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2004.9.1 となりの小学校は31日からはじまってる/『花嫁の立つ場所 黄金の拍車』
2004.9.5 /『文学的商品学』
2004.9.6 転んだ/『沈黙の王』
2004.9.8 /『災いの黒衣』
2004.9.9 寝不足+ATOK予約/『王宮劇場の惨劇』
2004.9.10 サーバー解約+トラブル+クマプー/『音程は哀しく、射程は遠く フルメタル・パニック!―サイドアームズ―』
2004.9.16 朝、起きて/『楽園の魔女たち〜楽園の食卓 中編〜』
2004.9.18 /『半身』
2004.9.23 G-Tools/『冷たい心臓 ハウフ童話集』
2004.9.24 月に一度の(?)消費の日/
2004.9.29 眠かった+デカレンジャーロボ組み立て/
眠かった+デカレンジャーロボ組み立て 2004.9.29(水)

 このところ妙に気ぜわしい日々が続いているのですが、タダ券がもったいないからという理由で無理矢理映画館に行ってきました。台風は接近中だけど関東はまだもう少し余裕があるらしかったので。
 しかし、「一番早く上映が始まって終わる」などという基準で作品を選んだせいか、見ている途中で眠気をもよおしてあくびばかりするはめに。見ながらおにぎりを食したのも、まずかったかもしれません(上映開始時間ぎりぎりに飛び込んだのでどうしようかと思ったのだが、かなりの大音響シーンがつづくので海苔の音を多少させても大丈夫かなと二個食べた)。

cover

 『コロボックル絵童話』は姪っ子用……と言いつつ、じつは自分が読みたかったんです。1971年に刊行されたものを新たに描きおろされた挿画(もちろん村上勉氏です)で再刊しているもの。小学生のときに読んで大好きだったコロボックルのシリーズ。子供のときには『豆つぶほどの小さないぬ』が一番気に入っていたんですが、今は……ツムジのじいさまが好きだなー(笑。

 ところで、きのうは甥っ子の子守で『テレビマガジン』10月号付録「デカレンジャーロボ」なんとかカスタム(?)を作らされてました。雑誌の付録を組み立てるのなんか、何十年ぶりだろう(汗。すんごい複雑で、できあがるまでに一時間以上かかってしまいましたよ。その間中「まだー」と何度も催促されて、組み立て途中の腕やら足やらで遊ばれて壊され、「○○ちゃんもつくっていい?」とできもしないのに手を出されてまた壊され、「邪魔するときちんと作れないよ」と脅すとぶんむくれられて、へとへとです。たしかに私はまったく器用というにはほど遠い人間ですが、その〈不幸な手の〉人間がこんなに一生懸命にやったのに、(作成途中で各部品に襲撃があったので)できあがった時点ですでにあちこち壊れているという情けなさ。ということで、保証期間はナシです。保証できるか、こんなもの(__;)

 とはいえ、こんな付録を毎月作成している雑誌のひとには感心しました。よく考えるよなあ……尊敬します。『テレビマガジン』って講談社が出してるんですが、公式サイトがないらしく、グーグル検索でトップに出てきたのは雑誌専門のオンライン書店(こんなものがあるんだー)【Fujisan.co.jp】内の「テレビマガジン-定期購読」のページ。これの投稿記事によると、『テレビマガジン』の付録は『てれびくん』のものより作りやすいんだそうです……なんとなくさらに疲労。

月に一度の(?)消費の日 2004.9.24(金)

 いつまでたっても南下してくれない秋雨前線を嘆きつつ、図書館へゴー。本の重みに折りたたみ傘が追い打ちをかける。ああ、恨めしや。

 以上、購入物。財布が軽くなった。
 ぼうっとして買っていたら、ヴィクトリア朝もののマンガが二冊。もしかして、最近のひとり歴史ミステリブームの発端はここだったか。図書館でおもしろそうな歴史ミステリが見つけられなかったので、反動ということも。
 『Parallel Dreams』はロリーナ・マッケニットのサードアルバムで、いままで見つからなかったものだったのでうきうきと手に入れました。パッケージが新しいのはなぜなのかと思ったら、リマスタリングしてDVDをつけたかららしい。DVDはまだみてませんが、曲はあいかわらず好み〜なのだった。さっそくiTunesに追加して聞く。

 予約購入した『ATOK17 for MacOSX 電子辞典セット』[Amazon]が届きました。早速インストールしました。あっ、いかん、もうことえりの変換手順が身に付いてしまってる。

 気がついたら、iBookのハードディスクをもう10GBも消費しています。前使ってたPowerBookはハードディスクが全部で4GBしかのってなかったってのに。なんということだ。

G-Tools 2004.9.23(木)

 最近、あちこちで「G-Tools」というアイコンを見かけます。
 いったいこれは何? と思ってアイコンをクリックしてリンク先に飛んだら、ここで提供されている機能をつかうと簡単にAmazonの商品の紹介情報をいれたHTMLが作成できるということらしいのが判明。遅まきながら、「おお、便利だ」と思った私は早速試してみました。
 結論。うまくいかなかった。
 ブラウザ上の作業は、滞りなく進むんですよ。でも、生成されたHTMLをコピーして、エディタ(mi)でひらいたこのファイルにペーストすると、「内部文字コードへ変換できない文字がある」とでて、文字が化けてしまうんです。
 試しに貼付けてみようとしたんですが、サーバーにアップするとトップページが途中でちょん切れて表示されてしまうので断念。Mac(OSX)に合わないのか、Safari(1.2.3)じゃだめなのか。どっちにしろ、ひとりじゃ解決できそうにないので、採用は見送りということで(しくしく)。

 ヴィルヘルム・ハウフ(乾侑美子訳)冷たい心臓 ハウフ童話集(福音館書店.2001.672p.2500円+税 Wilhelm Hauff "Märchen",1826)[Amazon][bk-1]読了。「福音館古典童話シリーズ」の38。24歳で夭逝した19世紀ドイツの童話作家の作品集。「隊商」「アレッサンドリアの長老とその奴隷たち」「シュペッサルトの森の宿屋」の三つの枠物語を収録。

 枠物語というのは、ひとつの大きな物語の中に、登場人物のものがたる別の物語が組み込まれている、「千夜一夜物語」のような形式をもった話のことです。たしか、重箱形式ともいうのではなかったかと。
 著者のハウフは、ロマン派の活躍する時代にすこし異質な作風を持っていた作家であるらしいです。すみません、ロマン派と言っても私はノヴァーリスを一冊読んだことがあるだけですが、たしかにハウフはロマンというよりもっとかろやかで深刻にならない感じです。どこまでもおとぎ話であって、現実とは重ならないというか。
 この作品集はどこからどうみても「千夜一夜」の影響を濃く受けてますが、なにかあっけらかんとしていて、道徳とか教訓とか人情とかを突き抜けて、「奇妙な話だなあ」というような読後感の残るものが多かったです。ストーリー的には、「だからなんなんだ」といいたくなるようなところも、なきにしもあらずなんですが、読んでいるときにはすいすいと進んでしまうんですね。おもしろいんだけど、なんか不思議。いい話だなあという感動とは無縁というか。その時々の展開に翻弄されて読み進む本とでもいえばいいのだろうか。ううむ。よくわからない。わからないけど、おもしろかったです。

 ところで、この本の入っている「福音館古典童話シリーズ」ですが、まだ新刊が出ているんですね。驚きました。
 私が小学校中学年の頃の話ですが、突発的に「読書の時間」なるものが組み込まれたことがあって、2週間に一回くらい図書室で本を読むことになりまして。そのときこのシリーズの『ハイジ』を一年かけてちまちまと読みつづけ、結局読み終わらなかったという過去を思い出しました。当時私の読書スピードがいかに遅かったか、というのがよくわかるエピソードですが、あの当時のラインナップがまだこんなに現役とは。なんとなく嬉しいです。

 ちなみに、高学年のときにはナンシー・ドルーのシリーズを読んでいたんですが、人気があったらしく、図書室に行くたびに前に読みかけた本が見つからないので、やっぱり一冊の本を読み通すことができなかった、という哀しい事実をも思い出しました。だいたい、事件が始まったばかりで中断というパターンだったなー。おかげで登場人物もよくわからないまんまで、読んだ意味がまったくないような。そういえば、ナンシー・ドルーって最近ぜんぜん見かけないですよね。私が見たのはあとにもさきにも、小学校の図書室でだけだった。あのころは本屋になんか興味なかったもんなー。

 2004.9.18(土)

 サラ・ウォーターズ(中村有希訳)半身(創元推理文庫.2003.494p.1060円+税 Sarah Waters "AFFINITY",1999)[Amazon][bk-1]読了。19世紀のイングランド、テムズ河畔の監獄を慰問に訪れた孤独な女性と不思議な女囚との出会い。ふたりの女性の日記として綴られる、緻密で重厚な文学的ミステリ。

 1874年9月。29歳のマーガレット・プライアは、知人の紹介でミルバンク監獄を慰問のために訪れた。どこまでも冷たく暗く厳めしい迷路のような石造りの建物の中で、マーガレットは女囚たちと面会し、彼女たちを更生させるために貴婦人としての模範をしめすのだ。父親を失ってからの精神的な打撃を乗り越えられずに周囲から疎まれる“老嬢”となってしまったマーガレットにとって、慰問は日常からの逃避を意味していた。冷酷な看守に案内されながら、女囚たちの支配された孤独で悲惨な生活を垣間みて身をすくませるマーガレット。彼女は独房の並ぶ一画で、ふと看守から離れ、静寂にひき寄せられてある独房を盗み見る。そこではわずかに射し込む陽光の中で、ひとりの、少女のような女囚が祈りを捧げていた。宗教画のように印象的な光景。しかし、その手にあるはずのない菫の花をみとめて、マーガレットの心は乱れる。女囚の名はシライナ・ドーズ。霊媒だった彼女は、詐欺と暴行の罪で服役していた。

 読みやすいとはお世辞にもいえません。ふたりの女性、シライナとマーガレットの日記を断片的に提示するという形式なので、視点が偏っていて状況がなかなか明らかにならない。暗がりの中で独り言をつぶやく声を聞いているような、薄気味の悪い雰囲気が漂いつづけ、話が進むとともにそのなかに必死で押し殺そうとしてきた熱情がにじみ出てくるような、ようするに全然明るくない話です。抑圧された人格たちの苦しみの声みたいでした。でも途中でやめたいとは思わない。続きが知りたくて読んでしまう。緻密な文章で描き出される監獄の重苦しい雰囲気。かくあるべきとされる貴婦人像を演じることができず、居場所を持たないマーガレットの孤独なこころが、美しい霊媒にうごかされてゆく過程。なんて息苦しく痛々しい話なのか。はあ……ため息が出る。読み終えたあとには虚脱感が残りました。
 時代は先日読んだアン・ペリーの『災いの黒衣』より少し後。ですが、社会の要求する役柄に自分をあてはめることができない上、自立できるだけの強い自我を持ち合わせているわけではない女性にとって、この時代は生きているのがおそろしく辛い時代であったのだなと、つくづく感じた。現代小説として書かれるヴィクトリア朝の物語に出てくるヒロインたちが、必ず理解者に恵まれているのは、こうしたリアルを真っ向から描くのは重すぎるからなのかもしれない。賛否はあっても、いろんな価値観の存在を認められるようになってきたことでは、やはり時代は進歩してきたのだと思う。いや、思いたい。
 読み応えはたっぷり。でも、軽い気持ちではとうてい太刀打ちできない。たいそうつかれる話でございました。

朝、起きて 2004.9.16(木)

 新聞を見たら、ベイスターズは負けていた。TVKの中継終了時までは一点差で勝っていたのに。まあ、一点差という時点で「危ねえな」と思ってはいたのだけど。ほんとうに、今年はヤクルトには負けてばかりです。この強いヤクルトがどうしてあんなにジャイアンツに弱いのか、不思議でなりません。絵に描いたような逆転負けさ! というか、試合の結果をきちんと見届けずに寝てしまうようになった私がいかんのか。古田選手会長への同情からひそかにヤクルトを応援したりしているのもいかんのだろうな。

 というようなわけで朝から景気が悪かったけど、本日の通院はつくづくついてなかったです。唯一の楽しみだった『のだめ』10巻はもちろんゲットしましたが、これがほんとうに唯一うれしかったことでした。ストレス解消にと買おうとしたものも、あーあ、あれもこれも見つからないんだもんなー。物欲で昇華しようというのがまちがっているのでしょうけど。おかげでよけいに疲れた気がいたします。

 ストレスと現在の興味から思わず『ヨーロッパの街並と屋根』[Amazon][bk-1]という写真集をみつけて欲しくなったりしたが、お高いのであきらめる。しかし、あきらめたらよけいにストレスが……。来季の監督はだれですか(意味不明)。

 一番笑ったとこ。千秋の師匠「ミルヒー・ホルスタイン」。

 樹川さとみ楽園の魔女たち〜楽園の食卓 中編〜(集英社コバルト文庫.2004.210p.460円+税)[Amazon][bk-1]読了。『楽園の魔女たち〜楽園の食卓 前編〜』のつづき。

 シリーズ完結編の第二幕。図書館にあったので借りて参りました。あいかわらずファリスちゃんが楽しいです……すみません、こんな感想で。……あいかわらず忘れてしまって状況がよくわからないんです。とにかくあと一冊なので、書架にあったら借りてきて読みます。

Amazonでサーチ>>『楽園の魔女たち』既刊

サーバー解約+トラブル+クマプー 2004.9.10(金)

 ktplanサーバーの更新メールが届いたので、解約手続きをいたしました。これでもう、絶対に後戻りはできません。しつこいようですが、リンクの変更をお願いいたします。

 本日はやりたいことがあったのに、午前中に更新作業をしたあとで別サイトのトップページが表示されなくなる(index.htmlをつけると表示される)というトラブルに見舞われ、右往左往してしまいました。レンタル元のメンテナンスがあったあとだったのでちょっと疑ってしまいましたが、けっきょくは自分でアップロードしたファイルになんらかの不具合があった模様です。サポートに泣きついたら「インデックスページを改行ひとつでいいから少しだけ変更して再アップしてみて」と助言されまして、それを試したらあっさりと解決。拍子抜けいたしました。インデックスの再アップなら三回くらい試みたんですが、改行ひとつくっつけるだけで改善するなんて……なんとなく納得がいかない(苦笑。

 ところで、姪っ子が本棚から大昔の岩波少年文庫『クマのプーさん』を発見してきました。私も忘れていました、こんな本をまだ持っていたなんて。一時期だけ出ていたハードカバーの箱付きなんですよ。初刷が昭和31年で、うちにあるのは昭和48年の20刷。お値段がなんと350円! 巻末に愛蔵版の広告がついているんですが、サトクリフの『太陽の戦士』が600円! 一瞬、少年文庫で出ていたのかと錯覚してしまいましたが、これってハードカバーのことなんですよね……。うわー、うわー、とちょっと興奮してしまいました。しかし、小学生のときの私、本に名前を書くなって(苦笑。

 賀東招二音程は哀しく、射程は遠く フルメタル・パニック!―サイドアームズ―(富士見ファンタジア文庫.2004.253p.520円+税)[Amazon][bk-1]読了。学園ミリタリーコメディー「フルメタル・パニック!」シリーズの短編集。五編収録。

 この巻は対テロ組織〈ミスリル〉サイドの話を集めているので、学園色がうすれています。宗介とかなめの出番もあまりなし。番外短編集といったおもむきの一冊。

「音程は哀しく、射程は遠く」前後篇
 凄腕の狙撃兵クルツ・ウェーバーの在りし日の思い出と現在。ありがちのお話ですが、クルツのキャラクターがうかがえる一編。脇の進行役としてたまに出てくる宗介のボケがたのしい。

「エド・サックス中尉のきわめて専門的な戦い」
 〈ミスリル〉の整備部門を統括するエドワード・“ブルーザー”・サックス中尉が語る、アームスレイブのメカニックと、その扱い方にあらわれるSRTの面々の強烈な個性のお話。マオの大雑把とクルツのミスター長嶋風の意味不明解説がおかしい。

「女神の来日(温泉編)」
 陣台高校に短期留学したテッサと、いつものメンツが温泉旅行に出かける話。宗介の板挟み苦悶状態と、クルツ率いる男子チームの命がけの女湯のぞき行動。かなりばかばかしいですが、女湯の描写には相当力が入ってます(苦笑。

「よいこのじかん〜マオおねえさんとアーム・スレイブにのってみよう〜」
 アーム・スレイブとはどんなふうに操縦するものなのか。初心者ヤン伍長にメリッサ・マオが教える、「はじめてのアーム・スレイブ」。いやはや、すごいです、ここまで考えているなんて。

「ある作戦直前の一幕」
 作戦前のストレスから喧嘩を始めた宗介とクルツ。作戦の成功のため、しかたなく間に入ってひとりずつ機嫌をとるメリッサ・マオ曹長が聞いた、それぞれの認める凄腕の兵士とは。タイトルに芸がないけど、最後を締めるマオの台詞が好き。

 歴史ミステリの気分などといいながら、むさぼるように読んでしまった一冊。
 あいかわらず、楽しいですねー。

Amazonでサーチ>>「フルメタル・パニック!」既刊

寝不足+ATOK予約 2004.9.9(木)

 半分ほど読みかけた本を、ここまで読んだんだから最後までと必死になって読んでいたら、最近まれにみる夜更かしをしてしまいました。だるい眠い。そんな調子でふらふらとしながら図書館に行ってきた。そんなに意地をはることなかっなー、読みかけで返してもよかった……。こうして、ときどき何かが憑いたようにがんばってみるけど、あとになって見当はずれのがんばり方だったとわかることが多くて、私は哀しい。柄じゃないってことでしょうか。

 人名入力をするのに意中の漢字がなかなかでてこない「ことえり」。人名入力に限らず思う通りに漢字変換できない。さっき変換したばかりの文字なのに、なんですぐ出てこないの、きい、とストレスたまり放題だったので、ついふらふらと「ATOK17 for MacOSX 電子辞書セット」の予約申し込みをしてしまいました。発売日当日(24日)にやってくる予定です。わーい、辞書付きー。限定パッケージはいらないから、さらにお安くしてくれないかしらん。
 これでOSX関係でバージョンアップしたアプリは三個めになりました。しばらく、というか当分節約しなければ……。だから本屋には寄らずに帰ってきた。何かを見つけたりしないように(汗。

 チャールズ・オブライアン(奥村章子訳)王宮劇場の惨劇(ハヤカワミステリ文庫.2002.568p.980円+税 Charles O'Brian "MUTE WITNESS",2001)[Amazon][bk-1]読了。フランス革命四年前のフランスとイギリスが舞台のミステリ。著者はアメリカ人。

 どうやら最近時代物ミステリの気分らしく、これもその一環として借りたもの。パレ・ロワイヤルで女優が殺され、犯人の道化師が自殺した。道化師の義理の娘で軽業師だったヒロインが、両親の知り合いだった伯爵夫人の甥であるハンサムな警邏隊長とともに、義父の無実を証明するために奮闘する、というお話。
 役者が出てきたり、秘密の地下牢があったり、貴族の家に潜入したり、盗品の話があったり、ヒーローの言うことを聞かずに猪突猛進するヒロインだったりと、どこかで読んだことあるなーこれ、という感じ。もちろん、こちらは綿密に時代考証をしたであろう歴史ミステリであり、あちらは異世界ものなんですが、ここまで道具立てが似ていると比べてしまうのが人情というもので、私としては「コラリーとフェリックス」もののほうがうんと楽しいなあ……と思わざるを得ないのでした。あ、書いちゃった。

 端的に言って、この話はロマンス部分がつまらないと感じた。ロマンスものとして読んではいけなかったのかもしれないけど、こういう筋書きなら期待しても仕方ないんじゃないか。イギリス人であるはずのヒロインがアメリカ人ぽいのも気になったけど、アメリカ人が書いているのだからこれは仕方がないのか。
 いつもどおりミステリとしてはどうなのかはわからないんですが、すくなくともおお、と驚くような話ではなかったと思います。
 革命前夜のパレ・ロワイヤルの描写や、王妃の首飾り事件とのからみや、聴覚障害者の教育とかに関する記述は興味深かった。

 ところで、フランス革命と演劇というと上原きみこ(現在はきみ子)『マリーベル』[Amazon]を思い出して懐かしかったりして。調べてみるといまは講談社から出ているんですねー。なるほど。

 2004.9.8(水)

 アン・ペリー(吉澤康子訳)災いの黒衣(創元推理文庫.1999.606p.1000円+税 Anne Perry "A DANGEROUS MOURNING",1991)[Amazon][bk-1]読了。19世紀半ば、ヴィクトリア朝のロンドンを舞台に描くミステリ、「モンク警部」シリーズの二作目。

 クィーン・アン街の邸宅に住む名家、モイドール家の寝室で、次女オクタヴィアが死体となって発見された。首都警察のモンク警部は、捜査開始早々に当夜の屋敷に不審な出入りがなかったことを突き止める。犯人は屋敷の中にいるのだ。だがその事実は、捜査がいっそう困難を極めるだろうことを意味していた。早期解決に対する上層部からの圧力と、上流意識から非協力的態度を崩そうとしないモイドール家の人々と戦いながら、モンクは執拗に正義を実現することをめざして奮闘する。四ヶ月前に記憶を失ったモンクには、そうすることでしか埋めることのできない大きな欠落があるからだった。

 おもしろかったー。トリックというより、人間描写の濃さと時代背景のていねいな書き込みが楽しい一冊です。事件は意外な顛末を迎えますが、犯罪の解明そのものよりもモンクの捜査過程で浮かびあがる人間関係や登場人物の個性が興味深い。被害者とそれをとりまく家族の、名家らしい込み入った関係から醸し出されるうさんくささ。証言によって断片的に浮かび上がってくる事実の、どれが真実なのか。そういった死者の人間性をあきらかにしてゆく作業には、興味が尽きません。
 あと、お屋敷の使用人のうちわけとか、小間使いや従僕は容姿が大切だったとかいう、こまごまとした時代のうんちくも面白い。まったく実生活の役には立たないのだけど、そういうディテールになんとなくときめいてしまうんですよね、私って(苦笑。
 それから、一般的にはまだ認められていなかった存在である自立した看護婦ヘスター・ラターリィとモンクの、お互いに虫が好かないながら相手の人格や境遇に共感は抱いている、喧嘩すれすれのやりとりが楽しい。記憶を失ったモンクの不安定な心理が話にさらなる奥行きを与えています。

 シリーズ一作目を読んだのは数年前(1995でした。十年前やん)のことですが、どうしてすぐに続きを読まなかったのだろう。さっそく読まなくちゃー、と思ったのですが、なんとシリーズはこのあと翻訳されていません。しかも、二冊とも絶版です。なんでだー。こんなに面白いのにー。

転んだ 2004.9.6(月)

 階段で転んでしまいました。上方ばかりを見ていて段が始まっているのに気づかず、足を踏み出したとたんにひっかけて、膝と腿と肘をしたたかうちつけた。痛みと精神的なショックで、しばらく身動きできなくなりました。
 しかも、転んだのは地元警察署の表玄関前です。落とし物を保管しているという連絡があって、取りに出かけた矢先の出来事でした。初めての警察署で無様に転ぶ……。これはネタでしょうか。

 帰って服を脱いでみたら、見事にあちこち青あざになってました。すぐさまべたべたと湿布薬を貼りつけました。不幸中の幸いは、警察署がとっても不便なところにあるので人通りがほとんどなくて、私が転んだことに誰も気づかなかったことか。

 もう、落とし物はしたくないと、心底思いましたが、忘れ物は頻繁にやってるからなあ……。忘れ物をすぐに取りに戻らなかったら、落とし物になっちゃうんだよなあ。

 宮城谷昌光沈黙の王(文春文庫.1995.317p.540円+税)[Amazon][bk-1]読了。中国歴史短編集。

 購入してから数年間、読みかけては挫折を繰り返してきた短編集。購入したときは476円だったのに、いまでは540円です。
 短編集というのは私にとって挫折しやすい部類の形態なんですが、それは話ひとつにのめり込むのに時間がかかるのと、読み終えたあとに次の世界に頭を切り替えるのが下手なこととのせいかと思われます。さらに、この本は中国ものだったので、漢字の世界に馴染むのにも時間を取られてしまいました。だから、ひとつ読み終えるのに時間がかかり、つぎの話にとりかかるのにも時間がかかり、そのうちに以前読んだ分を忘れ去って読み返すのが億劫になって……ということになって、しばらく放っておくともう全然思い出せないので、またも最初の話から読み返して、というのを四回くらいやったのではないかと。読み返すたびに、「読んだはずなのに覚えていないなあ……ため息」でしたが、今回未読消化を自分に課して、ようやく最後まで読み切りました。

 収録作品は「沈黙の王」「地中の火」「妖異記」「豊穣の門」「鳳凰の冠」の五編。中国の歴史は明るくないんですが、たぶんかなり昔の方が舞台になっているんじゃないかと思います。一番下って春秋時代ですからね。
 この中で一番興味深かったのは「沈黙の王」でした。言葉の不自由な王子が放浪の末に代弁者を得て帰還し、のちに文字を最初に作った人となる、という話。王子と代弁者の出会いをもっと劇的に、くわしく具体的に描いてくれたらファンタジーになったのにと、余計なお世話を考えてしまった話でした。
 「妖異記」と「豊穣の門」は、独立して読めるけれどもつづきもの。笑わぬ美姫の誕生のエピソードがかなりすごい。すごいのにさらりと読ませてしまうところもすごい。ここであれ、と思ったのは中国では竜と龍は別物なんだっけかということでした。ちょっと疑問に思ってもそのまま読み流してしまうのが私の悪い癖です。
 「鳳凰の冠」は、恐妻家の父親と陰険な母の間に生まれた後の名宰相の、初恋と出世のお話? なんか歴史物の短編は焦点がはっきりしないなあと感じたが、これは私の読み方が変なのでしょうか。それから、女性の描き方がなんともいえず両極端なのがちょっとひっかかるのですが。お母様の呪いをいうならば彼女をもっと超自然的な存在にしてくれれば楽しかったのにとか。そんなことをしたら歴史小説ではなくなりますか。

 ともあれ、文章は淡々といにしえの世界を描いて重厚。よけいなことはいっさい書かれていないのに、漢字からにじみ出るあじわいというのか、陰影が感じられます。ほんとうに淡々としているので無理に興奮させられるような場面がなくて、眠る前に一編ずつ読むのに最適でした。これは短編だからでしょうか。著者の長編はもうすこしぐいぐいと突き進むかんじがあったように思うのですが、文章としてはこちらの端正なたたずまいのほうが好みかも。なんか、もう一冊読んでみたいなという気分になりました。短編で。そしてまたおなじことを繰り返すのかもしれませんが…(苦笑。

 2004.9.5(日)

 斎藤美奈子文学的商品学(紀伊国屋書店.2004.253p.1600円+税)[Amazon][bk-1]読了。「商品情報を読むように小説を読んでみる」、『妊娠小説』以来十年ぶりの文芸評論。

 じつは『妊娠小説』どころか、著者の本は一冊も読んだことないんですが、雑誌に載った短文は読んだことあります。そのときの印象は、書きにくいことをきっぱりと書く人だなあ、でした。
 この本はたしか某新聞の文芸欄で紹介されていたのに興味を持って、予約を入れてみたもの。小説における商品の描写や取り上げ方を詳細に検証して、作品中における商品の役割などを考える本。商品といっても、服や食べ物以外にバンドとか野球とか貧乏とかいった、物質として売ってるものではない商品も扱っております。

 読んでいて思ったこと。知らないことを知ったかぶりして書くのは恥ずかしいが、知ったかぶりの文章を読んでもそうと見抜けないのは、哀しい。その逆も(力の入った描写を知識不足により堪能できない)哀しい。ささいなモノにも意味を与え、味わいを演出するのが作家の腕である。

 本を読んでいて印象に残るのは服より食べ物であるわたしの場合、おいしそうなメニューの羅列よりおいしそうな描写を読んだときの方がわくわくします。メニューだけじゃ想像できない、という知識不足もありますが(苦笑。でもやっぱり、記号だけじゃあじわうことはできない、と思うのです。実生活ではそんなに食べ物に対する興味がないんで、こんな私でも「この○○食べたい」と思わせてくれるような描写には素直に感謝いたします。そんなことでもないと食に対する関心がどんどんうすれてしまう…。これは本とは関係ない話ですが。

 それから、カタログ文学、というものの存在をあらためて認識しました。たしかに、商品をお題に据えた短編なんかは見たことがあるんだけど、なるほどそういうジャンルなのかーと納得した。商品を扱っていなくても、お題小説なんかはここにくくられるのかも。こういうものをたくさん書くのは職人的な小説家の人かな、という気がする。

となりの小学校は31日からはじまってる 2004.9.1(水)

 9月になりました。前サーバーとの契約は今月いっぱいですので、移転告知もそれまでとなります。リンク、ブックマークをされているかたは、変更を御願いいたします。

 まだやっぱり暑いです。予想ではからりと晴れるということだったのに、周辺はべっとりねちねちという感じがつづいている。おかげで、よくなったはずのあせもが復活を遂げてしまいました。はやく涼しくならないかなあ。

 小学校が一日早く始まったのは、二学期制が導入されたからです。秋に秋休みを無理矢理つくるために、夏休みを一日縮めたらしい。夏休みの前に終業式はなかったし、だから始業式もやってない。つまり、夏休みは長々とつづく週末みたいなものなのか。というわけで学校のたたずまいも平日みたいで、しずかなものです。今日は避難訓練があってそれなりに騒がしかったですが。もしかして、もう給食も始まっていたりして?

 駒崎優花嫁の立つ場所 黄金の拍車(講談社X文庫ホワイトハート.2004.213p.580円+税)[Amazon][bk-1]読了。十三世紀イングランドを舞台に、事件に巻き込まれる若い騎士たちを描くシリーズ第四弾。『針は何処に 黄金の拍車』のつづき。

 一二七八年の冬、ストックスブリッジの若き領主リチャードとその従兄弟ギルフォードは、シェフィールドを訪れた。かれらは立ち寄った酒場“赤い鹿”亭でかれらは思いもかけない光景を目撃する。寡黙で無愛想で腕っ節のつよいピートという親父が営む男ばかりでむさ苦しいはずの店内に、見たことのない若い女の給仕が働いていたのである。行き倒れだったというモニカという女は、行く当てができるまでとピートに頼み込んで働かせてもらっているという。わけありらしい身の上については司祭ジョナサン・ハワード以外誰も知るものはなく、さりとて探りを入れる勇気は持ち合わせぬふたりは、そのまま執行長官の待つ城へ出向いて、オーソンという男をストックスブリッジの書記として連れ帰ることになった。

 このあいだ読んだばかりのヒル『死者との対話』にはパスコー警部の神経を逆なでつづける、もとシェフィールドの病院職員というのが登場するのですが、この人物がパスコーに「なぜシェフィールドにいるはずのお前が」といわれたときに、なんか聞いたことのあるような……と感じたのは、このシリーズのせいでした。そうか、ダルジールがいるのはこのふたりがいた場所から近いのか……。どちらもフィクションなのでそんなことを考えてもまったく無意味なのですが(笑。

 タイトルに花嫁なんていう単語が出てきますが、主役ふたりにはまったく関係のないことでした。今回は“赤い鹿”亭亭主のピートが影の主役ということで。あいかわらず、リチャードとギルフォードは巻き込まれ役でありまして、ほとんどシェフィールドやストックスブリッジとおなじような舞台背景と化しております。いや、物語進行を助ける狂言回しですか。けっきょく、ストックスブリッジの書記はどうなったのでありましょう。このシリーズが淡々としているのは、主役ふたりの他人との距離が、あまりにも一定しているからのような気がしてきた。若いのにあんまりはじけないんだよなー。もっと傷ついたり喜んだりするシーンがあってもいいのでは。あっさり読めて楽なんですが、すこし物足りなさも感じます。

Amazonでサーチ>>「黄金の拍車」既刊


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