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2005.10.2 /『村田エフェンディ滞土録』
2005.10.3 /『悩んでられない八方塞がり? フルメタル・パニック!』『アイルランド音楽への招待』
2005.10.6 こるせっと/『オルガニスト』『サウンドトラック』
2005.10.9 /『眠れる森の惨劇』
2005.10.10 /『鏡の森』
2005.10.11 /『空ノ鐘の響く惑星(ほし)で 7』
2005.10.12 /『彩雲国物語 欠けゆく白銀の砂時計』
2005.10.15 /『ロマンシング サガ -ミンストレルソング- 皇帝の華』
2005.10.18 /『彩雲国物語 心は藍よりも深く』
2005.10.19 /『月の光はいつも静かに』『蛇の形』
2005.10.20 /『ブラックベリー・ワイン』
2005.10.21 /『霧の中の二剣士 ファファード&グレイ・マウザー3』
2005.10.22 /『八妖伝』
2005.10.23 /『蘭月闇の契り』
2005.10.30 /『ブルースカイ』
 2005.10.30(日)

 桜庭一樹ブルースカイ(ハヤカワ文庫JA.2005.375p.680円+税)[Amazon][bk-1]読了。1627年ドイツ、2022年シンガポール、2007年日本。“少女”によって時空を超えてつながる三つの箱庭の物語。

ブルースカイ

 西暦1627年、ドイツ。ライン川沿いの水車小屋に年老いた祖母と暮らす十歳のマリーは、五年前にこの地にやってくる前のことはなにひとつ覚えていない。祖母とマリーはレンスの街のものにはいつまでもよそ者だったが、風変わりな祖母にまもられたマリーは貧しいけれど平穏に暮らしていた。街で一番うつくしい女性クリスティーネ・マルクに魔女の嫌疑がかけられるまでは。
 西暦2022年、シンガポール。大人になれない悩みを抱える中国系シンガポーリアンのディッキーは、3Dグラフィックデザイナーの仕事で同僚女性のプログラムした少女のAIとかかわるうちに、奇妙な感覚を味わうようになる。
 そして西暦2007年、日本。ひとりの女子高生の最後の三日間がはじまる。

 読み終えたのはかなり前なのですが、あらすじを書くのに手間取っているうちにずいぶん時間が経ってしまいました。あらすじが書けないというのは、ようするに話を理解できてないって事なんですよね。書こうとして何回か読み返したのですが、やっぱりうまく把握できなくて、結局こんなふうに三部構成の冒頭を抜き書きしたみたいなことになってしまいました。

 お話には、それほどとまどわずに入ってゆけました。『GOSICK』の世界ともそんなに違和感がありませんし。けれど話が進むにつれて、あーこれはたしかにハヤカワ文庫でライトノベルじゃないなーという感触が増してゆき、第一部の終わりあたりではSF的な謎解きに大いに期待することになりました。しかし、第二部は一転して近未来SF的ではあれどきわめて日常で平穏な話がつづき、なんだかよくわからないままに第三部に突入していったのです。このあたりで私には手に負えないんじゃないかという予感がひしひしと(苦笑。

 けっきょく、私の知りたかった話の大枠ははっきりとは解説されないままに終わりました。ほのめかされているような気もするけど、私には読みとれなかった。この話の目的は謎を明らかにすることではなかったようです。それぞれの主人公が象徴している“少女”という存在を現象として描いてみた、それもあまり理屈っぽくない表現で――というものだったのかなあと……鈍い頭で考えてたどりついたのはそんなところでした。第三部はいろいろと心にひっかかる部分があったのですが、それをうまく伝える言葉を私は持ちません。印象には残ったけど、いまいち理解できなかった。私には高尚すぎたと思います。とくに感想書くのが難儀でした。でも、読んでいるあいだはけっこうおもしろかったので……。けっきょく、私は何でも感覚で読んでいるのですな(汗。

 2005.10.23(日)

 図子慧蘭月闇の契り(角川ホラー文庫.2001.408p.762円+税)[Amazon][bk-1]読了。古い血筋にまつわる呪いと、呪いにとりつかれた子供たちの運命を描く、艶っぽい現代日本ホラー。

蘭月闇の契り

 第二次世界大戦終戦前夜。出征前のひとときに、松山の旧家の若当主義治はただひとりの親友初田と別れの杯を酌み交わしていた。自分は戦場では死なない。徳富家の当主は口笛を聞いたときに死ぬのだから。ふしぎな言い伝えを残して義治は戦場へ行き、現実に生きて戻った。しかしけっきょく徳富家の最後の当主は義治となった。初田と興した事業が軌道に乗った矢先、火事に見舞われて死んだのだ。跡を継ぐもののない屋敷は荒廃し、やがて幽霊屋敷としての噂がひろまった。そして1983年。屋敷がとりこわされるという噂をしった小学生の真魚は、幼なじみの晶彦、伸雪、和雄とともにこっそり廃屋へと忍び込んだ。

 出たばかりの頃に購入したのですが、なんとなく雰囲気が重そうだったので後回しにしておりました。でも、久しぶりに読んだらそれほどでもなかったような。直前まで翻訳文学に苦闘していたからか、大変読みやすくて感動しましたです。
 硬質なのに湿気を感じる文章だなーと思いました。しめった空気を若さの熱で切り裂きつつも、その行為に哀しみをおぼえるような……なんかよくわからない表現ですな。読んでいると肉の存在を強く意識させられるのだけど、孤独の気配がとても濃厚で、それがエロスをさらに際だたせているような。生命の色気と死の孤独が同居していると感じる。ホラーに向いている文章なのだと思います。

 この著者の特徴は、とくに主役級の若者に一番よくあらわれてるのではないかと思うんですけど。ワルで、ずるくて、自分勝手にとんでもないことに巻き込んでくれて、それでも悪びれずに笑っていそうな危険なやつ。愛嬌があってセクシーで衆目を惹きつける華があって、だけど屈折していて影がある。周囲を振りまわしつつも、どこかさびしい。そんなかんじ。作品自体にもとんでもなく悪いヤツや、不幸だったり暴力的だったり背徳的だったりする行為や事件がけっこうでてくるんですが、全体的なトーンが寂しいので、読み終えたときにはそんなにむごい感じがしないのですよね。でも、受け付けないひとはいるだろうな。感覚的にえがかれているからなおのこと、かなり痛いし。この話について言えば、あきらかに子供向けの作品ではないですね。

 それと、理屈にはあんまりこだわっていない雰囲気もあるかな。一見ジャンルの枠があるように感じる話でも、重心は巻き込まれた人間たちの事情にあって、からくりだの原因だのにはないような。だから期待したカタルシスがそれほど得られずに、やや中途半端な印象をうける話があるんじゃないかと思うのです。この本に関しては、けっこうまとまっていた気がするのですが、どうなのかな。私自身があまり理屈でものを考えない人間だから、こういう評価はしにくいです。子供たちの物語としては面白かったと思う。

 ところで、日本を舞台にしたホラーって、湿っぽい。このあいだの『ブラックベリー・ワイン』(これはホラーじゃないけど;)とくらべると、霊的な存在も水っぽい感情をじっとりとまとってる、しかもその水には粘度があるような。話の中ではあんまり触れられていない、怨霊と取引したかれがすごした長い長い年月をおもうと、ぞーっとします。

 2005.10.22(土)

 バリー・ヒューガート(和爾桃子訳)八妖伝(ハヤカワ文庫FT.2003.358p.740円+税 Barry Hughart "EIGHT SKILLED GENTLEMEN",1991)[Amazon][bk-1]読了。架空の中国唐代を舞台にした、李高老師と十牛少年の奇想天外なミステリふうファンタジー。三部作の最終巻。『霊玉伝』のつづき。

八妖伝

 極悪人“とう宿六”の処刑見物で混雑する北京の菜市広場に、とつぜん駆け込んできた六つの人影。それは血の気を失った五人の男と、かれらを追いかけてきた人の生き血をすする屍鬼のおそろしいすがただった。さいわいにも屍鬼は日光を浴びて滅びたが、処刑も中止された。あとからやってきた山伯警部によると、屍鬼は墓泥棒が掘り返していた炭山近くの墓のなかからあらわれたものらしい。炭山は北京きっての高級住宅街である。墓にいってみると、そこには屍鬼に半ば食われた男の生首がみつかった。はたして遺体はいったいだれのものなのか。李老師は十牛をおともに捜査を開始する。

 今回のモチーフは『山海経』だそうです。『鳥姫伝』の七夕伝説などならまだしも、ここまでくると中国関係に知識のない私にはなにがなんだかわかりませんです。中国の歴史は長く、奥も深さも門外漢には想像がつきません。

 とはいえ、異民族の支配によってかつての信仰が貶められて、神だったちからあるものが鬼や悪魔とされる、というパターンはどこでもおなじなのかな。中国の神話をよく知らないないので、その貶められ加減もわからないのが残念でした。理解できればきっと最後にすかっとする話だったのだろうと思うので。

 それから、前作もそうだったのですが、どうしてこんなに意味を把握するのに時間がかかるのだろう、と泣きたくなるくらい文章の上っ面をすべってゆく自分の読解力がひじょうに嘆かわしかった。私の理解できる速度の、すくなくとも二倍くらいで話が進んでいったような気がするよ。
 李老師のおちゃめぶりが、前作までとくらべるとすこしおとなしかったようなのも残念だったなあ。そんなわけでワタクシ的にはいまいちたのしめなかった最終巻だったのでした。くすん。

 2005.10.21(金)

 フリッツ・ライバー(浅倉久志訳)霧の中の二剣士 ファファード&グレイ・マウザー3(創元推理文庫.2005.341p.800円+税 Fritz Leiber "SWORDS IN THE MIST",1968)[Amazon][bk-1]読了。異世界ネーウォンを舞台とした、金髪の野蛮人ファファードと黒ずくめの小男グレイ・マウザーの活躍するヒロイック・ファンタジーシリーズ、第三巻。『死神と二剣士 ファファード&グレイ・マウザー2』のつづき。

霧の中の二剣士<ファファード&グレイ・マウザー3>

「憎しみの雲」「ランクマーの夏枯れ時」「海こそは恋人」「海王の留守に」「間違った枝道」の短編五編に、中編「魔道士の仕掛け」を収録。

 中編だけは異世界ではなく、古代レバノンが舞台になっています。それでもあんまりほかの話と違和感がないのは、異世界ファンタジーといってもイメージの源泉は現実世界のあれこれであるってことでしょうか。でも、この人のえがく世界にはイメージ的な類似はあってもつねに現実とは異質な手触りがある。そのあたりも違和感のない理由かも。そして私はそこに惹かれてるんだろなあと思う。こういうのは作家の資質としか、いいようがないのかもしれないなーと感じました。

 ひきしまった文章で、感情移入をあまりさせずに登場人物の行動を描いていくやりかたはいつもどおり。ただ、残念なことに私のほうがその手法になじむのに次第に手間どるようになっており、読むのに非常に時間がかかるようになってまいりました。この一冊に読み終えるのに、いったい何ヶ月かかったのやら……。読書力が落ちたなーと、最近しみじみと感じます。

 なかでは「ランクマーの夏枯れ時」が一番たのしかった。ランクマーに集う神々とランクマーの神々って、別物なのですねえ。ファファードがまじめくさって修行僧をやってるのがおかしいです。マウザーが小太りになったすがたはあまり見たくはないんだけれども……こういう生活をしてれば太るわな、ということだけはたいへんによく理解できます(汗。

 2005.10.20(木)

 ジョアン・ハリス(那波かおり訳)ブラックベリー・ワイン(角川文庫.2004.475p.819円+税 Joann Harris "BLACKBERRY WINE",2000)[Amazon][bk-1]読了。ワインと共に甦った古い想い出が、長期スランプ中の小説家を思わぬ方向へとつきうごかしていく。辛辣でありながらもほのぼのとしたマジカルな物語。『ショコラ』の姉妹編。

ブラックベリー・ワイン

 十四年前、ジェイ・マッキントッシュは、少年の日の想い出をつづった長編小説『ジャックアップル・ジョー』で一躍小説家としての名をあげた。しかしその後は短編をいくつか書いただけで、待ち望まれた長編はひとつも完成していない。じつは彼は別名で二流のSF小説を書いていてそこそこに売れており、大学の小説創作コーナーで講義もしていた。しかしおおかたの時間は無為に流れていってしまった。そのあいだにテレビ映えのするジャーナリストになり、ついに本まで刊行したガールフレンドはジェイを臆病者だと批判した。ジェイはかつて働いていた魔法を呼び覚まそうと、ワインの瓶を手にとった。手書きで“スペシャルズ'75”と書いたラベルが貼ってある、不思議な老人ジョーとの夏の日々がつまったワインのうちの一本だ。封を切り、立ちのぼった芳香に、過去の匂いが衝撃となってジェイを襲う。

 現実の中にあるささやかな魔法。それはたんなる謎だったり、偶然だったりするのかもしれないけれど、ひとびとの行動にわずかばかりの影響を与えて、ときには大きなできごとをひきおこしたりもする、というお話。あるいは、元炭坑夫の老人とすごしたふうがわりな少年の日々を宝物のようにかかえながらも、だからこそ最後に見捨てられたという思いから抜け出せない小説家が、もういちど過去と向かいあうためにさまざまな遠回りをし、そして最後に大切なものを見つけるのでした、という話でもあるかな。
 ワインと共に甦る、嘘つきなのか本気なのかよくわからない老人ジョー・コックスの想い出が、さびれた炭坑のうらぶれた雰囲気と老人の育てているとりどりの野菜や薬草が好対照で、非常に印象的でした。
 そして、小説家が移住した南フランスの村というのが、『ショコラ』の舞台となったランスクネ・スー・タンスなわけですが、あいかわらず閉鎖的で噂好きで計算高い田舎根性丸出しで強烈な存在感をはなっております。いやー、ほんとに小さな村社会の悪意って、たちが悪いなーと思うのですが、しかし、村人たちの無責任な噂話よりも真実のほうが何倍もシリアスなのには驚きました。ええっ、こんなところにきてこんな大事をあきらかにしてどうするの、と思いましたが、この話はミステリではなくファンタジーなので、そういう心配は無用でした。苦いところもあるけれど、とりあえずすべてがよい方向におさまったなと思える終わり方。どこかほのぼのとした雰囲気も最後までそこなわれず、あーよかったなと思いました。

 2005.10.19(水)

 甲斐透月の光はいつも静かに(新書館ウィングス文庫.2001.279p.600円+税)[Amazon][bk-1]読了。異世界ファンタジー。国王直属のはぐれもの部隊とその隊長を主人公とする短編を二編収録。

オンライン書店ビーケーワン:月の光はいつも静かにbk1

「月の光はいつも静かに」
 かつての黒龍隊員で現在は近衛騎士のアドリアン・フィルクスが、タリム公国の公女と駆け落ちをした。タリム公国とオルロア王国とは緊張関係にあり、公女はいわば人質であった。黒龍隊の隊長ゼルス・ダガンは、宮宰マロリーから極秘のうちにふたりを連れ帰るようにと命じられる。有力貴族の家に生まれ他人には恵まれてみえた青年の、ひとしれぬ孤独をえがく表題作。

「街の灯は黄水晶(シトリン)色にあたたかく」
 黒龍隊は、宮宰マロリーの命令により、国内の好戦派に利用されかねないタリム公国の公女を極秘裏に故国まで護衛することになった。三人までと制限の付いた人員に、隊長によって選ばれたのは東方語のわかるバートと、ハルである。直前に兄フレデリックの訪問を受けたハルは動揺していた。ダガンはハルから目を離したくないと考えてかれを任務に加えたのである。嫡子で跡継ぎの兄とのあいだに生まれたいざこざにより道を見失った若者が、任務を通して自信を取り戻す姿を描く。

 ウィングス文庫はボーイズラブじゃない、という情報を得たので、ならばちょっと読んでみようかとちょうど書架にあったので借りてみたもの。事前情報いっさいなしでしたが、登場人物の心情はきちんと書かれているし、押しつけがましくない雰囲気でけっこうおもしろかったです。異世界ファンタジーとしては中世ヨーロッパとイスラム風で魔法の気配も信仰もなく薄味で、黒龍隊もそれほど無法な部隊とは思えませんでしたが、きっと流浪民の血をひくダガン隊長(生まれのせいで斜に構えているつもりだが基本的にお人好し)に宮宰さん(食えない柔和な策士)が無理難題を押しつけるための設定なのねと思いました。成長物語というより、人情話みたいでした。さらりと読めた一冊。

 ミネット・ウォルターズ(成川裕子訳)蛇の形(創元推理文庫.2004.587p.1200円+税 Minette Walters "THE SHAPE OF SNAKES",2000)[Amazon][bk-1]読了。目撃者となったために孤立無援に陥った女性の視点で人種差別と貧困にいろどられた事件の真相をあぶり出す、現代イギリスを舞台にしたクライムノベル。

蛇の形

 1978年の冬、ロンドン南西部のけして豊かとは言えない住宅街。凍えるような雨の中、帰宅途中の若い教師ミセス・ラニラは、道ばたで“マッド・アニー”とあだ名される黒人の隣人アン・バッツが倒れているのを目撃した。アニーは殺されたのだ。瀕死のアニーのまなざしから直感したミセス・ラニラは警察にもそう訴えたが、ほかに殺人を裏付ける証拠はなくだれも彼女の言葉を信じない。周囲の無理解による攻撃を受けるようになったミセス・ラニラは体調を崩し、夫や母親からは正気を疑われるようになってしまう。そして事件は泥酔の末の交通事故死として処理された。二十年後、海外生活から家族揃ってイギリスに帰国したミセス・ラニラは、それまでに収拾した事件に関する情報の蓄積を元に、強い信念を持って真相を明らかにしようと行動を開始する。

 ずしりと重たい手応えの一冊。
 白人の貧困層が多く住む地区で、黒人女性が生来の障害のためもあって近隣の攻撃対象になり、事件に巻き込まれたあげく、先入観からろくに捜査もされずに死を自分の非で招いたような烙印を押されてしまう。事件そのものも非常に暗いのだけど、ひとり正義を求めた女性までが集団からはじき出されて攻撃対象となってしまうという展開が、ひどくつらかった。なによりも、もっとも頼りとなるはずの身内からも切り捨てられてしまう、というのがなあ。ものすごく理不尽だけれどそれってものすごく現実的だなーと思わされる。人間ってけっきょく自分の見たいものしか見ないし、自分の利益になることをしてしまうんだよなと。

 というわけでかなり疲れる話なのですが、それでも途中でやめられないのは、過去の事件で不正をはたらいたひとびとの裏事情がどんどんあきらかになってゆくことと、正義を求めるミセス・ラニラの執念がどこからくるのかがずっと伏せられていること、信用されていなかったひとびとにそれなりに理や可愛げがあったり、信頼されていたひとに思わぬ隠し事があったりと、大小さまざまなどんでん返しがくりかえされるからでしょうか。

 最後には、ひとりの人間をすべて理解しきることはできない、ひとにはいろんな面があって、さまざまな局面であらわれるのはその一部分であり、それもまた変化してゆくもの。一度築いた人間関係もまた変化してゆく。わるいほうにも、いいほうにも。それは努力次第のこともある。というような気持ちになって、暗く重たいお話にも一筋の光明が感じられてきます。後味は、けして悪いものではありませんでした。

 ところで、結局最後までミセス・ラニラのファーストネームはわからないままのような。登場人物の中では、彼女の父親と息子たちだけが著者のシビアな筆から逃れて平穏でしたが、これは意図してされたことなのかな。これだけハードな話なので、すこしは憩いがないと困りますけどねえ。
 最後に、タイトルの蛇は、アニーのもっていた南米の神様ケツァルコアトルの置物から来ている模様。神様は直接関係なし……だと思いますです。

 2005.10.18(火)

 雪乃紗衣彩雲国物語 心は藍よりも深く(角川ビーンズ文庫.2005.223p.457円+税)[Amazon][bk-1]読了。立派な官吏をめざすしっかりものの女の子とくせ者揃いの臣下たちの、中華風異世界ファンタジーシリーズ、八冊目。『彩雲国物語 欠けゆく白銀の砂時計』のつづき。

彩雲国物語 心は藍よりも深く

 秀麗が王都で州牧として茶州再建のために奔走していたころ、茶州では例年よりはやく冬の訪れた千里山脈のふもとにおそろしい病がひろがっていた。しかも、邪仙教となのる怪しげな信仰集団が病は女州牧が原因だと流言をまいているという。虎林郡の太守からもたらされた書簡から、影月は病がかつて自分の村を全滅させたものと酷似していることに気づいた。影月は治療法のない病がこのときふたたび出現したことの運命をおもい、残り少ない時間を惜しむように州牧としてできるつとめを果たすと、ひきとめる香鈴に別れを告げて混乱の虎林郡へ旅立ってゆく。

 影月編、その二。
 正体不明の病魔と怪しげな信仰集団のふたつと同時に対峙することになった茶州の情勢は非常に緊迫感をおびていて、まさに風雲急を告げる展開となっております。かぎられた時間の中で最善の結果を求めようとする影月の悲壮な決意がせつない。そして、影月の意志を受けた秀麗が朝廷で必死に戦う姿は読みどころ。ほんとに秀麗はどんどんかっこよくなっていくなあ。最後にみせた弱音の部分もふくめて、ほんとに愛すべきヒロインだと思います。何の脈絡もないですが、王様、がんばれ(笑。

 いっぽう、奮闘する秀麗の背後で謎の縹家が不気味な影を落とし始めておりますが、紅家の三兄弟の……というか弟ふたりのさや当てがすごくおかしい。笑えます。ふたりの間で板挟みの黎深さんの養い子(漢字が表示されないので名を伏せる;)くんがかなり貧乏くじですね。今回、いつもに増してせっぱ詰まった展開で暗くなりそうなところを、いろいろとおちゃめなディテールが救ってくれました。肉料理ばかりで文句を垂れる王様とか。いわくつきの蜜柑、おいしそうだなあ……。あと、黒州州僕の櫂瑜様、かっこええ……。

 待ちきれなくてつい買って読んでしまいましたが、おかげで待ち時間がさらに長く感じられる。じーちゃんズの思わせぶりな台詞に今後の展開を予想しつつ、つづきをお待ちしています。

 2005.10.15(土)

 妹尾ゆふ子ロマンシング サガ -ミンストレルソング- 皇帝の華(スクウェア・エニックス.2005.350p.933円+税)[Amazon][bk-1]読了。吟遊詩人の歌う、若き皇帝とかれを護る女性戦士の波瀾万丈の物語。プレイステーション2用ソフト『ロマンシング サガ -ミンストレルソング-』[Amazon]のノベライズ。

オンライン書店ビーケーワン:ロマンシングサガ−ミンストレルソング−皇帝の華bk1

 バファル帝国の皇帝レリア四世はそのとき十歳。六歳の時に即位してより皇太后アグライアの傀儡として息をひそめて生きてきた。孤独で、逃げ隠ればかりが上手くなるレリアの側には、つねにひとりの武装した少女がひかえていた。皇太后によってレリアの身辺警護を命じられた流民出身のローザである。ある日、いつものように逃走した図書館の中で、レリアはヘルマンとなのる十ばかり年上の男と出会う。読む気がない本を無駄に散らかすなと怒るヘルマンは、「ぼくは、賢くなってもいいのか」と問いかけるレリアを自分の恵まれた環境に気づかず学ぶ機会をみずから放棄している馬鹿だと決めつけた。レリアを追ってきたローザはヘルマンに武器を突きつけるが、レリアはかれを見逃すようにとローザに命じる。

 ゲーム『ロマンシング サガ -ミンストレルソング-』のノベライズ。ゲームそのものの小説化ではなくて、ゲームの世界を舞台とした外伝的な話のようです。私はゲームはしておりませんですが(スーパーファミコン版の『ロマンシングサガ』第一作はしたことあるけど、ほとんど記憶にナシなのでしてないのとおなじだろうと思う)、著者のファンなので買いました。
 結論は、読んでよかった、です。冬の空気のようなおごそかな文章でつづられる、華やかで孤独な世界に生きるものたちの伝説を堪能させていただきました。吟遊詩人の歌は格調高く、皇帝は孤高の存在で、華たちはけなげで一途で、ローザは女神のようにうつくしく強く魅力的でした。

 視点人物がほとんど男だったからだろうか、女性たちの胸のうちはほとんど明かされないのですが、私にとってはむしろ女たちのほうの存在感が大きかったです。男たちの記憶の中で華たちはうつくしくなぞめいて輝くのかなあと思ってみたり。謎の双璧はレリアを傀儡とする皇太后とレリアを護るローザ。私が抱いた皇太后のイメージはなんとなく西太后でしたが、無口なローザはほとんど本心が見えなくて。あと、ヘルマンの幼なじみのマグダレナも謎だったなあ。それにほんとうの女神様の出現シーンはすばらしかった。やはり、この話はローザと女性たちのはなしだったのだな。

 対照的に男性側はより人間らしく、孤独だったり惑ったり他人にあたったりと、懸命にあがいているという印象を受けました。ジャックはあきらかにそうだけど、私はとくに法務官ヘルマンくん(くんづけか;)にそれを感じました。かれがローザといったあとの話が知りたいなあ。

 ノベライズということで、著者のオリジナルと比べると視点がほんのすこし高いところにあるような印象を受けました。そして世界についての情報量も多い。そのぶん物語に対する距離感があって幻想色はあわいようにかんじましたが、物語としての輪郭はつよくなった、と思います。
 文字として記された記録ではなく、ひとびとの心にうけつがれてゆく記憶。大地と風とに同化してゆく壮大な歴史に思いをはせるようなラストがすてきでした。

 読み終えて、この世界マルディアスのことをもっと識りたいと思ったのですが、うちにはプレステ2がない。買う予定も、今のところない(涙。しかたないので開発元のサイト【ロマンシング サガ -Minstrel Song-】を眺めて我慢しています。……えっ、吟遊詩人が山崎まさよし?

 2005.10.12(水)

 雪乃紗衣彩雲国物語 欠けゆく白銀の砂時計(角川ビーンズ文庫.2005.223p.457円+税)[Amazon][bk-1]読了。立派な官吏をめざすしっかりものの女の子とくせ者揃いの臣下たちの、中華風異世界ファンタジーシリーズ、七冊目。前巻は『彩雲国物語 朱に交われば紅』ですが、話的には『彩雲国物語 漆黒の月の宴』のつづき。

彩雲国物語 欠けゆく白銀の砂時計

 ようやく茶州州牧に就任した秀麗と影月。若さと経験不足を少しでも埋めようと朝も夜もなく仕事に打ち込むふたりは、体調を案じる静蘭や燕青、悠舜の言葉を無視し、影月に至っては人生はいつ終わるかわからないのだなどと力説する始末。連日徹夜をつづけてふたりがまとめた茶州の独自再建案は、茶家の専横時代からとどまってきた気骨の官吏達に感動とやる気をよび起こした。さっそく新年に都で催される朝賀の場で諸処の案件を打診をすることになり、その大役は権勢を誇る紅家の出身である秀麗が受け持つこととなった。しかし、茶州に残り内政を頑張るという影月の、このところのふるまいはあきらかにおかしい。里帰りをすすめた言葉をさりげなく無視された秀麗は、一抹の不安を残しながら朝廷のある貴陽へとむかう。

 このたびは影月編の開始、だそうでございます。
 茶家の専横のために地盤沈下していた茶州再建のために動き出す秀麗以下仲間たちのなかで、なぜか生き急ぐような緊張感を漂わせはじめる影月。かれの背負った暗い過去と陽月との秘密、そして辛い運命が、いまあきらかに――ってとこでしょうか。

 どんどん強く逞しくなってゆく秀麗ちゃんは静蘭にも燕青にも弱音を吐けなくなり、なぜか頭を秋の味覚でいろどった神出鬼没の龍蓮くんが心のオアシスに? さらに都では王様がもんもんと孤独に耐えているいっぽうで、秀麗への縁談が殺到と、どんどんネオロマンスゲームめいた展開になっておりますが、秀麗の「民のための官になる」という一途な想いが全体をひき締めていて、官庁との折衝など試練もあって、今回も起伏あふれる展開におちゃめなやりとり。大変楽しかったです。ついに紅家の三兄弟そろいぶみ、だし。いやー、黎深さんの変人ぶりがいとおしいわ(笑。

 そしてどんどんいろんな謎が増えていくんですね。今回のいちばんの謎は、縹家の登場と“邪仙教”の教祖かなー。そういえば、貴陽の都はきれいすぎる、というのもずっと謎なんですけど、あんまりさりげなく言及されるので答えがぜんぜん出てこないのを忘れてしまいます。どうやら話は彩八仙の伝説につながってゆきそうなんですが……。ときどきでてくるじー様たちの会話を、スルーしてはいけないよ、と自分に念を押し、次巻を待て。

 2005.10.11(火)

 渡瀬草一郎空ノ鐘の響く惑星(ほし)で 7(メディアワークス電撃文庫.2005.347p.590円+税)[Amazon][bk-1]読了。戦乱の異世界を舞台に描かれるSFファンタジーシリーズ。『空ノ鐘の響く惑星(ほし)で 6』のつづき。

空ノ鐘の響く惑星(ほし)で (7)

 ウィータ神殿勢力によって占拠されたフォルナム神殿で、御柱(ピラー)から突然あらわれた大量の敵は、西の大国ラトロアの送り込んだと思われる複製された“屍の兵”だった。フェリオたちは敵対する神殿騎士団と一時協力して神殿内への侵入を防ごうとするが、際限なく増兵される敵を相手に多勢に無勢の戦いを余儀なくされる。いっぽう、神殿騎士リカルドの襲撃を逃れた司祭ウルクは、怪我をしたリセリナと共にあらためて来訪者たちに捕らえられ、自分の記憶がなくなった理由をしらされることになる。

 一冊まるごとが緊迫感あふれる展開。あっちでは防衛戦がつづき、こっちでは心理戦がはじまり、かと思うと裏では謀略が進行して、おまけに三角関係まで(笑。盛りだくさんの一冊でございました。ラトロアと来訪者に関しては前回分のおさらいという感じでしたが、御柱の秘密をコウ司教がちらりともらしてくれるあたりで、おお、と。やはりこの世界はたんなる異次元の世界じゃないようですね。いったいいつになったら全貌がつかめるのか。ああ、じれったい。続きがはやく読みたいです。

 じれったいといえば、リセリナ、ウルク、フェリオの関係はまだまだこれからがおいしくなるのよ、いやおいしくなってもらわねば、というところ。さんざんひどい目に遭っているウルクちゃんにはすこしでも幸せになってほしいというのがワタクシのお願いです。

 あ、あと、パンプキンとライナスティのコンビはたいそう楽しかったです。パンプキンって自責の念でカボチャを被ったのか。それはそれでかなり謎。

 2005.10.10(月)

 タニス・リー(環早苗訳)鏡の森(株式会社産業編集センター.2004.493p.1280円+税 Tanith Lee "WHITE AS ANOW",2000)[Amazon][bk-1]読了。グリム童話にギリシア神話の解釈をほどこした、リー版『白雪姫』。

鏡の森

 森の中の城には鏡があった。金属製のものではない、ガラスの鏡。南からやってきた戦の長の侵攻により陥落寸前となったとき、王のただひとりの姫は城から逃げ出そうとしたところをとらえられ、長の前にひきだされる。森の中で陵辱された姫は無意識に呪いの言葉を放つ。呪いを畏れたキリスト教徒の長は王となって彼女を正妃とし、寛大にも鏡をふたたび彼女のものとした。娘を産み落とした妃は奇矯なふるまいをましてゆき、魔女と呼ばれるようになってゆく。

 すみません、固有名詞をすっかり忘れてしまいました。独特の幻想とエロスと象徴にあふれたファンタジー。ギリシア神話の大地の女神の死と再生の伝説とからめつつ、意地悪な魔女である母と無垢な娘を表裏一体の存在として描く、リー版『白雪姫』。
 衝撃的な事件にあってこころが麻痺してしまうところを「ずっと眠りつづけていた」とあらわしているように、どこか女たちの夢の世界のような印象を受ける話です。そして、大地と森を信仰するひとびとも、キリスト教徒と変わらぬ状況にながされてゆくひとびととして描かれています。どこからどこまでも辛辣ですが、最後に救いはある。ファンタジーのよいところは、現実的にしあわせにならなくてもつねにどこかで救いがあるところだなあと、ミステリを読んだあとではしみじみと思います。

 『白雪姫』ってグリム童話だったような気がするんですが、森と大地の女神信仰としてギリシア神話のペルセポネーの話が選択されたところがめずらしいかなと思いました。最近だとこういう場合はケルトとか、もっと原始的で混沌とした大地母神が選ばれるのが流行のような。ですが、ギリシア神話もいろんな信仰の淘汰された形であるらしい、という話をどこかで読んだ気もするので、この伝説はそのもっと原始的な型を元にしているのかもしれないとも思いました。うう、うろ覚えの記憶ばかりで憶測の感想を書いているなあ。

 違和感があったのは、ギリシア神話の神々の名前が見慣れたものとかなり違うこと。作者がラテン語関係の表記に対する助力への感謝を述べている文章があるので、もしかしてこれはラテン語表記なのかしらん。ラテン語の響きって、学術的で格式張って聞こえる。なんか、百科事典とかのタイトルの横に書かれてそうじゃないですか、学名なんとかって。あんなイメージなんですよねえ。

 2005.10.9(日)

 ルース・レンデル(宇佐川晶子訳)眠れる森の惨劇(角川文庫.2000.525p.915円+税 Ruth Rendell "KISSING THE GUNNER'S DAUGHTER",1992)[Amazon][bk-1]読了。イギリス地方都市キングズマーカムを舞台としたミステリ「ウェクスフォード警部」シリーズの15作目。

眠れる森の惨劇―ウェクスフォード警部シリーズ

 キングズマーカム署の警察官が銀行強盗犯に銃で撃たれて死亡した。捜査は数ヶ月経っても進展せず、警察が突き上げをくらい始めた矢先、森の中の荘園めいた土地で暮らす地元の名士一家が惨殺されるという衝撃的な事件が発生する。女性当主は、特異なキャラクターを持つ人類学者だった。ひとり生き残った当主の孫娘をつけねらうのは何者か。行き詰まりをみせるかと思われた捜査は、意外なところから強盗事件とむすびついてゆく。

 久しぶりに読んだルース・レンデルは、ウェクスフォード警部でした(といっても、この本が出たのは五年も前だけど)。ルース・レンデルの特徴は濃密な情景描写と人間関係や心理を緻密に描き出すところかなと思うのですが、その特徴がより鮮明なバーバラ・ヴァイン名義のノンシリーズではなく、より牧歌的(?)なウェクスフォードを選んでみたのはその濃厚な作風にいまでもついていけるか、ちょっと不安だったからです。

 しかし、読み終えてみるとむしろノン・シリーズを読むべきだったような気がする。
 たしかにウェクスフォード警部ものは、主役が固定されているので絶対犯人ではないという人物がひとりは必ずいることになり、これは安心要素ではあるのですが、レンデルのことなのでウェクスフォードがゆるぎない正義と安定を作品にもたらしてくれる――ということにはならなくて。つまり、かれはこの作品中ずっと娘たちの事で悩み続けておりまして、その悩みは娘だけではなく自分にも後ろめたさのある悩みだったりするものですから、事件を離れたところでも「このあと警部はどうなっちゃうんだろ」と心配なまま読み続けることになりまして、しかも、この不安定さは事件が解決したあと(つまり次作)まで持ち越されそうな気配がひしひしと。これならばかえって、ものすごく精神的に疲れてもノン・シリーズのほうが後腐れがなかったんでは、と思ったことでした。

 話そのものは、日常的なプロローグから一転、深い森をたどるうちに異界へと足を踏み入れてゆくような感覚と、時代をさかのぼったかのような館のたたずまい、衝撃的な犯行現場が強烈な印象を残し、惨殺された一家とその周辺の知られざる過去や現在があきらかになってゆく、人間関係にねざした捜査が中心のミステリ。登場人物の一筋縄ではいかない性格と行動でさいごまで飽きさせない話でした。

 へええと思ったのは、イングランドサッカーのチーム、アーセナルのチーム名は兵器庫という意味で、選手はガンナーという愛称で呼ばれるらしいこと。ガンナーというのは砲手という意味で、銃鍛冶という意味もあるそうな。

こるせっと 2005.10.6(木)

 ふとしたはずみに腰痛になって、もう二週間くらい経つのでしょうか。
 毎日のように貼り薬をべたべた使いつづけていますが、なかなか全快とはいきません。椅子に座っていると悪化するのでパソコンにはあまり触れないようにして、触れるときにはつづけて一時間以上にはならないように気をつけているんだけど、どうもうまくいかない。おかげでパソコン入力をするたびに、腰ががちがちになっている。良くなったり悪くなったり。一進一退。

 そして迎えた通院日。医師に「腰が痛いんですもう二週間も治らないんです貼り薬たくさんください」と訴えたら、「コルセットをつけたらどうでしょう」と提案されました。コルセット。頸にカラーつけてるのに腰にもコルセットつけるのか。さらに暑くなるのでは。いやきっと暑くなる。「楽になりますよ」「……つけます」だって、痛いんだもん。うう。

 というわけで、とうとうわたくし、コルセット女になりました。これで私もスカーレットよ? いや、そんなたいそうなものではなくて、ちょっとつけかたを間違えると上にずり上がってしまうような簡単なものです。

 余談ですが、スカーレット風のコルセットは昔祖母がつけてたなあ。といってもドレスを着ていたわけではなく、つまり祖母も腰痛持ちだったんです。あれはそうとう暑そうだったな。祖母のコルセットは祖母が亡くなったときに棺の中にいれられて、一緒に灰になりました。余談終わり。

 ということでコルセットを看護婦さんにつけていただいたら、腰への負担が減ったのがわかりました。ほんとに楽です。ビバ、コルセット。しかし、暑いときにつけるのはごめんだから、とっとと治したいと思います、腰痛を。

 山之口洋オルガニスト(新潮文庫.2001.381p.552円+税)[Amazon][bk-1]読了。カバーのあらすじによれば『バッハのオルガン曲の旋律とともに、音楽に魅入られしものの悦びと悲しみを描出する』第10回ファンタジーノベル大賞受賞作を文庫化にあたり改稿したもの。

オルガニスト

 2004年、ドイツ。ニュルンベルク音楽大学ヴァイオリン科で助教授を務めるテオは、同僚のシャンクから一枚のMDを手渡される。音楽雑誌の記者だという友人によりブエノスアイレスから送られてきたというその中には、ある無名のオルガニストの演奏が録音されていた。記者はそのオルガニストに惚れ込んでおり、自分の評価を裏打ちするために専門家の意見を求めているという。「君ならオルガン科に知り合いがいるんじゃないかと思ったのさ」 たしかにテオには将来を嘱望されたオルガニストの友人がいた。MDの演奏を聴いた後、テオはオルガン科の教授で世界屈指のオルガニストであるラインベルガーに連絡を取った。九年ぶりのことだった。

 書かれたときは近未来小説だったらしいですが、積んでおいたあいだに現代小説になってました(汗。
 バッハのオルガン曲が文章からあふれでそうな雰囲気で始まるこの話、いろいろと紆余曲折はあれども、最終的には凡人が天才にいだくあこがれの話だったのかなあ。
 ひとりの演奏家の奏でる音楽によってよみがえったのは、郷愁に満ちた音楽大学での青春の日々。そして突然の悲劇。テオの心に深く刻み込まれた友人の面影が目の前の音楽とかさなりあって、あらたな展開へと話が進んでいきます。

 ……と、途中まではたいへん好みの雰囲気で話が進んでいたのですが、途中である事件が起きてから雲行きが変わって、私にとってはだんだん微妙なことになっていきました。
 以下、ネタバレを含みます。

 この話の舞台が近未来に設定されていたのは、いまだ実現されていないテクノロジーを使用するためだったのだろうと思うのですが、それをもちいたために行き着いたエルンストの変化が、私にとっては個人的に気分が悪かったのでした。こんなふうに、ある意味で「そのひとは異界にいってしまった」というようなことを実現させるのに、こうした技術を使って欲しくなかった。メモのほうでマキャフリイの『歌う船』みたいだと書きましたけど、あちらはちゃんと人生を謳歌しているのでぜんぜんかまわないのです。けれど……これではまるでこういう施術を施されたら人間としての生が終わっちゃうみたい。もちろん、著者にそういう意図はなかっただろうとは思いますが、私にはそう読めてしまったので。
 あー、なんかほかの方法がなかったのだろうか。もしかしたらありうるかもしれないと感じられるような、現実から地続きの技術ではなくて、もっと奇想天外な方法でもっと魔術的に描かれていたら、こんな気分は抱かなかったと思うのです。そうしたら、ふつうに素直にファンタジーとして読めたと思う。話の雰囲気が壊れたような気持ちも、味わわずにすんだような気がします。


 というわけで、話の意図はよくわかります。が、個人的な理由により共感するというわけにはいかなかった。途中まではかなり楽しんでいたんですけどねえ……。

 古川日出男サウンドトラック(集英社.2003.453p.1900円+税)[Amazon][bk-1]読了。近未来の東京を舞台に疾走する、奇想天外な物語。

サウンドトラック

 太平洋でそれぞれに親に死なれた、ふたりのおさない子供たち。流れついた無人島で数年間を生きのびた後に発見されたふたりは、自分の名前以外の記憶を失っていた。兄妹として認識され、ふたたび人間の社会に組み込まれるふたり。だが、欠落した異質なかれらを、社会は受容しきれない。影に魅せられて踊るヒツジコと、音のない世界で生きるトウタ。父島での子供時代を経て、ヒートアイランド東京へ。2009年、東京は夏休みを迎える。

 何を書いているのだか(汗。とにかく、この話の説明は私の手には余る、というのが本音。最初から最後まで、感覚で読んでしまいました。やはり私には形而上的なことは向いてないわとつくづく思う。
 話の雰囲気的には、同著者の『アラビアの夜の種族』の説話部分を、舞台を東京にもってきて展開させたようなかんじですね。また地下迷宮がでてきますし。でも、この東京はけして異世界ではなくて、このままだとこうなっても全然不思議じゃないリアルな手触りのある東京です。熱帯化して西ナイル熱が流行したり、スコールが日常化して洪水が多発したり。ぜんぜん笑い事じゃないんですが、そのリアル感がこの話の奇天烈さに花を添えているというか。この話、2009年に読んだらどういう気分になるんだろう……。
  たたみかけるようなリズム感のある文章は、心地よい。やはり私はこの人の文章が好きです。でも、『沈黙』と比べると質感が減り気味で、それはちょっと残念でした。たぶん、私はこのひとの大きな話よりも小さな話のほうにぐっとくるんだなと思う。

 しかし、ほんとうに奇っ怪な物語だなー。未来の西荻窪もすごかったけど、ガールズたちもすごかった。アラブ人レニと鴉のクロイのコンビはかっこよい。というふうに読んでいるあいだは楽しいのですが、けっきょくどういう話だったのかは説明できないわけで。うーーん。とりあえず、面白かったです、と書いてしめくくってみる。そういえば、ヒツジコの養母はその後どうなったのだろう?

 2005.10.3(月)

 賀東招二悩んでられない八方塞がり? フルメタル・パニック!(富士見ファンタジア文庫.2005.251p.520円+税)[Amazon][bk-1]読了。学園ミリタリー・コメディー「フルメタル・パニック!」短編集の八冊目。コメディー短編四編収録。

フルメタル・パニック! 悩んでられない八方塞がり?

 オンラインゲームで悪の魔法使いに彼女を拉致された友人を手助けするため、宗介たち陣代高校の面々が異世界ファンタジー風のよそおいで大暴れする「約束のバーチャル」前後編。

 宗介が目鼻立ちのよく似た男性アイドル吉良浩介と入れ替わる「影武者のショウビズ」。

 陣代高校文化祭編、その一。かなめたちの二年四組の企画をことごとく妨害する七組。文化祭当日になっても嫌がらせを仕掛ける七組に待っていた、意外な落とし穴とは。「対立のフェスティバル」。

 陣代高校文化祭編、その二。宗介まで巻き込んだライバルの挑発を無視できず、ミス陣高にエントリーすることになったかなめは、絶対に見返してやると必勝の態勢で本番に臨むが――「愛憎のフェスティバル」。

 よくある話と言いつつも、やはり「約束のバーチャル」がいちばんおかしかった。なんといっても、かなめのハンドル名が……! もう、すっかりツボに入っちゃって、読み始めた電車の中では不審人物だし、いまだに見るたび吹き出す始末です。道ばたの草を食べてた恭子ちゃんも……。そんなに貧乏なのに、よくやめずにつづけていたなあ……。
 オンラインゲームはしたことないんですが、これ読んでもべつにしたいとは思わないですねえ。やったとしても、恭子ちゃん並の貧乏プレイになってる可能性が高いような(笑。もともとゲームにあんまり向いてないみたいなんですよ、私の性格は。ゲームの中でも運動音痴は運動音痴だし、方向音痴もなおらないしねえ……。戦略を考えるのも下手だし。目の前のことで頭がいっぱいになっちゃうんで、ロールプレイングゲームをやってもクリアするのに他人の何倍も時間がかかっちゃうんですよね。最近はハードを買う余裕もないので無謀な挑戦をすることもないのですが(苦笑。

 キアラン・カーソン(守安功訳)アイルランド音楽への招待(音楽之友社.1998.198p.1500円+税 Ciaran Carson "IRISH TRADITIONAL MUSIC",1986)[Amazon][bk-1]読了。現代アイルランドを代表する詩人であり伝統音楽の演奏者でもある著者の、内側から考えるアイルランドの伝統音楽についてのエッセイ。

アイルランド音楽への招待

 『琥珀捕り』が面白かったので借りてみました。入門書のようなタイトルですが、ずぶの初心者向けというよりはある程度アイルランド伝統音楽について見知っている人に対する、伝統音楽を愛するアイルランド人からの主張、のようなかんじの文章です。翻訳者のかたも演奏者だそうですが、やはり誤って流布した情報をただすことを重要視している模様です。アイルランド人にとっての伝統音楽がいかなるものであるのか、を感じるのによい本ではないかと思われます。
 あんまり上手く説明できないのですが。私が理解できたのは、アイルランドの伝統音楽はアイルランドの生活の中にあり、演奏者の個性により変化しながらも、生きたままつねに伝えられつづけているってことでしょうか。そういえば、歌には演奏がつかないという事実には驚きました。歌は旋律ではなく、言葉そのものを味わうものなのだそうです。それから、ハープの伝統的な奏法は失われた、ということも知らなかったなー。いろいろと目から鱗の本でした。うん。

 参考までに、目次を記しておきます。

 2005.10.2(日)

 梨木香歩村田エフェンディ滞土録(角川書店.2004.220p.1400円+税)[Amazon][bk-1]読了。

村田エフェンディ滞土録

 1890年末。斜陽のオスマン帝国の首都イスタンブールに留学した若き日本人学者の、さまざまな文化と歴史との出会いと、それらを背景にもつ人々とのふれあい。連作短編集。

 イギリス人の未亡人が所有・管理する下宿屋でのギリシア人とドイツ人の店子、そして下働きのトルコ人とかれがひろってきた鸚鵡(!)との暮らし。
 エフェンディとはトルコ語で学者という意味なのだそうですが、ここでは日本語でいう「センセイ」と似たようなニュアンスでもちいられているらしいです。
 基本的にはのんびりゆったりとしたトルコの日々で、さまざまな宗教と文化がときにぶつかりあい折り合いを付けながらともにある姿を目の当たりにして、若き日本人学者がさまざまな事件に右往左往しながらも世界へと目をひらかれていくさまが、端正な文章でつづられていきます。

 まず思ったのは、この時代のイスタンブールに日本人がいたんですねえ、ということ。ドイツ人の考古学者が掘っている遺跡の名前はけっこう有名なものばかりで、ひょいと連れて行ってもらえた村田君がうらやましい。それから、キリスト教徒とムスリムと「なんとなく仏教徒」の人間がいっしょにいると、やっぱりなんとなくのほうの肩身が狭いのねえとか。ギリシアとトルコの歴史的な関係とか。トルコ人女性の暮らしとか。トルコの近代化における革命の胎動とか(森川久美のマンガはこれより後の話だな、たぶん)。まあ、いろいろなエピソードでいろんなことを思い出したり、考えさせられたりしましたが。
 終わりのほうを読んでいるときに、涙が止まらなくなってしまったのには参りました。
 私って滅多に泣かない人間なんですけど、この話を思い出しているといまでも涙がじんわりと浮いてくる……。以下、ちょっとネタバレ?



 よく考えてみれば伏線はあちらにもこちらにもあり、この展開は予想できたことだったのですが、それまでのたたずまいがほんとうに穏やかでほのぼのとしていたので、まさか最後にこんなふうになってしまうとは思わなかったのですよ。
 たぶん、村田君も思っていたはずです。イスタンブールでの日々は夢のように輝かしく、こんなに短期間で別れを告げなければならない自分はなんと不幸なのだろうと。それは青春の日々の終わり、夢から覚めて現実を歩まねばならないときが来たことを意味しており、けれど夢の中の住人はそのまま永遠に村田君のぶんまで夢を織りつづけていってくれるはずだとすこしのねたましさともに思っていたはずなのです。なのに、夢の世界は永遠に失われてしまった。たしかにあった大切な時間をあかしだててくれるものは、なくなってしまった。すべては村田君の想い出の中にしかなく、遠くなってゆくばかりなのだと。
 せつないなあ。
 そんな時間をもったこともない私がどうしてこんなに感情移入してるのか、自分でも不思議なんですが、想い出ではなくて心のなかの大切なものと村田君の時間を重ね合わせてみているのかもしれないです。



 余談ですが、同著者の『家守奇譚』の登場人物と家が、おわりのほうで出てきます。これって、おんなじ年代の話だったのね。あっちはあまりにも浮世離れした話だったので、なんとなくまだ江戸から明治に移り変わったばかりの頃の話であるような気がしていた。

 それから、忘れてはいけない。鸚鵡! この話の中でいちばんの個性派は拾われた鸚鵡ですよ! この鸚鵡がこんなに重要な役割を果たすなんて、最初は思いもしなかったです(笑。


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