2004年8月のdiary
■2004.8.3 /『犬は勘定に入れません あるいは、消えたヴィクトリア朝花瓶の謎』
■2004.8.4 消化剤を飲んでも重たい/『運命は剣を差し出す 1 バンダル・アード=ケナード』
■2004.8.6 真夏の午後三時(特に意味はなし)/『家守綺譚』
■2004.8.9 タイプ別性格判断/『夜の果てへの旅 ブローデル国物語』
■2004.8.13 最終兵器バナナ/『カオス レギオン 04 天路哀憧篇』
■2004.8.19 アイスゆずティー/
■2004.8.22 アテネオリンピック/『魔宮の攻防 グイン・サーガ91』/『復活の朝 グイン・サーガ92』/『熱砂の放浪者 グイン・サーガ93』
■2004.8.27 巨漢の呪い?/『海より生まれし娘 上 シャーリアの魔女1』
■2004.8.29 /『死者との対話』
レジナルド・ヒル(秋津知子訳)『死者との対話』(ハヤカワミステリ.2003.582p.1900円+税
Reginald Hill "DIALOGUES OF THE DEAD",2001)[Amazon][bk-1]読了。現代イギリスの中部ヨークシャー州を舞台に、巨漢の警視ダルジールとその仲間たち(?)が事件に挑む、ミステリシリーズ十七冊目。
新聞社と図書館が共同で主催した短編コンテストは、大方の予想に反してかなりの応募数を集めた。ところが、応募原稿の中から、現実の事件を彷彿とさせる不審な内容を含んだものが発見された。当初は偶然の一致と見なされたのだが、ほどなくおなじ作者のものと推測される二通目の応募作が届いた。そしてそれは、つい先日起きたばかりの事故が殺人であることを示唆する内容だったのである。下読みをした図書館司書ライから相談を受けた中部ヨークシャー警察の若手刑事ハット・ボウラーは、彼女の気を惹くためにとりあえずの調査をしてみることを約束する。
殺人を犯すたびにその内容を謎めいた手法で記した短編小説を送りつけてくる「ワードマン」。殺害の理由も被害者を選ぶ基準もわからず、送りつけられた小説の意味も不明。異様なまでに言葉遊びに執着する犯人の意図は何か。紆余曲折する連続殺人事件の捜査にからんで、若手刑事の恋愛と、パスコー主任警部の人生模様、さらに巨漢ダルジールの存在感あふれる活躍(苦笑)と、いずれ劣らぬ個性的な容疑者と被害者たちの姿が描かれる、今回はかなりパズラー寄りの一冊。英語の言葉遊びと、聖書の詩篇がばんばんでてきました。いつものことながら、いろいろとお勉強できる話です(苦笑)。
シリーズも十七冊目だそうですが、この本、巻末にシリーズのタイトルリストがついてない。調べてみたら、この間読んだ『ベウラの頂』のあとにすでに一冊出ているではありませんか。どうりで、意味不明のところがあると思ったよ(しくしく。
あいかわらず、教養にあふれた部分と下品な部分が渾然一体のダルジール警視。お似合いのパートナー、キャップ・マーヴェルの息子さんのお祝いパーティーで、キルト姿でダンスを披露するシーンには大笑いさせていただきました。若手刑事がダルジールの態度に一喜一憂する姿がかわいらしい。パスコーがボウラーにかつての自分を見るような気分で「生意気なやつ」というのに、歳を取ったなあと。パスコーの連れ合いのエリーさんは相変わらずパワフル。このシリーズ、ダルジールが性差別的なことを言いたい放題なんですが、実際に出てくる女性は結構豪傑ばかりなんですよね。
謎解きについては私には評価することができませんが(ほんとになんでミステリを読んでいるのか自分でもわからん;)、最後の対話では驚愕、とまではいかないにしても、ええっ、そうだったの、じゃあこのあとはどうなるの、と大変心配になりました。
しばらくぶりに読んだダルジールものはとても楽しく、おもしろかったです。読み忘れたシリーズを探してみるか。
・Amazonでサーチ>>「ダルジール警視」シリーズ既刊
オリンピックも終わりに近づき、私の熱はそれより早く醒め、暑いような涼しいような微妙な境界線上の日々が数日つづいております。胃の状態はだいぶん改善いたしました。バナナ以外のものを食べてもだいぶ平気になってきた。
ところで、今日あたりは台風接近の影響なのか、すこし蒸し暑いです。湿度が上昇中です。よって、関節が痛い。
なにかのはずみに親指関節がロックされてしまいました。伸びきったまんまで、曲がらない。昨日ときょうで、右と左そろい踏みです。左は一時的だったんですが、右はまだ治らない。曲げようとすると、とてつもなく痛い(涙)。親指がないと道具が扱えません。人間じゃない。タオルも痛くて絞れないんで、風呂に入ったとき大変不便でした。でもパソコンのキーは打てる。というのも、いつも親指は使っていないから(汗。
この事態はもしかして、太っちょアンディのキルト姿で笑い転げた罰なのでしょうか。ぶあついポケットミステリを読んでいるときになったので。読んでいるのはヒルの『死者との対話』[Amazon][bk-1]です。
今週はなぜかミステリばかり借りてきてしまいました。そういう気分なのだろうか。
ダイアナ・マーセラス(関口幸男訳)『海より生まれし娘 上 シャーリアの魔女1』(ハヤカワ文庫FT.2003.413p.780円+税
Diana Marcellas "MOTHER OCEAN,DOUGHTER SEA",2001)[Amazon][bk-1]読了。異世界ファンタジー開幕篇。
疫病や子殺しの元凶とされ、アレマニ人によって地上から一掃されたとされるシャーリアの魔女たち。その末裔である十九歳の娘ブライアリーは、母親が魔女としての自分を認めずに死んだ後、アレマニ人のなかで治療師として生計を立てながら、ひとり海辺の洞窟に隠れ住んでいた。洞窟には代々迫害を逃れた魔女がすんでいたらしい。ブライアリーは孤独なうちに魔女たちの残した書物をひもとき、過去と未来の魔女たちへと思いを馳せていた。ある日、治療師としての仕事のために街へ出たブライアリーは、アレマニ人の伯爵メルファランの目の前で、けが人を救うために魔女としての資性をつかう危険を冒してしまう。
幾度か読みかけて放置を繰り返し、読み終えるのに一年以上かかった、ワタクシ的因縁本。未読本を片付けようと決めて最初にこの本を手に取ってからすでに一週間……やっぱり読みにくかったです。雰囲気は好みに近いんですが……相性が悪いとしかいいようがないな。
訳文のリズムと自分のリズムが微妙にあわないというのもあるんですが、話のテンポがたいへんにゆるやかで、起伏に欠ける。なんか……私が自分で書いてるんじゃないかと疑いたくなるような、身に覚えのあるテンポなんで、よけいにイライラしたのかも(大汗)。設定がきちんと考えられているのはわかるんだけれども、もうすこしストーリーを進めてほしいと、あるいはストーリーも進めてくれと、そういう感じで、話が転がり出すまでがとても長く感じました。
というわけで、これだけ読んでも、まだ話が始まったばかりとしか思えない。妻子持ちの伯爵メルファランとブライアリーのロマンスになるらしいんだけど。下巻はどうしよう。もうちょっとテンポアップしてくれるんでしょうか。読むとすると借りることになるだろうな……。お話はなんともいえないけど、魔女の資質の描写とか、獣との対決シーンなどは興味深い。伯爵家の産婆のマリナさんは好きだなと思います。あと、皇名月さんのカバーイラストも好きです。そういえば、完全にカバー買いだったなと遠い眼。
・Amazonでサーチ>>「シャーリアの魔女」既刊
ふと気づくと見つづけている、アテネオリンピック。ここ数日、身体がだるいのでその傾向に拍車がかかっていたりする。自分は何にもしていないくせに、人が懸命にがんばっている姿を見ているだけで、なにやらとても充実した時間を送っているような錯覚を起こして、なんだか幸せなんです。
とはいえ、いまのところ、ほぼすべてを見ているのは野球だけなので、はたからみると普段の生活とそれほどかわらないような気もしますが、それでも朝から高校野球に五輪、そしてプロ野球と見続けるとかなり疲労するものだということがわかりましたので、途中からプロ野球を捨てました(おい)。高校野球は駒大苫小牧が優勝して幕を閉じたので、これからはしばらく五輪に専心しようかと思います。
五輪の試合では、とくに横浜から連れて行ってもらったふたりが出ると緊張します。妹曰く「わざわざ連れてきたからって、試合で必ず使う必要はないんだからね」。私もそう思う。
栗本薫『魔宮の攻防 グイン・サーガ91』(ハヤカワ文庫JA.2003.310p.540円+税)[Amazon][bk-1]
栗本薫『復活の朝 グイン・サーガ92』(ハヤカワ文庫JA.2003.311p.540円+税)[Amazon][bk-1]
栗本薫『熱砂の放浪者 グイン・サーガ93』(ハヤカワ文庫JA.2004.313p.540円+税)[Amazon][bk-1]読了。『恐怖の霧 グイン・サーガ90』のつづき。
先日、積み重なった本を既読と未読に分けているときに、山の中から上記の2冊を発見。このところ、気力がなくてだらけていたけれど、これならば疲れた頭でも大丈夫そうだと思えて読みはじめたところ、やっぱりすらすらと読めてしまいまして、ちょうど出かける機会があったのでつづきも一冊買ってしまいました。放置期間が長かったので、すでに四冊も続刊がたまっていて、おまけに本屋には最新刊とその前の巻しかおいてないという。いまさらのように、すんごい大長編であることよと感心しましたが、いまこの時点で新しい読者は開拓できているのかいなと、ふと思う……。
この三冊のストーリーはキタイの侵略で大いに揺れたパロがいちおうの決着を迎えたところからいっきにとんで、舞台はいきなり物語の核心、ノスフェラスへとうつってゆくという激動の展開でした。アモンとの対決はそういう展開なのか……と思いましたが、グインが根源的な問いに立ち戻ってきたので、ちょっとつづきへの興味が高まっております。もうじき百巻到達ということで、なにやらイベントの企画などがあるみたいですが、けっきょく、最終的には何巻になるんでしょうね、このシリーズは……。
以前にも書いたかもしれませんが、このシリーズ、一冊一冊をちまちまと読んでいるとじれったいのですが、二、三冊まとめて読むと話が大掴みできていいようです。なんでじれったいかというと、それは多分描写や回想がむやみと多いからだろうなあ……。(回想は、これまでの積み重ねが積み重ねなので……まあ致し方ないか。)台詞もこれでもかってほど長いし。あと、心理描写も多くなってるし。たぶん、作者はあふれてくる言葉をそのままに語りつづけているのだろうなと、今回続けて読んで感じました。それでも別段物語は支障なくつづいているのだから、やっぱりすごいことはすごいと思う。けど、装飾過多でまどろっこしいので、とくに骨太で重厚だった(ような記憶のある)冒頭の雰囲気を期待しているとうんざりするんだよなあ、ということもわかる……。というふうに、その時々によってどっちつかずのまま、ふらふらと読みつづけているわけですが。
まあ、こんなに長い話なんだから、荘厳さや気高さを求めるより物語の流れに身を任せた方が正解なのではないかと、最近の私はそう思うようになった次第です。なんだかだいいつつ、この話がどうなっていくのかを知りたい、という気持ちはまだあるので、そのあいだは読みつづけるような気がする。たぶん。おそらく。(続きはまだ買っていませんが)
・Amazonでサーチ>>「グイン・サーガ」既刊
東京の予想最高気温摂氏37度の木曜日、心の中で涙をだらだらと流しながらの通院です。
なにが嫌と言って、真夏の通院ほど嫌な外出はありません。体調悪いのに、なんでこんな過酷な条件の日にわざわざ出かけなきゃならんのだ。予約制だから、仕方ないんだけどもさ。それに、いつ行ってもいいとなると、延々と引き延ばして薬がきれてしまう可能性もあるから、やっぱり仕方ないのか。
午前中は気分が悪くなる可能性があるので、最寄りの駅まで自家用車で送ってもらうことにし、冷房ぎんぎんの電車にゆられること、小一時間。途中の乗り換えで席に座ることができなかったため、かなりへろへろになって終着駅に到着。
そこで、私の眼をとらえたのは、駅構内にある喫茶店の店頭に掲げられたひとつのポスターでした。
「アイスゆずティー 230円(だったとおもう)」
グラスになみなみと注がれた琥珀色の液体にぎっしりと浮かぶ、砕いた氷のきらめき。
冷えた中身をあらわすように、グラスの腹にしたたる水滴。
ああ、飲みたい。飲みたいよー。
が、まだ昼ご飯には早すぎる(なにしろ、まだデパートが開店していなかった)。
でもあとでここで昼をとるには、寄り道をすべて終えてからか、寄り道をあきらめるかしないと駄目だ。
しかし、アイスゆずティーへの渇望がしっかりとインプットされた私は、まさしく疾風のごとく予定をすませて、駅構内にふたたび舞い戻ったのであった。
ふふふ。こんなに何かを口にするのが楽しみだったことが、ここ数ヶ月の間に一度でもあったろうか。
ひとくちめは、かなり甘い! と感じたのだけど、それはまだ冷えていなかったからで、氷が溶けてゆくにつれ甘みはほどよくうすれて、すこし酸っぱく、そしてなにより、ゆずのゆたかな香りが心を洗う。レモンティーみたいな時間が経つとともに増えてゆく苦みも、あんまり気にならない。
あー、なんかとても幸せだ。きょう、私がここにやってきたのはこれを飲むためだったのかと錯覚しそうになるくらい。かなりオーバーだけど、今年の夏で一番しあわせなひとときだったのではないかと思います。
しかし、アイスゆずティーくらいにしか幸せを感じない私の夏って、もともと夏は苦しいとしか思えないからしかたないけど、かなり哀しいような気が。
以上、購入。
グイン・サーガは積ん読本を整理したら未読が2冊出てきて、それを読んだばかりだったので、つい。
朝食のヨーグルトで胃もたれを生じるようになった情けない私ですが、なんとか不快な状況に陥らずに朝食べられるものをひとつ、発見しました。
その名は、バナナ。
ヨーグルトの代わりにバナナを食べてみると、このところずっと食後一時間くらいから二時間くらいまでに襲われていた「ここに胃があります。一生懸命働いています。でもつらいです。消化するのに体力が必要です」な状態が発生しないんです。
調べてみるとバナナは健康食品。消化がよく、栄養価も高い。カリウムなんかも入っているので熱中症予防にも効き目あり。さらに食物繊維が豊富で、便秘の予防にも有効。なんと、私にとってはいたれりつくせりな食べ物ではありませんか。
ただ、問題なのは、バナナ好きな方には申し訳ありませんが、バナナを食べても楽しいとかうれしいとかまったく感じない、私の味覚です。
なんといいますか、朝起きて「さあ、きょうもバナナが食べられる、うれしいな」とはどうしても思えないのです。むしろ「ああ、またバナナしか食べられない。つまらない」となんとなく感じてしまうわけです。もうすこし酸味があったり色が鮮やかだったりしてくれると、すこしは気分が違うように思うのですが。
とはいえ、あの不快な胃もたれが発生せず、すぐにおなかがすいて気持ち悪くなることもないのだから、とりあえずバナナには感謝するべきでしょう……ね。
冲方丁『カオス レギオン 04 天路哀憧篇』(富士見ファンタジア文庫.2004.471p.680円+税)[Amazon][bk-1]読了。『カオス レギオン 03 夢幻彷徨篇』のつづき。
北の海へ向けて、大陸を滔々と流れるネルヴァ河。黒印騎士団ジーク・ヴァールハイトとその従士ノヴィアの一行は、反逆者ドラクロワに呼応するものたちへ流れる物資がネルヴァ河へと集積されていることをつかみ、河畔の都市へと訪れた。ジークに街をよく見ておくようと命じられたノヴィアは、妖精アリスハートとともににぎわう街中をそぞろあるいていたが、そこで大切な金の入った袋をひとりの少女にすりとられてしまう。怒りにかられて追いかけるノヴィアは幻視の力で金の矢を解き放つ。その目の前で、スリの少女は空気を踏みつけるようにして空中を駆け上がった。少女は聖堂によって足に〈踏むもの〉の聖印を刻みつけられた孤児だったのだ。
『月刊ドラゴンマガジン』に連載された連作短編を大幅に加筆修正したもの、であるせいか、ひとつひとつのエピソードの区切りがはっきりとしている気がして、一息には読めませんでした。この分厚さもかなりのところその要因ではありますが。それに、暑さで集中力も落ちている。
今回はノヴィアちゃんに同じ年頃のライバルが出現。ことあるごとに衝突を繰り返し、お互いに成長してゆく、青春友情物語が基調です。
それに専制君主の暗さを発揮するレオニスくんと、あるじ思いのトールの物語。さらに、レオニスに雇われたジークへの復讐に燃えるぬめる串刺し人間アキレスと、相変わらず超然とすかしているドラクロワとその屈折した思いの産物○○○さんとジークの物語が加筆されて、かなり複雑なお話になっている。でも読んでいて疲れないのは、文章の多少強引さをも含む歯切れの良さと、派手なアクションの炸裂で発散されるからか。
「ジーク・ヴァールハイトが招く!」の決め台詞は、何度読んでもかっこよいですね。アニメのようにBGMと効果音を背負った戦闘シーンが眼に浮かびます。
ノヴィアちゃんと宿敵キリの間柄は、正直言ってお子様どうしかなーとか。アリスハートがノヴィアとはなれて、ジークの懐で泣いているシーンが好きーとか。レティーシャの出てくるシーンを読み解くのはつかれるよーとか。アキレスと友人とあるじの三角関係は何かに似ているーとか。暑さ負けの頭に浮かぶのは、どうもたわいもない感想ばかりです。シリーズは次巻で完結とのこと。そのときにはこの暑さは収まっているでしょうか。
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由良さん、有里さんの日記でやっていた、タイプ別性格判断に挑戦してみる。私の結果は「ISFP:見ているだけで口は出さない」でした。
つねに傍観者であろうとするが、他人に対する愛情や感じやすい心がないわけでもなく、人生を楽しむ気持ちがないわけでもない。
どのタイプよりも、自分自身にも自分のまわりの世界にも関心がある。
ISFP型は人を指導したり支配したいという気持ちがあまりない。
植物でも動物でも人間でも、協調して暮らしている姿を見たいという気持ちが強い。
相手に押し付けがましく干渉するのではなく、側面から励まし、相手の能力を発揮させてやりたいと思う。
まわりの人の暮らしにはそれぞれ本来の境界があると考え、それを尊重するあまり、人によっては他人に制限や枠を課さざるをえないこともあるのがなかなか理解できない。
押し付けがましくない性格から、一見、指導力に欠けているように見えるので、ほかの人から無視されたり、ごり押しされてしまいがちだ。
ある意味では、十六のタイプのうち、もっとも目立たない存在である。
私にとっては選択するのが難しい項目が多くて難渋しましたが、それも結果に反映されたのか、微妙にあたっているようなそうでもないような。
しかし、もっとも目立たない存在というのは受けた。たしかにそう。小学校のとき、クラス全員にあてて手紙を書く、というイベントがあったんですけど、みんな私についてはおとなしい以外に書くことなかったみたいだった。妙なことを思い出してしまったぞ(苦笑。
そんな子供時代についての記述がいちばん当たっているかなと思ったのですが、それはこんなふうでした。
ISFP型の子どもはしばしば、どこといって特定の場所を目ざすわけでなく、のんびりと興味の向くまま探検をする。
ひとりでいるのが苦にならず、決まりや時間や家族の事情など気にせずに、自分のまわりの世界を探検するのである。植物や動物も兄弟姉妹や両親もその世界の一員なのだ。
「どこといって特定の場所を目ざすわけでなく」「のんびりと」「興味のむくまま」ってのが、ものすごく私とおんなじ。母親にこの結果を話したら大受けに受けていたので、端から見ていてもそうだったんだな。いまもぼんやりものから脱却できないのは、根がそうだったせいなのか。うーむ。複雑。
橘香いくの『夜の果てへの旅 ブローデル国物語』(集英社コバルト文庫.2004.251p.520円+税)[Amazon][bk-1]読了。
「サンク・ヴェリテの恋人たち」につながるブローデルを舞台にしたロマンティック・コメディーシリーズの枝葉篇。主役はシャロンの弟のテオ君。ときは『翠緑の森の騎士』[Amazon][bk-1]よりさかのぼること三、四年?。男爵となったばかりのノガレ家の、成り上がりというにはあまりにも素朴かつお人好しで的外れな奮闘ぶりを冷めた目でながめる十歳のテオ君が出会う、初恋と厳しい現実のお話。わき筋ですが、十三歳のシャロンの転んでもただでは起きない性格と、仮面舞踏会でのラウールとのすれ違いが楽しめます。この程度の話ならば、二つに分けて、番外短編でもよかったんじゃないかとも思いましたが、思い煩うことなく楽しめたので、とりあえずよしとします。
シリーズタイトル「ブローデル国物語」が復活しているのはなぜなのだろうと思っていたのですが、たしかにこの本「サンク・ヴェリテの恋人たち」では出しにくいのかもしれません。けれど、関連作品である場合、タイトルは統一してくれた方が読み手としてはありがたいと思います。ぜんぜん気がつかないで、素通りしてしまう可能性が排除できませんから。どちらかというと、「ブローデル国」のほうを総タイトルにした方が収まりがいいと思うのですけど、やっぱり営業上の戦略というものでしょうかね、これは。
購入本。ゲットするためにまた繁華街まで出てしまった。
しばらく変則的に通院をしていたせいで、何度か二週に一度の図書館通いが三週に一度になって、必然的に貸し出し期限(二週間)を超過していた私。しだいに予約本の到着と延滞を知らせる電話におびえるようになりまして(今年に入ってもう五回くらい受けていたりする)、今週は病院がないから期限前に返せるわ! といさんで図書館へ出かけたのですが、こういうときに限って予約した本は一冊も到着していないのでありました。
途中、思い出して寄ってみた図書館の近所の本屋は、いつのまにやら閉店して「テナント募集」の貼り紙が張ってあるし……○○書店、おまえもか。
このところ、湿度が高くて蒸し暑い。台風転じて熱帯低気圧に吹き込む湿った南風の影響でしょうか。窓は全開なのに自室の湿度が常時80%を上回ってます。からだにカビが生えそう。あせもがいつまでたっても治りません。もう、薬を塗り始めて一週間くらいにはなるのに。
朝食後、すぐ動き出すと気分が悪くなるので、しばらくおとなしくしてラジオを聴いてました。
五十九回目の広島原爆の日。
梨木香歩『家守綺譚』(新潮社.2004.155p.1400円+税)[Amazon][bk-1]読了。
百年前くらいの日本を舞台にして、あやかしと、親友の家の留守を預かり、物を書いて暮らしている「私」との静かな交流を描く連作短編集。
就寝前にすこしずつ読み進めていました。寝る前に本を読むと神経が興奮して寝付かれなくなるものですが、この本はすこし違った。しみいるような、物静かな読後感で、なんとなくしあわせに眠りにつくことができたのです。(とはいえ、熱帯夜が暑くて寝苦しいことにかわりはなかったが)
描かれているのは、今市子の『百鬼夜行抄』を彷彿とさせるような、こことあちらの境界でのちいさな事件。簡潔な言葉であらわされる日本の四季の豊かさが、普段自然などほとんど実感せずに暮らしている私みたいなものにもなんだか懐かしい。
巻き込まれるタイプの主役「私」は、異様な出来事に驚くほど警戒心や不安を抱かず、すべての出来事をあるがままにうけいれてゆく、浮世離れした人物。湖で行方不明になった親友との再会に自然に応じる様は、やっぱりこういう不思議な物語の主人公は気質の勤め人ではつとまらないなあと思わされました。
しずけさとなぜかつめたい水の気配を感じさせる、味わい深い一冊でした。
朝食後、二時間つづく胃の違和感が発生して二週間。
そういえば去年もこんな症状に悩まされたような記憶が。
歳とともにあちこちがたがきていることを実感します。
先日はプチプリンを食べただけで胃もたれだもんな……。
こんなに懸命にヨーグルトを咀嚼しなければならない日がやってこようとは。ヨーグルトって、いままでほとんど丸呑みしてたんだなー。
駒崎優『運命は剣を差し出す 1 バンダル・アード=ケナード』(中央公論新社C・NOVELS Fantasia.2004.218p.900円+税)[Amazon][bk-1]読了。中世イングランドを舞台にした「足のない獅子」シリーズの著者の異世界ファンタジー。開幕編。
戦場となった平原を行く、一本の街道。雨もよいの夕暮れ時、馬車を走らせていたヴァルベイドは、負傷のために置き去りにされた若い兵士と、かれを守るようによりそう白い狼に出会う。農民のようななりをしていたが、兵士は名にしおう傭兵隊バンダル・アード=ケナードの現隊長ジア・シャリースだった。医師としてシャリースの手当をし、ついでに護衛として彼を雇ったヴァルベイドだが、自分だけでなくシャリースまでもが追われる身であったことを後に知る。ふたりの道行きは、それぞれの追っ手をかわしての物騒なものとなってゆく。
男たちのアクションが軽妙な会話とともに連続する、異世界冒険活劇(?)。舞台は異世界ですが魔法は出てこなくて、おもむきとしては戦乱の中世ヨーロッパといった感じでしょうか。風俗描写がすくないわりにしっかりとイメージが伝わってくるのがよかったです。
戦のつづく殺伐とした世の中を、シビアな体験を積みかさねながら、みずからの技量のみを頼りとして渡り歩いてきた傭兵隊長ジア・シャリース。どんな窮地も深刻になりきらずに軽妙に脱出してゆくこの人の魅力が、この話の最大のチャームポイントですね。作者が入れ込んでいるのがとてもよくわかりました。かれによりそう白い狼エルディルがかわいい(といっていいのか;)。
なぜか剣が使える不運なお医者ヴァルベイド氏も、なかなかつかみ所のないキャラクターです。感じるのはふたりとも大人である、ということかな。シャリースに憧れる若者ディアンのエピソードは、ちょっとほろ苦いけどあたたかな後味でした。
同著者の「足のない獅子」「黄金の拍車」シリーズも好きなのですが、最近話がパターン化していることは否めなかった。しかし、今回はひさびさにキャラクターが自分で動いている話を読んだ、という気分になりました。主役級の年齢が上がるだけで物語の世界は広がるんだなーと思った。実際の人生でも年齢とともに広がる世界というのはありますよね。身体は衰えていくけれど、そういうとき、歳を取ることはけして悪いことじゃないと思う。要はどうやって取るかです。私はかなりの部分で失敗したと後悔してますが……(汗。それはともかく、敵役がちょっと類型的なのが残念でしたが、それはまだ話の全容がわかっていないからだとこれからに期待。
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コニー・ウィリス(大森望訳)『犬は勘定に入れません あるいは、消えたヴィクトリア朝花瓶の謎』(早川書房.2004.542p.2800円+税
Connie Willis "TO SAY NOTHING OF THE DOG",1998)[Amazon][bk-1]読了。タイムトラベルを実現した21世紀の史学部の学生が、「司教の鳥株」なる大聖堂の宝(?)を求めて、21世紀と19世紀を行ったり来たりするタイムトラベルミステリー。
21世紀のオックスフォード大学。タイムトラベルを学問の場に生かすためには金がいる。やっとつかまえた大口出資者のレイディ・シュラプネルは、しかし、史学部を総動員して第二次大戦で消失したコヴェントリー大聖堂再建の野望を果たそうと奮闘し始めた。史学生のひとりネッド・ヘンリーは、大聖堂にあったという通称「司教の鳥株」を求めて空襲前後のコヴェントリーに何度も降下させられるが、どうしても発見できない。度重なる時間旅行の疲労に重度のタイムラグ症候群を発症し始めたネッドを、指導教官のダンワージー教授は「休暇」としてヴィクトリア朝時代へと派遣することにする。しかし、レイディ・シュラプネルから逃げ出すようにしてあわただしく時間をさかのぼってしまったネッドは、自分がなにをするはずだったのかわからないまま、なぜかボートで川下りを始めることになるのだった。
私にとってはなかなか読むのが大変な本でした。分厚くて重かったのと気候が暑すぎるのが難でした。コメディーなんですけど、コメディーって頭脳が明晰でないと状況がすぐに理解できないんですよね……。主役の史学生ネッドの極度に混乱して感傷的な思考を通して描かれる世界にはすぐに順応できたのですが、そのせいか「司教の鳥株」がなんなのかに異様にこだわりながら読み進めてしまい、ヴェリティが出てきてメインのストーリーが動き出してしまったあと、なんだかぱたりとページを繰る手が進まなくなりました。司教の鳥株はどうなったんだよと、どうしても思ってしまうのですよ。もしかして、私もタイムラグ患者なのでしょうか(おいおい)。というわけで、司教の鳥株とはそもなんであるのかが本文中で判明したときが、気分的にもっともすっきりとしたような。そのあとでやっとストーリーにちゃんと入り込めるようになった気が……(しかしそのあとはミスターCの正体にやたらとこだわっていたのですが)。
物語の構成力はさすがだなと思いました。細部まで考え抜かれた物語を、緻密で一見して平熱な文章によって手ぬかりなく運びすすめているという雰囲気。すみずみまで気を配ってあるなーと思った。そのせいかとても話が冷静で、つねにリズムが一定しているような印象を受けました。思考能力の落ちている読み手(つまり私だ)にはすこし努力を要する文章だった。話に入り込んでいるときは面白いんですが。読んでいる私と話の中の人物たちにかなり距離があるかんじというか。
ネッドとヴェリティがあちこちの年代に飛ばされるあたりは緊迫感がつのって、おお、と感じ、それからはかなり面白く読めたのですが。
うーん。たぶん私は主人公に没入して読むひとなので、こんなに登場人物が遠いと臨場感に浸れないんですね……そうか、ネッドの視点で書いてあっても、作中、彼の心理描写は客観的にしか出てこないんだ。というか、全体的に感情的な起伏のない、それを読み手に預けている文章なんですね。だから読解力の低い今、傍観者の気分で読むしかなかったんだな。
うう、だめだ。これは暑い最中に汗水たらして読む本じゃなかったです。もっとさわやかな気候のときに、優雅な気分で余裕を持って読むべきでした。もったいない…。
途中、セイヤーズのミステリーである「ピーター・ウィムジー卿」の話が何度も出てくるとこは楽しかったです……が、言及されてる作品は全部読んでるはずなのに、そのシーンが頭に浮かんでくる事はほとんどなかった。そうだろうなとは予想はしていたのですが、現実に思い出せない自分に出会うと、やっぱりがっかりします。例外はあれですね、「僕たちはいいチームだ」とかなんとかいうピーター卿の台詞。『ボートの三人男』の予約が間に合わず、事前に読めなかったのが残念だったのですが、このぶんだと読んでいても大差なかったかも。
そんなわけで移転しました。突然ですみません。もともと9月までには移転するつもりだったので、長期更新停止を余儀なくされたのを機会に、面倒は一気にすませることにしました。
ブックマークやリンクをしてくださっている方は、お手数をおかけしますが、URLを変更してくださいませ。前サーバーは有料ですので、9月いっぱいの契約が切れると移転告知も消失します。
しかし、これだけ更新停止しといてリニューアルもしない移転って……。なにか申し訳ないので、必死になってプロフィール内の読書遍歴を更新してみました。じつはこれも、もとはといえば開設四周年の企画だったのですけどね。本のタイトルが馬鹿みたいにつらなっていて非常に読みにくいので、興味のある方だけどうぞ。
それから、ここ一週間ばかりの日記に二週間ばかりに読んだ本の感想を取り混ぜたものを、下につづけて入れておきました。読んだ日と感想の日付はめちゃくちゃですが、読んだ順だけは合ってるはず。
PowerBook液晶がイカレてからの私の苦闘の様子は、はてなダイアリーの備忘録[mac]にメモってあります。たいして面白いものではありませんが。
それでは、これからもきびきびとした軽いフットワークとは無縁な、ひたすらにずるだらな日記となるかと思われますが、よろしければおつきあいくださいませ。