2003年8月後半のdiary
■2003.8.21 iMac不調/『落花流水 竜の眠る海』
■2003.8.25 夏に耐える/『夜明けの晩に 上』
■2003.8.31 残暑に敗退/『蒼穹の昴 上』
暑さに負け、仕事に疲弊して、ドライアイがひどくなり、不眠症になり、月のモノになり、腰痛を発症し……とろくでもない一週間でした。気温の変化に身体がついてゆけず、最近ではものを食べると消化吸収に全体力を必要としているようで、もう、だるくてしようがない。
読書もすっかりさぼり気味。二冊の本を交互に読んだりして、まったく生活がだらだらです。そのうちの一冊をようやく読み終えたので、なんとかあらたな気分で九月を迎えたいものです。八月下旬は四冊しか読んでない……(汗。
浅田次郎『蒼穹の昴 上』(講談社.1996.352p.1800円+税)[Amazon][bk-1]読了。清朝末期の中国を舞台に老巫女の予言を胸に宦官になろうと決意する少年と、瓦解してゆく帝国をめぐり敵対するものたちを描く歴史物語。
貧農の息子で春児(チュンル)と呼ばれる少年、李春雲は、ある日、かつては名のある巫女だったという老女にとてつもない予言をうける。それは、「汝は西太后の財宝のすべてを手に入れることになるだろう」というものだった。周囲の期待を裏切って郷試に受かり、科挙の本試験に臨むことになった、梁家の次男梁文秀の伴にくわえられ、北京へ赴いた春児は、そこで科挙をうけることのできない貧乏人の出世の道は、浄身して宦官となること以外にないと思い知る。
図書館にて、なんとなく借りてみた本。
物語だなあ、というのがこの本の印象。まだ、上巻しか読んでいないので、なんともいえないのですが、ストーリーを語る手際がよいので、今の状態としては比較的すらすらと読み進みました。ちょっと個人的に惹きつけられるところが少なくて、いったん止まるとなかなかつづきにいけないのが難点でしたが。重きを置いているのは描写ではなくて、あくまでも語り。大衆小説というのは、こういうものなんだろうなあ、という感じです。私の両親の世代でも苦労なく読める小説。
清朝末期の時代に宦官としての栄誉をめざす主人公の成功物語かとおもってると、王朝の腐敗を憂う若者たちの物語のようでもあり、そうかと思うと西太后が今はなき乾隆帝の亡霊と語っていたり、よく考えるとスケールは大きいのに壮大さをあんまり感じない、なんとなく不思議な話です。私としては、もうすこし物語世界に雰囲気が欲しい気がする。
乾隆帝と宣教師カスティリオーネのエピソードでは、中野美代子の『カスティリオーネの庭』を思い出しました。
二度目の梅雨明けに、息も絶え絶えな感じです。水道水がぬるんでくると、やっぱり夏だな、と思い、さみしくなる。
連日汗だくになっているうちに、首まわりにあせもができてしまいました。毎年の恒例ですが……かゆくて哀しいです。毎日どこか虫に刺されているしなあ…。なんで家族中で私だけが刺されるのだろう。不公平だー。
暑くても睡眠はとっているのですが、これでもう四日も入眠剤に頼っていたりするのが、自分でもちょっとばかり不安です。
山田真美『夜明けの晩に 上』(幻冬舎.2002.430p.1700円+税)[Amazon][bk-1]読了。
八坂満奈は、異国的な雰囲気の美貌を持つ十七才の少女。インターナショナルスクールに通い、成績は常にトップクラス、さらにファッション誌の写真モデルをつとめている彼女だったが、幼いころに両親を事故で失い、予知夢のために不眠に悩まされるという、孤独な一面をもっていた。ある夜、満奈はまたゆうべとおなじ夢を見ている自分に気づく。かごめかごめで鬼になっている夢だ。三度つづけておなじ夢を見ると現実になるというのが彼女の予知夢だったが、この夢は幼いころから何度も見ているものだった。ふりかえったときに見えた、大柄な男性の姿に満奈は茫然とする。
図書館で、幻想的な装丁と冒頭の謎めいた雰囲気にひかれて借りてきた本。
勝手に皆川博子とか坂東眞砂子とかの幻想小説的雰囲気を想定していたのですが、かなりちがってました。情感描写より論理解説がうわまわっている印象の文章です。意外な方向へ進んでいく謎解きは、私には根拠はどうなのかわかりませんけど、けっこうおもしろい。荒唐無稽なんだけど圧倒的な知識を披露されて納得させられてしまうというか。上巻を読んだかぎりでは、高橋克彦の『竜の柩』あたりと近い気がします。だけど、ヒロインの物語がちょっとうすい。…下巻はどうしようかなあ。
花柄iMacが突然不調に陥りました。ノートン先生のオートプロテクトが実行できないよエラーが出、さらにOpenTransportのバージョンを問うエラーが出。午前中に仕事用PowerMacG4がめずらしくシステムエラーを出したあとだったので、おなじ日におかしくなるなんてウィルスかと慌てましたが、ノートン先生を動かすとウィルススキャンの途中でフリーズしてしまう…。これでは原因がウィルスかどうかがわからない。
いままで私が読んできたモノの本によれば、不調の場合はウィルススキャン→ハードディスク診断と進むようにということだったのだが、ウィルススキャンができなければ仕方ない、ハードディスク診断からするしかないでしょう。
というわけで、CD-ROM起動をしたあとでディスク診断をしたんですが、大容量ハードディスクなんて、嫌いだ。いつまでたっても診断が終わらないんだもの(涙。小一時間、ついやしてようやく終わったときには、午後の大半が潰れておりました。結果は大量の「軽度の問題」と壊れたファイルひとつを発見。そののち、ディスクの断片化解消とウィルススキャンをやっぱりCD-ROM起動で行いましたが、すでにある最新版パターンデータを使用すると、やっぱりフリーズするのですー。パターンデータが壊れてるってことですか。
エラーは「アンチウィルスをインストールし直せ」と命ずるので、一度アンインストールしたあとでまたインストールし直しました。が、データをアップデートしてスキャンするとまたもフリーズ。まさか配布しているファイルそのものがこわれてるんじゃないだろうけど。なんだか腹が立つしもうインストールしなおすのも面倒だったので、最新のファイルをインストールCDのデータに入れ替えたのち、もういちどアップデートして、こんどはスキャンはしませんでした。いいのか。
自棄になって、ついでにMacOSのバージョンアップとiTuneのバージョンアップもしました。機能拡張ファイルがごちゃごちゃになってしまい、分散したタブレットドライバを全部見つけて使用中にするのに時間がかかったり。ああ、不毛。
金蓮花『落花流水 竜の眠る海』(集英社コバルト文庫.2003.264p.580円+税)[Amazon][bk-1]読了。異世界ファンタジーシリーズ「竜の眠る海」の十冊目。短編二編収録。
海の王国オディロカナの世継ぎの王子リューイの、立太子式で精霊の女王ミレアプロさまに無理難題をふっかけられてさあ大変、なエピソードを描く「儀式」。
若き日の暁の傭兵ジェイファン・スーンと「灰色狼」の異名をとる傭兵との出会いを、家族を失い意に添わぬ結婚を強いられる領主の娘の苦難に絡めて描く「落花流水」。
それなりにまとまった番外編集、といったおもむき。『砂漠の花 II』と比べると、文章には比較的力が入っていないという印象。「儀式」の海との結婚はヴェネツィア共和国の元首を彷彿とさせられました。オディロカナは南洋のイメージですが。ミレアプロ様はあいかわらず表面上は支離滅裂でおちゃめで、イライラします(苦笑)。
「落花流水」は傭兵同士が出会って乱暴なやりかたで信頼関係を築く話なので、かなりバンカラ(死語か;)を意識して書いているように思われましたが、なにか無理をしているような気が。
ラキシャとファリアの主従恋愛は、いつもの金蓮花だなあ、という感じ。
気になったのは数字表記に漢数字とアラビア数字が混在しているところ。たまに出てくるだけなら素通りする可能性大ですが、さすがに「6人」のすぐあとに「四人」と書かれるとねえ。実のところ、品のある文章なので、漢数字に統一してくれた方が見ていて落ちつくんですが。
農家の方々は大変なのでしょうが、体力のない人間にとっては涼しいの大歓迎。
しかし、この涼しさの中、またもや寝冷えをした馬鹿である私の喉は、痛みが一週間くらい前のレベルまで逆戻りしていたのでした。どうしてこんなに涼しいのに肌掛け布団をはねのけて寝ているのだ。自分が憎い。このまま暑くなったら、また風邪が治らないよ。どうしよう。
そういえば、ノートパソコンの液晶赤ストライプ現象、涼しくなっても治りません。これって寿命なんでしょうか。
安田晶『扉の書』(講談社X文庫ホワイトハート.2003.264p.580円+税)[Amazon][bk-1]読了。異世界ファンタジー。
『扉の書』。それは正しく読み解いたものは不老不死の肉体と、この世の記憶を損なわず後の世へと移り行くことができるという、幻の書である。大地の女神を祭る神殿より盗み出されてすでに七百年の月日が経過し、そのあいだ書の所有者は代わっていったが解読に成功したものはいなかった。現在の所有者である老魔術師のキルムスは、うち捨てられた砦の塔に隠れ住みながら、扉の書の解読に没頭してきたが、やはりその糸口すらつかむことができずにいた。ある夜、塔を訪ねてきた若い女エリルが、キルムスに取引を要求した。扉の書を解読するための鍵を自分は知っている。それを提供するかわりに、書物におさめられた秘密をわけあたえよ、というのである。
密度の濃い文章で描かれる、魔法に満ちた世界の物語。著者のあとがきには「硬い文章」と書いてありました。たしかにやわらかくはないけれど、ごつごつとした硬さではなく、手堅く地に足のついた文章、という感じ。こういう文章は好きです。会話やキャラクターではなく、文章の力によって物語世界の雰囲気をつたえあらわしている、むしろ、ハードカバーで翻訳児童書の棚にあった方がふさわしい雰囲気と格調を持った物語でした。
元巫女であるエリルと老魔術師キルムスの誓約がなされたのちは、物語はそれぞれのたどった運命を淡々と追いかけていくのですが、キルムスが襲われる災厄の数々、エリルの地下での冒険とも、ひとつひとつのエピソードがとても幻想的でそれだけでもひとつの短編となりそうなおもむきがあります。
ただ、ひとつひとつに重みがある分、全体としての話の行方がなかなか見えにくくなっているような感じ。かなり読み進んでも話の結末が近づいているという気持ちになれないのです。ラストが唐突な印象を受けましたが、それは読んでいる方が期待している話の落としどころはここではない、という不満が残るからだと思います。
こういう、読み手が途中で放り出されたような気分に陥る話は、幻想小説などではよく見かけますけど、問題は書き手がそれを初めから意図していたのか否か、というところにあるのかも。意図された結末ならば深読みができるようにあれこれと途中で示唆する出来事がありそうだし、最後のシーンでなにかが暗示されることもありそうです。私の場合、それが読み解けたことはほとんどないんですけども(苦笑)。
ともあれ、久しぶりにファンタジーらしいファンタジーを読んだ、という気分になった一冊でした。