2000年6月のdiary
■2000.6.9 /
■2000.6.10 /『一角獣は聖夜に眠る 足のない獅子』
■2000.6.12 /『自分を消した男』
■2000.6.13 /『灰髪姫と七人の醜男』
■2000.6.14 /『魂が、引きよせる 破妖の剣外伝5』/『レディ・ガンナーの冒険』
■2000.6.15 /『ファーニー』
■2000.6.16 /『聖女さま、参る! 琥珀のティトラ』
■2000.6.17 /『猫の地球儀 焔の章』
■2000.6.18 /
■2000.6.19 /
■2000.6.20 /『神秘の短剣 ライラの冒険シリーズ2』/『EDGE2 〜三月の誘拐者〜』
■2000.6.21 /『楽園の魔女たち〜スウィート・メモリーズ〜』
■2000.6.22 /『猫の地球儀その2 幽の章』
■2000.6.23 /
■2000.6.24 /『塗仏の宴 宴の支度』/『幻妖草子 西遊記 〜天変篇〜』
■2000.6.27 /『琥珀の城の殺人』/『だれも猫には気づかない』
■2000.6.28 /『偽りの目撃者』
■2000.6.29 /『砂の覇王 1 流血女神伝』
■2000.6.30 /『砂の覇王 2 流血女神伝』
いつのまにか梅雨前線がぐいぐい北上してるです。蒸し暑いはずだよ…。
て、ことで須賀しのぶ『砂の覇王 2 流血女神伝』(集英社コバルト文庫.2000.246p.476円+税)読了。
まさかカリエが妾妃の座を争うようなお話になろうとは。
お約束の美人で意地悪な敵役ということで、サジェはものすごくがんばっております。たぶん、彼女のやってることは見る人が見ればバレバレの陰謀。須賀しのぶの話にはあんまり馬鹿な人は出てこないんで、たぶん第二王子バルアンとその側近たちは、みんな見破ってしまうと思う。でも、それで果たしてカリエの状況が素直に好転するとは思えないんだよねー。
これからもカリエとエディアルドには、一生懸命サバイバルしていただくしかないでしょう。
どんどん蒸し暑くなってきた…。
須賀しのぶ『砂の覇王 1 流血女神伝』(集英社コバルト文庫.2000.196p.419円+税)読了。
『帝国の娘』につづいての〈流血女神伝〉シリーズ第二作。
帯に「激動のサバイバル・ファンタジー」と書いてありますが、どちらかというと架空の世界を舞台にした歴史ロマンというとらえかたをしています、私は。
国ごとの個性や信仰世界まで細部にわたっていろいろと設定がなされていて、それがまさにリアリティーを持って描かれています。しかも、キャラクターのいきいきしていること。そして作品世界すべてあまりに地に足がついているので、これはファンタジーではない、と思う次第。もちろんファンタジーを貶めていっているわけではなく、この作品がファンタジーではないからおもしろくないと言っているわけでもありません。ファンタジーか、そうでないかという判断と、おもしろいかそうでないかという判断は、まるっきり別であります。
そしてこの本は、文句なくおもしろいです。
『帝国の娘』の舞台だったカデーレは「南プロヴァンスみたい」と思ってたんですが、今回のエティカヤは「オスマン・トルコだー」。いや、気候としてはイランとかサウジアラビアかなと思ってたんですが、後宮や奴隷の扱いといい、宗教に関する態度といい、これはオスマン・トルコですね。(ここまで断言して違ってたらどうすんだ
不屈のカリエちゃんと苦労性のエディアルド、ふたりの運命はいかに。ってことでつぎ、二巻読みます。
雨降りのため外出を延期する。
ハーラン・コーベン(中津悠訳)『偽りの目撃者』(ハヤカワミステリ文庫.1998.473p.820円+税,Harlan Coben "DROPSHOT",1996)読了。
スポーツ・エージェント、マイロン・ボライター・シリーズの第二作目。
元プロテニス選手ヴァレリー・シンプソンが全米オープンテニスの会場で射殺された。遺品の手帳にマイロンの最大の顧客、新進のプロテニス選手デュエンの名が残されていたため、マイロンはまたもや事件に巻き込まれることになる。
…と書いていてうそだろ、と自分でつっこみたくなるのは「巻き込まれる」というところ。はっきりいって、マイロンは自分から積極的にまきこまれたがってます。周囲の人はみんな、いろいろ思惑はあるにしろ、利害関係あるなしに関わらず「ちかづくな」「やめろ」と忠告しているのに、あまのじゃくのように真実を求めてあちこちをつついてまわってる。頼まれもしないのに。これで「巻き込まれる」なんて、よくいうよ、と思うわけです。でも、それならなんて書けばいいの。
そういうお節介野郎が主役のマイロン・シリーズの読みどころは、都会的な明るいウィットとユーモアに満ちた文章と、マイロンをとりまく人々。とりわけ、マイロンの相棒で大金持ちで見た目はワスプのお坊ちゃんふうながら、じつは武術の達人、性格切れまくりのウィンザー・ホーン・ロックウッド三世、愛称ウィンの造形、でありましょう。
マイロンが「健全な精神は健全な肉体に宿る」を体現した「いいやつ」で、いかにもアメリカンな主人公なのに対し、ウィンの存在はどこか病的な影があって少女マンガふうでもあります。マイロンのためなら文字通り何でもするという、かれが抱いている強い感情も含めてですね。
というわけで巷でもじわじわと人気を得ているらしいです、このシリーズ。なかなか次の巻を借りられなくなってるし。
篠田真由美『琥珀の城の殺人』(講談社文庫1998.402p.667円+税)読了。
1992年に東京創元社より刊行されたものを一部改筆し、刊行したもの。
18世紀ヨーロッパ山中、雪に閉ざされた城館の密閉された書庫で当主の伯爵が死んでいた。
という出だしから始まる密室殺人を扱った篠田真由美のデビュー作。この方の読者として、私ははなはだいい加減なやつです。著作を読むのは十四冊目なのに、いまごろ一作目を読んでいるし、桜井京介シリーズなんかは出た順番ではなく、見つけた順番に読んでたりするし(しかも、まだ二冊しか読んでない)。
最初に読んだのが『ドラキュラ公』だったので、それからずーっとこちらの系統のものばかり読んでいました。ミステリを読むようになって思ったのは、「なんて読みやすい」。犯人探しだのトリックだのを考慮に入れつつストーリーを語るという点で制約があるおかげか、とっつきやすい読み物になってますね。この本はデビュー作なんで、さすがにこなれてない感じはしますが。
娯楽性のなかにも蓄積された教養があちこちにかいま見られて、まぎれもなく「篠田真由美の本だなー」とも思います。たぶん、ジョルジュ・某くんにもかくれた設定があるのでしょうが、無学な私にはわかりません。
アン・マキャフリー(赤尾秀子訳)『だれも猫には気づかない』(東京創元社.2000.142p.1400円+税,Anne MacCaffrey "NO ONE NOTICED THE CAT",1996)読了。
アメリカのSF作家マキャフリーの、中編ロマンティック・ファンタジー。
マキャフリーといえば「パーンの竜騎士」シリーズなどが代表的。自立した女性、自立しようとする女性が主人公の大河ロマンのようなお話が多かったと思う。(最近出版されたものはあまり読んでいないのですが。)
が、これまでとはちょっと違いました。今回は。
死期を悟った摂政がエスファニア公国の若き公ジェイマスを案じて、一匹の猫を残していく。この本はジェイマスが猫のニフィにいかに助けられたかをつづるおとぎばなし。とてもキュートで心やすらぐ、猫みたいなお話。
京極夏彦『塗仏の宴 宴の支度』(講談社ノベルス.1998.616p.1200円+税)読了。
作家関口巽のぐじぐじ加減にはいつもながら閉口する。この人が一番頭の回転が悪くて説明を入れやすくなるから語り手にしてるんだろうけど…。京極堂がでてきてほっとして、榎木津の出番でようやく気が晴れた。いつものことながら蘊蓄量は半端ではなく、はっきりいって私は消化不良状態。
しかし、この分では後編はいつ読めることやら。
さらに七尾あきら『幻妖草子 西遊記 〜天変篇〜』(角川スニーカー文庫.2000.280p.533円+税)読了。
『幻妖草子 西遊記 〜地怪篇〜』の続編にして完結編。
カンドーしました。このページ数にこれだけの内容を盛り込んで舌足らずにもならずに語りきり、なおかつ、けして少なくはないキャラクターひとりひとりがくっきりと描き分けられている。これでゲームのノベライズなんですか。この種の本を読むのは初めてなんですけど、ゲームをしてみたくなるほどに読むのがとっても楽しかった〜。すでにあるものを元にしているからキャラクターを立てやすかったというのはあるでしょうけど、でもゲームをしていない人間にここまでわからせるには元のイメージに頼っていては不可能です。すごい。
頸が痛くてごろごろ。
京極夏彦『塗仏の宴 宴の支度』を三分の二ほど読む。ふつうの本ならとうに読み終えているはずだ。ごろごろしながら読む本には向いてない。腕がだるくなった。
蒸し暑くて寝つけず。睡眠不足。
秋山瑞人『猫の地球儀その2 幽の章』(メディアワークス電撃文庫.2000.260p.530円+税)読了。
トルクと呼ばれる人間のいなくなった宇宙コロニーに生活する猫たち。大集会の手によって抹殺されてきた異端者スカイウォーカーの三十七代目の黒猫、幽と、最強のスパイラルダイバー焔。そして彼を慕う子猫、楽。あたたかくておかしくて涙がとまらないSFファンタジー。
生きるってどういうことだろう。
生物にとっては種の存続が第一命題。多様性が大切ならば出来うる限りたくさんの個体数を維持しつつ、存在しつづけるのがベストなんだろう。みんなで生き続けるために努力するのが「生きる」意味であるわけで、種の大多数にとってはそれはぜんぜん難しくない、疑問の余地なんかないことに決まってる。
でも、それとは関係なく、「生きる」ことがまったく別の意味を持っている存在がときとしてあらわれるわけだ。それは種の保存とはまったく切り離されたことを衝動としているから、「みんなで生きる」ことにとって必要なこと大切なことを平気で踏み越えたりしてしまう。そんな自覚もないままに。必然として。
こんな存在は種の大方にとってはじゃまなものだ。とくに、種にとって第一命題である存続すらも危ぶまれるような困難な状況では。もしかするとそれのために共倒れしてしまうかもしれない。恐れによる拒絶反応は激烈。異分子として徹底的に排除されるだろう。
でも(ああ、また「でも」だ)、そんな環境にあってなお、みずからの衝動をつらぬきとおす、そうせずには生きていられない存在…それがもしかたしら、天才ってやつなのかもしれない。
…などと思ってしまった。この本を読んで。つまり、やむにやまれず己を主張する天才がスカイウォーカーで、種の保存本能が僧正(あんどソウルセイバー)ってことですが。
いろいろ疑問は残ってるんですよね、この話。たとえば人間はどこへ行っちまったのか…とか、どうしてトルクには猫とネズミとゴキブリしかいないのとか、この猫たち、なんでロボットを制御する電波なんか出してるんだろうとか。
もしかしたら続編がでるかもしれないとあとがきにあるので、期待して待っていよう。
久々に図書館へ行く。久々なのに、予約した本は三冊しか届いてない。ちょっとがっかり。
樹川さとみ『楽園の魔女たち〜スウィート・メモリーズ〜』(集英社コバルト文庫.1998.214p.419円+税)を読了。
『楽園の魔女たち』シリーズの七冊目は、〈楽園〉に暮らす魔法使いエイザードとその弟子である四人の少女の日常を描いた4編を収録した短編集。
「精霊の贈り物」は、妖精譚と見せかけてじつは…の話。
「ごくちゃんのしあわせ日記」は、サラ・バーリンによるエイザードの使い魔ごくちゃんレポート。
「無邪気な聖母」は帝国皇女ダナティア殿下の母君が楽園にやってきて、あれやこれやで殿下の苦悩の日々。
「彼らの楽園」は〈楽園〉に四年に一度めぐってくる〈じじい年〉のおそろしくも心温まる顛末。
さくさく読めて気分爽快。個人的には殿下のファンなので、殿下がいじめられる話はとても楽しい。踏まれれば踏まれただけ復讐の炎も激しくなるのが快感なのだ。くすくす。
風邪がひどくなる。ごろごろしながら本を読む。
フィリップ・プルマン(大久保寛訳)『神秘の短剣 ライラの冒険シリーズ2』(新潮社.2000.422p.2100円+税,Philip Pullman "THE SUBTLE KNIFE",1997)読了。
『神秘の短剣』は、『黄金の羅針盤』の続編。ハードカバーで(重量が)重たい本。元気で生意気な少女ライラがダイモン(守護精霊)のパンタライモンとともに出会う困難(自分から飛び込んでいったんだけど)の数々とダストとよばれる物質についての謎の数々。
『黄金の羅針盤』の終わりで父親アスリエル卿を追って霧のなかに踏み込んだライラは別の世界にたどり着く。そこでライラは、幼い頃に行方不明になった父親に代わり精神的に不安定な母親を守りつづけてきた少年ウィルに出会う。ウィルは襲撃者から逃れる際にはずみで人を殺してしまった末、偶然この世界に逃げ込んできていたのだ。
前巻の舞台は現実ととてもよく似た別の世界だったが、今回は世界はひとつではなくいくつもあるということがわかる。ウィルが住んでいたのが今我々が住んでいるのとおなじ世界だが、それはこの本の中ではあまり重要なことではない。ライラが以前に会っていた男が現れるし、ライラの母親コールター夫人もこの男の導きによりやってくるからだ。魔女たちや気球乗りのリー・スコーズビーも健在。そして、前巻では語られるだけの存在だったスタニスラウス・グラマン博士の登場である。
ラストシーンは衝撃的で哀しい。これからどう物語が展開していくのか、前巻と同じようにおもいっきり読み手の興味をそそったままで終わってしまう。うーん、気になるぞ。それにイオレク・バーニソンがでてこない〜。そして関係ないけど表紙カバー絵のライラとウィルの顔がそっくり〜。
とみなが貴和『EDGE2 〜三月の誘拐者〜』(講談社X文庫ホワイトハート.2000.280p.550円+税)はもちろん『EDGE』の続編。
題名からまるわかりですが事件の内容は誘拐ですね。プロファイリングの必要のない事件、と錬摩自身が言っているとおりなので今回のお楽しみは「錬摩の推理の切れ味」というより、事件に呼応するように「あかされる錬摩の過去」がメインなのかな。
蛇足。東京の名所巡りを意図しているらしいんですけど、私、御茶ノ水駅のあたりしかわからない…。
電車で、とみなが貴和『EDGE2 〜三月の誘拐者〜』を読んでいたら、乗り越してしまった。
返却期限が近づいていることに気づいてフィリップ・プルマン『神秘の短剣』を読み始める。
秋山瑞人『猫の地球儀 焔の章』(メディアワークス電撃文庫.2000.252p.510円+税)読了。
トルクと呼ばれる宇宙コロニーに生活する猫たちの、ハードでせつなくて、でもほんわかとした物語。感想は次巻を読んでからってことで。
寝冷え風邪か。鼻づまりがひどくて脳が酸欠状態。く、る、し、い…。
霜島ケイ『聖女さま、参る! 琥珀のティトラ』(角川スニーカー文庫.2000.334p.648円+税)読了。
〈封殺鬼〉シリーズで疲れた作者の息抜きのような冗談ファンタジー。風邪でもうろうとした頭でも理解しやすいはっきりしたキャラクターたちに、破綻のない世界構築。読んでて肩の凝らない物語。
ジェイムズ・ロング(坂口玲子訳)『ファーニー』(新潮文庫.2000.618p.895円+税,James Long "FERNEY",1998)読了。とてもミステリアスで哀しい愛の物語。
歴史学者のマイクは、神経質で不安定ではあるが豊かな感情でかれを幸せにしてくれる若い妻ギャリーとともに、彼女の精神を安定させることを望んでロンドン郊外に家を捜していた。
ペンセルウッドにあった数百年前の廃屋に惹かれたギャリーは、修繕改築費を心配する夫を説きふせ、この館を手に入れる。
ふたりの前に突然現れた老人ファーニー。ギャリーは説明のつかないなつかしさを彼に感じるが、マイクは快く思わない。ある日老人はギャリーに、この館の秘密とギャリーの感じているなつかしさの理由を語るのだが…
この話を紹介するのはむずかしい。語りはじめると同時にストーリーの要の部分に触れそうになる。つまりはそうしたワンアイディアの物語なのだが、それだけなくいちいち指摘すると野暮になりそうな細々したところにもこの本の魅力があるからだろう。
それはファーニーとギャリーの過去の人生を謎解きする部分でもあるし、イングランドの歴史がかれらの記憶によって鮮やかによみがえる部分でもある。
特殊なかれらふたりの苦悩ばかりではなく、普通の人マイクの存在も細やかに描写されていて、双方の立場の違いがどちらにかたむくことなく描かれている。ときには不快になったりもしたが、物語にバランスの良さをあたえていると思う。
なぜ、かれらはこのような人生を歩むことになったのか、ほんとうにかれらはふたりだけなのか、もうこの運命から逃れることは出来ないのか。そういった疑問はこの本では解決されないし、そういう物語でもないのだろう。
ただ、ラストシーン。ここを読むとなんだか、ラブストーリーと思って読んでいたものがホラー小説になったようで、もうすこしほかの終わり方はなかったんだろうかと思ってしまう。
前田珠子『魂が、引きよせる 破妖の剣外伝5』(集英社コバルト文庫.2000.252p.476円+税)を読了。感想はすみませんがパス。
茅田砂胡『レディ・ガンナーの冒険』(角川スニーカー文庫.2000.308p.571円+税)を読了。
なかなか発売されず、発売日が来たら売り切れ。大騒ぎをして手に入れたのに読んだのは購入から一月半も経ってから…手にはいるとそれだけで満足してしまう最近の悪癖が遺憾なく発揮されてしまった本。(もっと経ってる本だって山のようにあるけど)
隣国の幼なじみに危機が迫っていると聞いたキャサリンは、侍女ひとりと、風変わりな四人の用心棒を連れてかれのもとへと旅立つのだが、彼女を阻止しようとする敵がつぎからつぎへとあらわれる。
おもしろい。けど、期待ほどじゃなかった。ということになりましょうか。まあ、著者のほかの本を読んでからだと、要求するレベルが違いますからねえ。主人公がまだ人生経験の浅い少女であったことが、ものたらなさを感じる要因であったかもしれません。
とはいえ、一息にたのしく読ませてあとくされも全くなし。先入観がなければ、買ってよかった本の中に当然はいる水準です。ファンタスティック・ストーリーとカバー裏の紹介文にあったけど、アドベンチャーとかアクションとか書いた方がこの本のテイストには近いのでは。なんかリリカルな雰囲気を期待してしまいませんか、ファンタスティック・ストーリーって言葉。
ゆうきりん『灰髪姫と七人の醜男』(集英社コバルト文庫.2000.228p.495円+税)を読了。
題名からわかるとおり、白雪姫とシンデレラ(灰かぶり)の物語をあわせて独自の解釈を試みたおとぎ話…といってもいいのか。
隣領を支配するルイス一族の突然の侵略からひとり生き延びたグラス伯爵の娘シンディアは、不潔な庭働きに身をやつし、復讐の機会を待ち続ける。このあたり、マキャフリイの『竜の戦士』のレサなどを思い浮かべますが、話はその後どんどんシビアに展開してゆきます。
シンデレラの意地悪な継母と姉たちにあたるルイス家の未亡人とふたりの娘は、「ユラニアの三醜女(〈グイン・サーガ〉(c)栗本薫)」みたいな人物だし、助けの神となるはずの王子さまは姿は美しいけれど性格はゆがみきっていて、他人を利用することばかり考えているし、甘いラブストーリイにいつもつっこみを入れたがる向きには納得の展開ですが、それにしてもあまりにも夢も希望もないお話…。これがコバルト文庫のラインナップでなければふつうに受け止めたと思うんですが。
森と領主一族の関係が扱われているものというと、谷瑞恵の『夜想』という話もあるけど、あれより数段辛口のお話ですね。ページ数の少なさ、カバー絵の愛らしさにだまされてはいけません。おとぎ話というのをためらったのは、ことばのニュアンス的に甘さを含んでいるような気がするからなんだけど、「お伽話」と書けばぴったりかな、と思います。
デイヴィッド・ハンドラー(北沢あかね訳)『自分を消した男』(講談社文庫.1999.634p.857円+税,David Handler "THE MAN WHO CANCELLED HIMSELF",1995)を読了。
「元売れっ子作家のゴーストライター“ホーギー”と愛犬ルルを主人公とした、苦いユーモアと鋭い批評精神で高い人気を誇る都会派ミステリー」とカバー折り返しの著者紹介文に書いてあります。シリーズものの第6作目。
補足しときますと、ホーギーがゴーストしているのは有名人の自伝。かつては自分も超有名人だったおかげで、有名人の取り扱いをこころえているホーギー。本業の小説に行き詰まってはいるものの、ゴースト家業では他の追随を許さないほどに評価は高まっているらしい。仕事を受けるたびに人が死んでいるようなのに、ちゃんとつぎの依頼もきているようだしね。
扱っている事件は一冊一冊独立はしているものの、もうひとつのシリーズの目玉はホーギーとかつての妻、女優のメリリーとの関係の行方です。だから、読むなら一冊目からがおすすめ。特にこの巻とこの前の巻『女優志願』を逆に読んではいけません。
今回の仕事は全米最大の人気テレビ番組の主演コメディアンが依頼人。人気絶頂のさなかにスキャンダルに巻き込まれたかれはとんでもない暴君で、スタッフのだれからも嫌われていた。テレビ番組の制作現場に、気のすすまぬながら入っていくホーギー。彼は個人的にも問題を抱えていて、あまり良い精神状態とはいえないのだが。
しかし…分厚い、この本。633ページもある。いま手首を痛めているんで持って読むのがちょっとつらかった。
ストーリーの方は長さを感じず、すらすらと読めてしまう。セリフが多いからか。著者のハンドラーはドラマ作家としてもエミー賞に数度輝いているとか。なるほど、セリフが多いといってもうっとおしくはない。ひとつひとつが効いていて、地の文と一体になっている(地の文も、ホーギーの一人称の語りだし)。業界の内幕みたいなところは経験から書いているのかもしれない。
ホーギーの依頼人はいつも嫌な人物だけど、今回もやはりそう。さらにメリリーとの関係はすっかりこじれてしまっている。あらたな人物があらわれそうで、やっぱりメリリーのことが忘れられないホーギー。このあたりの展開はほっとさせられると同時にちょっと歯がゆいかも。事件のことはほっといて、こちらにばかり意識を集中している私。ラストは予想はできたけれどやっぱりそうなって、予定調和かもしれないけど、よかったなと。
ホーギー・シリーズ既刊 (邦訳があるもの すべて講談社文庫刊)
『笑いながら死んだ男』(北沢あかね訳 1992)
『真夜中のミュージシャン』(河野万里子訳 1990)
『フィッツジェラルドをめざした男』(河野万里子訳 1992)
『猫と針金』(北沢あかね訳 1993)
『女優志願』(北沢あかね訳 1995)
駒崎優『一角獣は聖夜に眠る 足のない獅子』(講談社X文庫ホワイトハート.1999.252p.530円+税)読了。
13世紀のイングランドを舞台にふたりの騎士見習いリチャードとギルフォードを軸に描かれる「中世歴史活劇」の第3巻。
雰囲気的にはエリス・ピーターズの「修道士カドフェル」シリーズの重厚さとキリスト教臭さを抜いて、現代日本風にアレンジしたといったところでしょうか。
先王の庶子とうわさされるリチャードと、彼のいとこで領主の跡取り息子ギルフォードのかけあいがどんどん楽しくなってきています。それにくらべて舞台の書き込みは減っているような気もする。個人的にはアンジェラおばあさまの出番が多くてウレシイ。これ以上増やさなくてもいいけど。
ところでシリーズタイトルの〈足のない獅子〉は、リチャードの父親と思われる人物の紋章のことらしい。そのあとについでに巻数も入れてくれると嬉しいんだけどな。どれから読んでも大丈夫って意味なんだろうけど、やっぱり順番通りに読みたい私。
ずーっとホームページ制作をしているため、本が読めてません。なんのために読書日記と名づけたのだ…。のっけから「看板に偽りあり」ですか。悲しい…
毛利志生子『魔来迎 カナリア・ファイル9』(集英社スーパーファンタジー文庫.2000.260p.533円+税)を読了。
呪言師「有王」を主人公とする「呪術アクション」シリーズの一応の完結編。言葉として発したことが現実になってしまう能力を持った「カナリア」耀との出会いからはじまった一連の綾瀬という組織との抗争が一段落。
しかし、なんというか完結というには居心地の悪さを感じてしまいます。いろんなことが先送りにされてるからかな。有王自身はいろいろと悟るところがあったようだけど。当然一番のクライマックスかと思われた綾瀬の大老との戦いがなんか別の方向にスライドしていったのもはぐらかされたような気分にさせられる原因かも。
橘高氏の出番が少なくてちょっとさみしい。