2006年9月のdiary
■2006.9.3 /『聞け、我が呼ばいし声 幻獣降臨譚』
■2006.9.6 /『喪の女王 2 流血女神伝』
■2006.9.8 /『キーリ 9 死者たちは荒野に永眠(ねむ)る 下』
■2006.9.8 /『キーリ 9 死者たちは荒野に永眠(ねむ)る 下』
ながらくこちらの更新が滞ってしまい、スミマセンでした。
この間、いろいろと試行錯誤をしておりました。じつのところこのサイト、正直に言ってダイアリーとは名乗りがたい状況になってきたのと、更新作業が面倒になってきたのと、いろいろな事実を鑑みて、しばらく感想を分離してブログで更新することにしました。
ブログは過去データへのアクセスがしにくい、それを解決するインデックスをつくるのが面倒という欠点もあり、個人的にはあまり使い勝手がよくないような気がします。それでも変更するのは、ひとえに現在の私の状況で更新を続けていくためです。ご不便をおかけするかもしれませんが、どうぞよろしく。
というわけで、これから感想は【霜月書房】に移行します。
近況はこれまでどおり【Reading Diary-MEMO】で報告してゆきますので、こちらもよろしく。
追記。
じつは、最初は感想データをすべて移そうと思っていたのですが、根性なしなので途中で果てたという経緯があります。なのでこちらの感想は過去ログとしておいておきます(2006.9.8までの感想と、2006.8までの著者名索引)。
壁井ユカコ『キーリ 9 死者たちは荒野に永眠(ねむ)る 下』(メディアワークス電撃文庫.2006.280p.550円+税)[Amazon][bk-1]読了。ノスタルジックな雰囲気の遠未来SFファンタジー。シリーズ九冊目の完結編。『キーリ 8 死者たちは荒野に永眠(ねむ)る 上』のつづき。
シリーズものにつき既刊のネタバレを含みます。
首都は、〈不死人〉の核を求める出来そこないの化け物たちに襲われて恐慌状態に陥っていた。混乱の最中にハーヴェイとの再会を果たしたキーリは、父親シグリ・ロウへのわだかまりを捨てることができず、兵長の言葉が聞こえなくなっていた。キーリたちはシグリ・ロウと別れてベアトリクスを探し始めるが、途中で彼女にもらったお守りが壊れてしまう。その後、ハーヴェイがとらえたベアトリクスの気配は、あきらかに異変をともなったものだった。陽が暮れ始めた柱廊で、ふたりは出来そこないの怪物と遭遇する。その身体の中にキーリはよく見知った顔が埋もれているのを見つけ、ハーヴェイはその核が自分の恩人ユドのものであることを悟る。
これで完結、なのですねえ。長く続いたシリーズだったので感慨はひとしおです。読むたびに文章に酔わされてきました。私はほんとうにこの作家さんの文章が好きだなあと思います。叙情的なのに湿度のない、映像的でひんやりとした文章が心地よくて。かわらない質感のまま、物語が終着点にたどり着いたことにまず安堵致しました。
ただ、その終着点については……私はなんともいえない気分を味わいました。読み終えてけっこう時間が経つのですが、まだうまく言葉にできない感じ。なんだかもやもやとしたものが胸にとどこおっているような、すっきりとしない読後感でした。物語としての決着はきちんとついているのですが、どうも晴れ晴れとしないんですよね。以下、かなりネタバレかもしれません。
なぜすっきりとしないのか。いろいろと考えた結果は、話の落ち着いたところがあまりにも現実的にすぎるからかなあということでした。ファンタジー的にはよみがえりの話だったと思うのですけど、それで実現したのがかなりシビアな結果だった。あくまでもビターなのがこの話の持ち味なのでそこのところはいたしかたないのかなと思いはするのですが、ここで私は現実にある病の影を見たりしてしまいまして、それでひどくやるせなくなってしまったのです。
それに、長いエピローグに未来への希望というかあらたな光があんまり感じられなかったかなあと。淡々と情景が描かれてしみじみとするんですけど、病がダブって見えるせいか今後を想像してしまって残された現実がとても辛く思えた。このままだとキーリは終わりにむかってしか生きてゆかれないような雰囲気で。そのへんはリアルといえばリアルなんだろうし、もしかすると切なさの演出なのかもしれませんが、もうすこし救いがあってもいいような気がするんですよねえ、私には。降ってわいたようなハッピーエンドは白々しいけれど、どこかにほっとできる部分があってもいいのではと思ってしまう。私も年をくって気が弱くなったということなのかなあ……。
それと、苦難をくぐり抜けたあとにふたりを拾ってくれたひとびとのあの姿。あれもちょっと苦かったです。
須賀しのぶ『喪の女王 2 流血女神伝』(集英社コバルト文庫.2005.226p.476円+税)[Amazon][bk-1]読了。ジェットコースター並みの急激な展開で読み手を翻弄する異世界ファンタジー「流血女神伝」シリーズ、最終章の第二巻。『喪の女王 1 流血女神伝』のつづき。
シリーズものにつき既刊のネタバレを含みます。
襲撃され避難した森でカリエが生み落とした赤子は女の子だった。この子は千人目のクナムとなって、ザカリア女神の夫となるはずではなかったのか。とまどうカリエたちに、イーダルの部下アルガは王都ガンダルク行きを勧める。もはや自分たちだけでは守りきれない。いまとなっては女王の庇護を求めるのがもっとも安全だというのだ。王都では王太子ネフィシカの婚約がととのっていた。相手はバンディーカの治世でないがしろにされていた軍部の実力者の一族である。バンディーカの敵対勢力は隣国ルトヴィアにも影響を及ぼしはじめていた。ルトヴィア皇帝ドミトリアスはユリ=スカナ出身の皇后グラーシカに、婚儀への参列と反対勢力の牽制のため、故国へ帰還するよう要請する。
相変わらずの急展開ですが、今回の「そんなことになってたの」の筆頭は、やはりルトヴィア皇后グラーシカでしょうねえ。自分の資質を生かすことができない失意に加えて、夫婦間の愛情生活でも辛酸をなめている苦しい現状。ドミトリアスは思慮深い夫ですが、そうであるがゆえにかえって彼女の救いにはならない模様です。痛ましいなあ。このままだとグラーシカは精神を病んでしまいますよ。彼女が姉の誘いに乗ってしまったとしても、私は責められません。でもそうすると、ユリ=スカナの政情はさらに不穏にゆれ動くだろうなあ、ということが簡単に推測されるので、ううむ。
責められないといえば、グラーシカのお姉さまのネフィシカ王女の選択した道も、賛同できるわけではないけど仕方ないのかもなあと思ってしまいます。だからといってバンディーカ女王のしてきたことが間違っているとも言えないし。
ことほどさように、世の中というものは人の数だけ局面があり、さまざまに複雑な物であるよなと、ため息をつくしかなかったり。
シリーズも終わりに近づいているということで、物語は人間心理の揺れ動きと国家の運命がからみあっての壮絶な展開になって参りました。これで神様の思惑もからんでくるのですから、もうもう、目を離すことができません。この先はいったいどうなるの! なんて叫んでないでとっとと続きを読むことにいたします。今後はイーダル王子の動向に注目かな。
ところで、緊迫する物語とは無関係にカリエちゃんの周囲にのんきな空気が漂うのは何故だろう。エド君のボケのおかげだろうか。
本宮ことは『聞け、我が呼ばいし声 幻獣降臨譚』(講談社X文庫ホワイトハート.2006.270p.580円+税)[Amazon][bk-1]読了。異世界ファンタジーシリーズの開幕編。
北の寒村に陶工の父親とふたり暮らしの少女アリアは、十四歳でとうとう初潮を迎えた。期待と不安を胸に幻獣との『契約の儀』にのぞむアリア。この世界では女があまり生まれないため、男たちが伴侶を得るのは至難となる。だが、リアラ女神の加護のもと精霊にまもられた彼女たちはけして傷つけられることがない。精霊と交流するちからは初潮と同時に失われるが、そのかわり幻獣を使役する力を授かるのである。ところが、アリアは自分を守護する幻獣との出会いを果たすことができなかった。幻獣を使役できない女は穢れているとされ、忌み女と呼ばれる。アリアは村中から蔑まれる存在になってしまった。
女性の性的な段階にさまざまな付加価値があるという設定が興味深い、異世界ファンタジー。
ようするに、このお話の中では女性が男性と結ばれるということに非常に大きな意味があるということですよね。ヒロインが何を求めるかでストーリーの方向はかなり変わるし、男性側に翻弄された場合の悲劇が眼に見える形で示されるというわけです。
そして、この話のヒロインは、のっけから女性としてずいぶん不幸な運命と向かいあうことになります。かなり激動の展開です。その後の起伏のあるストーリーからも、今後は波瀾万丈の人生が待ち受けているのだろうと推測。アリアが運命に翻弄されるだけではなく、自分の人生のあるじになっていけるかどうか、を描くお話になっていくのかな。
というわけで、設定と話の目標(?)にはかなり共感できるというか、面白そうだなと思うのですが、ワタクシ、この本をなかなか読み進めることができませんでした。いちいち細かいところで立ち止まって、物語の中に入り込めないのです。
いちばんの大きな原因は雰囲気がテレビゲームっぽいことかなあ。人物配置やキャラクターもそうだけど、話の進め方もそう感じます。最初にいきなり大きなイベントが来るのですけど、物語の中に感情移入できるだけの下地が提示されていないままなのですよね。手元でキャラクターを動かしているゲームなら自分を投影すればいいだけですが、小説でそれをするのはちょっと。そのぶんイベントの最中に情報が小出しにされていくのですが、イベント中はイベントに集中させて欲しかった。
それと台詞。つまり私、疑似中世が舞台の異世界ものには中世であって欲しいのですよ。崩れててもいいけど、現代風はやめて欲しいなというのが私の感覚。小説は文字だけで構築するものなので、台詞ひとつ、記号ひとつで簡単に雰囲気が崩れ去ってしまう。
そんなもろもろから、読みながら脳裏に描かれる映像がゲーム画面みたいになってしまったりそうじゃなかったりと、なんか混乱しました。
とはいえ、この小説が対象として想定している読者には、こんなことはまったく関係のない、かつ意味のない事なのだろうなあ……とは思うわけで。特異なキャラクターを距離を置いて楽しむのが最近のトレンドらしいので、小説のヒロインには感情移入なんて、しなくていいのかもとも思うし。異世界はちょっと行って帰ってこられる、テーマパークであればいいのかもなー。たぶん世間的に受け入れやすいように配慮した結果がこうした表現なんだろうなー。たぶん私のほうが特殊で偏向してるんだよ……。ううむ。
と、いうようなことを考えながらなんとか自分的落としどころをつかまえたのが三分の二くらいのところ。ようやく話に入り込めてきた、面白くなってきたぞ。というところで、話はいきなり(というか、またまた)急展開を迎えました。えー、うそ、ここで終わり? つづくなの? そんな殺生なー。
してやられた気分ですが、この後どうなるのかがたいそう気になりますよ。そのうちつづき読みます。
七瀬砂環『背徳の騎士団』(講談社X文庫ホワイトハート.2006.236p.580円+税)[Amazon][bk-1]読了。目標を求めて煩悶する若者の姿と帝国の斜陽のはじまりを描く異世界騎士物語。
騎士見習いの若者ラーズ・ヴァルラムは、聖堂騎士団に入団するためにディクセンを訪れた。ディクセン聖堂騎士団は一騎当千の強者揃い。正義のために戦う彼らはけして負けないという。幼い頃から騎士となるために育てられたラーズは、所詮は人殺しでしかない騎士の現実を目の当たりにしていた。だが騎士以外のものにはなれないと感じるかれには信仰が必要だった、拠り所となる正義が。司教将軍ダエグに率いられる天の軍勢であれば、それが得られるかもしれない――。ところが招き入れられた司教館で、ラーズは、ダエグが不遜な態度で皇帝の使者に軍資金を要求している姿を目の当たりにしてしまう。
硬質な文章で端正に物語をつむいでいく著者の第二作。
前作『オートマート』と同一世界を舞台に、前作で国境戦争として言及された出来事がこの話の軸となっています。
「禁断の愛が燃えあがる!」というアオリに多少身を引きつつ読み始めたのですが、タイトルの「背徳」はむしろ信仰と正義に対する背徳、つまり現実を生きるために覚悟の上で身を汚していく強さ、という意味なのではないかと思いました。
中世のような時代にあって必要悪の存在である自分たち=騎士をありのままに受け入れ、生きのびていくことを命題にして必要なことには最大限に努力をし、そのことに有能であろうとする。だからディクセン聖堂騎士団は強くありつづける。ようするに、騎士は職業であって職業には貴賤はないってことでしょうかね。
その騎士団の姿を体現しているのが司教将軍ダエグさま。気高さや崇高さはおのれの心の裡に秘めておくもの。一見ワルで普段はワルそのものとしてふるまってますが、そんな潔さがかれにはうかがえます。かっこいいです。ちなみに北欧系の美形です。
というわけで、私はこの話を時代に取り残されつつある騎士の斜陽の物語として読みました。過不足なく一冊で話がきちんとまとまっていて、とても好感が持てます。面白かったです。
え、主人公? かれは時代の目撃者だったのだろうと思います。えーと、かれの恋愛についてはなにも言うことはありません。とりあえず、BLかもしれないけどアオリほどの禁断は感じませんでしたと言っておきます。