかった可能性が大となりますね。なにかを勘違いしていたってことか。
 時間がもっとあれば詳しく載っている本を探したかったけど、きょうはあきらめました。用事がたくさんあったので。

 別冊宝島編集部編これが投手だ!(宝島社文庫.2000.252p.562円+税)読了。1999年10月に別冊宝島471号『大投手伝説』として刊行されたものを改訂したもの。

 家族が買ってきた本。さっさと寝ようと思っていたのに、疲れがひどくてかえって眠れなくなって、こんな本を読んでいた。まったくファンタジーとはかけ離れた本ですみません。プロ野球に興味のある方むけ。

 去年の十月というと、セ・リーグでは中日、パ・リーグでは福岡ダイエーが優勝した頃ですね。そのころに出たムックを文庫化したものなので、基本的に情報は一年遅れです。工藤がダイエーの所属で権藤さんはまだ横浜の監督をやっており、上原と松坂がルーキーの頃。
 本の前半は現役投手でチームのエースと目されている投手たちのインタビューが主。
 とりあげられているのは、巨人の上原、桑田。ヤクルトの石井一久。千葉ロッテの黒木。日本ハムの岩本。横浜の斎藤隆。前「ダイエー」の工藤。それに前「横浜」の阿波野。
 後半は名投手伝説として、かつての大エースたちのインタビューや、ライターの記事で構成されています。

 本自体が薄いので、ひとつひとつの記事はコンパクト。あまり突っ込んだ話は展開されていないという印象。名投手伝説とかエースの条件とかいっても、とうてい十二球団網羅されてるとは言い難いし。
 印象に残る記事もあまりないし、肩の凝らない読み物という感じでした。
 過去の名投手を扱った記事のひとつが、なんだか苦しまぎれなことばで水増しされているのが不快だったほかは、寝る前の一冊としては最適だったかも。

フリーウェア 2000.12.19(火)

 ご存じでしょうが、フリーウェアというのは、作者のかたが善意から使用についての対価を取らずに提供してくださっている、ありがたいソフトウェアのことです。
 もともと、節約生活を暮らしている私は、いろんなフリーソフトを使用させていただいてきました。ところが、PowerBookを購入してから何度もトラブルに見舞われたこともあり、システムが不安定になるのを恐れて、最近は少しばかり遠ざかっていたのです。
 でも、先日、景気よくハードディスクを初期化したせいか、「何かあったらまたリストアすりゃいいのよ」という自棄のようでもあり、前向きともいえる心境に達し、またぞろぞろとさまざまなソフトを試しています。
 フリーウェアは、たいていはWEB上やパソコン通信上で配布されているのですが、作者の了解を取って雑誌付録のCD-ROMに収録されることもあります。自分でWEBの中を探すより効率的だし、回線がトラブルで途中切断される恐れもないのでお気に入りです。
 今月号の『MACLIFE』誌の特集は「フリー&シェアウェア」。付録のCD-ROMに山のようなソフトが収録されてました。
 フリーウェアの紹介というとたいていはいっしょにシェアウェアも紹介されるのですが、もちろん、シェアウェアはお金を払う必要がありますので、素通りです。私にカードを持てるほど経済力があればね…。
 今回は「ホームページ作成のために便利なツール」というカテゴリがかなり魅力的に映りました。
 (既存のテキストファイルをHTML文書に変換してくれるツールなんて、もっとはやくお目にかかりたかったです。改行タグをいちいち挿入する面倒といったら…。)
 サルのように繰り返しいくつも解凍して試しているうちに、日が暮れてしまいました。

 というわけで佐藤賢一『王妃の離婚』、読み始めた時間が遅くてー。おもしろいところなのに、もうやめて寝なくちゃ、明日は早起きだ。

年賀状づくり 2000.12.18(月)

 年賀状づくりといっても自分のではなく、妹一家のものだったりする。
 今年もまたカメラマンをさせられてイヤな予感がしたのだが、やっぱりPCで年賀状の裏面づくりをするのも私になってしまったのでした。
 デジカメで撮った写真を調整して、年賀状作成ソフトでレイアウトするだけなのに、いちいち他人の意向を確かめての作業は面倒でわずらわしくて、二倍疲れます。まわりでちいさいの(2歳児)がきゃーきゃー叫びながら走りまわっているし。
 となりで指図する人間は、タッチタイピングなら私より何倍も巧みなのに、ほかのソフトを知らないからと言い逃れてすべて私にやらせようとします。はやくiBookの扱いに習熟してほしいです。ちびがいるから、無理か…。

爪が割れた 2000.12.17(日)

 左手中指の爪が、先から二ミリ程度のところでひび割れ、なにかにひっかかって裂けてしまいました。乾燥しはじめると毎年爪のトラブルが発生します。ここまで何ともなかったので、大丈夫かなと思っていたのですが、やっぱり今年も。

 割れた爪を補修するための接着剤は、すぐに乾燥してしまうので、たくさん残っていても次の年には使えなくなってしまいます。もったいない。
 爪の補強のためにファイバー入りの透明マニキュアなんかを使ったこともあったけど、全然効果がありませんでした。塗ったそばからヒビが入るので、面倒になってやめてしまった。
 あとは、風呂上がりにスクワランオイルでマッサージをするくらいしかない。

 裂け目がギザギザしてるためにあちこちに引っかかって、とても不快なんですよね。

 駒崎優麦の穂を胸に抱き 足のない獅子(講談社X文庫ホワイトハート.2000.236p.520円+税)読了。十三世紀のイギリスを舞台にしたミステリ「足のない獅子」シリーズの六冊目。

 ときのイングランド国王エドワード一世のウェールズ侵攻のために召集された軍団の中に、シェフィールドの領主であるハロルド卿も含まれていた。ギルフォードとリチャードは従者として遠征に付き従い、チェスターで国王の軍団と合流した。しかし、ウェールズ人領主たちはイングランド国王の威容と脅迫と懐柔によってつぎとぎと軍門に下り、戦端は開かれない。
 野営地で退屈な日々を過ごしていたふたりは、散歩にでた帰り道に湿地帯の泥の中にはまり、そこで人間の右手首を発見する。指には紋章の刻まれた指輪がはまっており、庶民の手首ではないとしれたものの、王の紋章官は刻まれた意匠を知らなかった。とすると、これはウェールズの騎士のものなのだろうか。
 ふたりが秘密裏に指輪の持ち主を探しているうちに、野営地で、かつてウェールズ大公の婚約者シモン・ド・モンフォールの娘を略奪してきたことを吹聴していた騎士が惨殺された。そして、国王から下賜された軍資金の銀貨の入った袋がなくなっていた。

 本を読むと少し賢くなったような気がしますが、ちゃんと肥やしにしていつでも知識として引き出せるようにならないと全く意味はないですね。
 というのも、この本を読んでいるときしばしば感じたからです。
 レスター伯シモン・ド・モンフォールって、エリス・ピーターズの「修道士カドフェル」シリーズに何度かでてきた名前だよなあ。そういえば、カドフェルもウェールズ人だった。あの修道院もウェールズに近いところにあったような気がするけど、近くを流れていた川の名前(セヴァーン川)しかおぼえてないよー。って。
 あんなに何冊もシリーズを読んだのに、そのなかにイングランド情勢は何度も繰り返しでてきたのに。情けない。

 「カドフェル」を読み返せば疑問は直ちに氷解するだろうことはわかっておりますが、例によって、現物がどこにあるのかわからない。すこし芽生えた向学心をはぐくんてみようかと、高校時代にお世話になった『世界史用語集』をひろげてみました。けど、やっぱりよくわからなかった。シモン・ド・モンフォール氏は載っていたんだけど、カドフェルの時代の支配者であったと記憶している女帝モードが、影も形もなくて。挫折。
 このあたりの時代、イギリスはまだまだヨーロッパの辺境という印象で、たいしてとりあげられていない感じでした。やはり、東インド会社くらいからでしょうかね、イギリスの羽振りがよくなるのは。

 とりあえず、史実としての側面はおいておくとして、今回はいろいろと時代の要素が多く含まれており、話としては深みが感じられました。反面、リチャードとギルフォードがあくまで傍観者であるために、キャラクター小説としての楽しさは幾分減っているかなと。
 アンジェラおばあさまとトビーが出てこなかったのも、寂しいです。


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