2002年9月後半のdiary
■2002.9.19 左のエース、引退/『カスティリオーネの庭』
■2002.9.23 ポップアップ/『樹上のゆりかご』
■2002.9.24 ファイル書き換え/
■2002.9.25 「翻訳SFファン度調査」/
■2002.9.27 バッテリーと『インソムニア』/
■2002.9.30 /
通院日。
読みかけのジョアン・ハリス『ショコラ』[Amazon][bk-1]を持参。診察を待つ間に読み終えてしまったので、薬を待つ間にビル内の書店で久美沙織『聖竜師の誓い 上 ドラゴンファーム3』[Amazon][bk-1]を購入。『竜騎手の誇り ドラゴンファーム2』[Amazon][bk-1]を積読中なのだけど、ほかに買ってもいいと思えるものがなかったので…。いいんだ、再読だから、順序なんて。
九月はこれまでまったく本を買ってこなかったので、このまま節約月になるかと思ったんだけど、ついCDまで買ってしまった…
PowerBookG3のリチウムイオンバッテリーがへたってきた。完全に充電しても、15分くらいしか持たない、という表示が出る。しかたがないので、ずっとアダプタをつけたまま使っているのだが、これではまったくノートパソコンの意味がない。
というわけで、映画タダ券消費のために出かけたついでに、繁華街のMac売場を持つ家電店を巡ってみました。たった三軒だけど。
結論だけいうと、一軒だけ在庫がひとつ残っているところがあった。しかし、現在流通しているG4用やiBook用とくらべるとばかに価格が高い。一万円三千円以上違うので、店員さんも不審に思ったのか、わざわざ調べてくれましたが、当初の価格どおりだという。現在は生産していないので余計に高いのだとも言われた。しかし、バッテリーに三万三千円。私にはとても支払えません。いろいろと世話してくれた店員さんには申し訳なかったですが、丁重におことわり。
これで私のPowerBookG3は、完全にデスクトップと化すことになりました。
映画は観たいものがなくて、戦争物よりミステリーのほうがいいかなあというぼんやりした動機で『インソムニア』を選んだら、これが、すごく疲れた。
白夜のアラスカで、ストレスから不眠症に陥る老刑事の物語。
最近、ときに夜眠れずにてんてんとしている私には身につまされる話だったし、心理的な葛藤と肉体的な疲労感が白っぽいのに陰鬱な画面とあいまって、ずいぶんとおもくるしい印象だった。不眠の疲労が主役のアル・パチーノに積み重なっていくようす(沈滞した表情とか、額のしわとか)に、眠れないって疲れるのよねえとしみじみ。
映画そのものはそれなりにおもしろかったけど、もう一度観たいかと言われたら「否」と答えるでしょう。
夜、日本テレビで放送された『ワイルド・ワイルド・ウエスト』をまた観てしまった(途中からだったけど)。この馬鹿馬鹿しい映画が、私はけっこう好きです。
HTML書き換え中。「翻訳SFファン度調査」でお茶を濁す。
既読は250作品中 59 作品です(平均は 46.35 作品)。
541 人中 143 位でした。
- <ダーコーヴァ年代記:9巻以降>(86) マリオン・ジマー・ブラッドリー
- 『愛はさだめ、さだめは死』(87) ジェイムズ・ティプトリー・Jr.
- 『たったひとつの冴えたやりかた』(87) ジェイムズ・ティプトリー・Jr.
- 『死者の書』(88) ジョナサン・キャロル
- 『竜の歌い手』(88) アン・マキャフリイ
- 『暗黒太陽の浮気娘』(89) シャーリーン・マクラム
- 『重力が衰えるとき』(89) ジョージ・A・エフィンジャー
- 『星の海のミッキー』(89) ヴォンダ・N・マッキンタイア
- 『侍女の物語』(90) マーガレット・アトウッド
- 『世界の合言葉は森』(90) アーシュラ・K・ル・グィン
- 『うち捨てられし心の都』(90) ルイス・シャイナー
- 『リプレイ』(90) ケン・グリムウッド
- 『黒い時計の旅』(90) スティーヴ・エリクソン
- 『フィーバードリーム』(90) ジョージ・R・R・マーティン
- 『落ちゆく女』(90) パット・マーフィー
- 『戦士志願』(91) ロイス・マクマスター・ビジョルド
- 『太陽の炎』(91) ジョージ・アレック・エフィンジャー
- 『ジュラシック・パーク』(91) マイクル・クライトン
- 『自由軌道』(91) ロイス・マクマスター・ビジョルド
- 『ニックとグリマング』(91) フィリップ・K・ディック
- 『8』(91) キャサリン・ネヴィル
- 『銀河おさわがせ中隊』(92) ロバート・アスプリン
- 『ミサゴの森』(92) ロバート・ホールドストック
- 『わが愛しき娘たちよ』(92) コニー・ウィリス
- 『電脳砂漠』(92) ジョージ・アレック・エフィンジャー
- 『トナカイ月 原始の女ヤーナンの物語』(92) エリザベス・M・トーマス
- 『大潮の道』(93) マイクル・スワンウィック
- 『サイティーン』(93) C・J・チェリイ
- 『アインシュタインの夢』(93) アラン・ライトマン
- 『ハザール事典』(93) ミロラド・パヴィチ
- 『アヌビスの門』(93) ティム・パワーズ
- 『世界の果てまで何マイル』(93) テリー・ビッスン
- 『タンジェント』(93) グレッグ・ベア
- <黒き流れ>(94) イアン・ワトスン
- 『シェイヨルという名の星』(94) コードウェイナー・スミス
- 『ヴァーチャル・ガール』(94) エイミー・トムスン
- 『ハイペリオン』(94) ダン・シモンズ
- 『黎明の王 白昼の女王』(95) イアン・マクドナルド
- 『ハイペリオンの没落』(95) ダン・シモンズ
- 『ドラキュラ紀元』(95) キム・ニューマン
- 『竜の反逆者』(95) アン・マキャフリイ
- 『女の国の門』(95) シェリ・S・テッパー
- 『ドゥームズデイ・ブック』(95) コニー・ウィリス
- 『軌道通信』(96) ジョン・バーンズ
- 『銃、ときどき音楽』(96) ジョナサン・レセム
- 『ナイチンゲールは夜に歌う』(96) ジョン・クロウリー
- 『緑の少女』(96) エイミー・トムスン
- 『ミッドナイト・ブルー』(97) ナンシー・A・コリンズ
- 『第81Q戦争』(97) コードウェイナー・スミス
- 『内海の漁師』(97) アーシュラ・K・ル・グィン
- 『リトル、ビッグ』(97) ジョン・クロウリー
- 『火星夜想曲』(97) イアン・マクドナルド
- 『スロー・リバー』(98) ニコラ・グリフィス
- 『三つの小さな王国』(98) スティーヴン・ミルハウザー
- 『キリンヤガ』(99) マイク・レズニック
- 『太陽の王と月の妖獣』(00) ヴォンダ・N・マッキンタイア
- 『ノービットの冒険』(01) パット・マーフィー
- 『竜の挑戦』(01) アン・マキャフリイ
- 『さらば、愛しき鉤爪』(01) エリック・ガルシア
こんなに読んでいたのかと、自分で驚いた。1990年代前半のとっちらかりは、まだネットワークの導入されていない図書館で、予約はあまりせず、書架にあるものを手当たり次第に借りていたせいですね。読むことで精神の平衡を保っていた時期でもあったし。
読んだことを忘れていた本も、題名しか覚えていない本もあります。それも、けっこうたくさん。というより、ちゃんと覚えている方が少ないって気が。読んだ意味はどこにあるのでしょうか。
1998年の環境の変化とともに、ぱたりと読まなくなっているのが自分でもおかしいです。
(もし、移転をするなら、)サイトとしての体裁をもっとさっぱりさせたい。
そんなことを思うものだから、移転先を求める前に、HTMLの書き直しに着手したりしてしまう。
今回は(今回も?)あっさりすっきりをめざして、なるべくテーブルを使わずにレイアウトをしたいというのが目標。しかもネスケも忘れてはいかんと思っているので(私が確認しているのは4.5だけですが)、ふたつのブラウザをとっかえひっかえして混乱する。とくにスタイルシート。
なんとかテンプレートをつくりあげて、一番古いファイルの内容を埋め込んでみる。…すごく疲れた。ホントに全部する気があるのかどうか、自分に問いただしたくなってきた。
それにしても、開設当初の勤勉なこと。毎日なにか書いている。感想の書き方は下手というか、手際が悪いけど。
19日から、閲覧時にポップアップ広告が出るようになりました。私が知ったのは、20日でしたが。予告はありませんでした。
それまでも増えたり一時的に減ったり、しかし大体において増え続けてきた広告。始めは大きなバナー大のポップアップひとつだけだったのが、埋め込みになり、下にもつくようになって…。今回のことでは、まだ増やす方法があったんだと感心もしてしまった。
もうそろそろ潮時かしら。これまで幾度となく移転を考えては、面倒だと思っているうちに広告に慣れてしまっていたのですが、ここまで増えるといい加減画面がうるさくてかないません。
Java Scriptを切ってしまえばポップアップは出なくなるけれど、最近はあちらこちらで掲示板なんかにも使ってあるしなあ。どーしよー。
荻原規子『樹上のゆりかご』(理論社.2002.374p.1500円+税)[Amazon][bk-1]読了。女子高生が主人公の青春小説。
上田ひろみは高校二年生。彼女の通う辰川高校は旧制中学からの伝統を持ち、成績上位のものがあつまるいろいろな意味で特色のある学校だ。男子ともフランクにつきあう友人の中村夢乃の関係で、生徒会執行部の活動に関わるようになったひろみは、執行部に対する挑戦とも受け取れるいやがらせの存在を知る。それは、学校に連綿と受け継がれつづけている男子校としての性質に反発してのものとおもわれた。
荻原規子の、ファンタジーではない本。『これは王国のかぎ』[Amazon][bk-1]のヒロイン、上田ひろみのその後なのですが、前作を読んでいなくてもいっこうにさしさわりはありません。
勉強は当然に個人がそれぞれに励むもので、高校生活はイベントのためにある。といわんばかりの熱気のある高校生活が描かれる一方、そうして得られる一体感そのものへの違和感や疎外感をとりこんで、一筋縄ではいかないふくらみのあるリアルな世界をつくりだしているなあと思いました。細やかな描写を読んでいると、やはり自分の高校生活と引き比べてしまいますが、私の通っていたのは新設校で、私自身が学校行事に不熱心だったため、「こういう世界もあるんだなあ」とひたすらに感心した。そういえば、学区内で一番学力が上の学校の文化祭に行ったことがあるけども、こんな感じだったかも。そこも旧制中学からつづいてるとこでしたけどね。
読んでいて、氷室冴子と恩田陸の中間みたいだなと、ちょっと思った。どこがどういうふうにどちらなのか、分析などはできないのですが。
鳴海知章と近衛有理の人物像が印象的。それから江藤夏郎とひろみとの、かみあわないけど、親しみのあるやりとりが楽しい。人との出会いは別の価値観との出会いでもあり、お互いがわからないから知ることに喜びもあるのだなと感じました。
そうだ。男子生徒をクンづけで呼んでるのが、行儀がいいなと思った。記憶ではほとんど呼び捨てだったから。私の周辺のガラが悪かったのだろうか。
このところ、ニュースを見ても新聞を読んでも気のふさぐことが多くて、それでも流せずにじっくり読んで重く暗い気分になったりしていたのですが、夕刊で見つけた「野村弘樹投手、引退」の記事には、個人的にショックを受けました。
今季はほとんど一軍では投げてなかったし、また手術をしたともどこかで読んだし、復帰の噂も聞かなかったから、漠然と予感のようなものはあったのだけど、それでも現実になってみると、もう引退しちゃうの、はやいよ、と思います。野村投手のPL学園の先輩であるGの投手に完封されかけて、本塁打まで打たれたあとだけに、なおさらです。
野村も打つ投手でした。平塚球場で阪神相手に0-1で負けていたとき、野村の放った二点本塁打で勝ったことはよく覚えているし、西武との日本シリーズで二塁打を打ったことも記憶に残っています。
しかし、なんといっても鮮明なのは1998年の九月、完投勝利した試合で優勝マジックが点灯したこと。引退と聞いて最初に浮かんだのは、あのときの勝利のガッツポーズでした。
投球は派手な剛速球はないけれど、微妙なコントロールで内野ゴロを打たせてアウトをとる、味方のリズムを作るピッチング。最多勝利の栄冠は、かれがとったあと、横浜の投手は誰も手にしていません。
横浜大洋時代からの生え抜きで、ながらく横浜の左のエースと呼ばれつづけてきた男はもう投げないんだ、と思うと本当に寂しいです。
中野美代子『カスティリオーネの庭』(文芸春秋.1997.302p.1905円+税)[Amazon][bk-1]読了。清の皇帝に宮廷画家として仕えたイエズス会士ジュゼッペ・カスティリオーネの、不可解で深遠な宮廷での歳月。
イエズス会が世界各地に宣教師を送り込んでいた十八世紀。清の皇帝はキリスト教を守り育てる熱意を逆手にとり、西洋から来た宣教師たちをそれぞれの特殊技能によって個人的に召し抱えていた。乾隆帝の父、雍正帝の時代より宮廷画家として清の地に暮らしてきたジュゼッペ・カスティリオーネは、宮廷お抱えの宣教師仲間と共に、西洋風の庭園を造るようにと命じられる。十二支をかたどった噴水など、皇帝の注文は無理難題を極めた。なにしろ、宣教師たちの中には庭園を造ったことのあるものなどひとりもいなかったのだ。なんとか完成にこぎつけて数年後、噴水の故障を調べていたカスティリオーネたちは、なかに白骨死体を発見する。
歴史小説、と呼べばいいのでしょうか。清の乾隆帝というのは、高校の世界史で必死に覚えた名前の中にあったような気がする。たしかに、乾隆帝の時代の清のようすが描かれているのですが、それは、俯瞰して流れていくストーリーを眺めるようなものではなく。カスティリオーネの描く絵画や、作らされる庭園、外界とは隔絶した宮廷で監視されつづける外国人臣下としての暮らしがつづき、しずかにたゆたう時間の中に突然織り込まれる断片として目の当たりにするもの。といった感じでしょうか。自分で書いてて混乱しますが。ふしぎな感じです。
カスティリオーネが皇帝に命じられて描いた絵画や、庭園のために描いたスケッチなどの説明が、まるで美術の講義を受けているかのようにこまやかに記されています。この話は、カスティリオーネの作品を解説するために書かれていて、ときには作品の背景として乾隆帝の周辺雑事がそえられているのではと錯覚するほどです。このあたりが余裕のない時には少し苦痛に感じられたのですが、今回はけっこう楽しく読みました。
いままでの文章では、臨場感や緊迫感を欠いた牧歌的な読み物と思われそうで、じっさい私もそんな先入観を持って読み進んでいたのですが、油断でした。
乾隆帝とカスティリオーネの、支配するものとされるものの明暗がくっきりとわかれる場面などのいきづまるシーン、庭園の情緒ある描写、心に残るささやかな交流。その後の暗転からラストへは、表立って主張されなかった流れがふいにあらわになってゆくようすに、しずかな驚きにひたってしまいました。
おもしろかったです。
2002.7.29にCDプレーヤーが故障してから、音楽のない無味乾燥な日々を送ってきましたが、ようやく、購入できました! うれしいよう(涙)。
金曜日に出かけたときに目をつけてきた、一万円台前半のTEACの製品でございます。出かける家族にむりやり頼み込んで買ってきてもらいました。
いやもう、ラジカセ買うしかないかと観念しかけていたので、本当によかった。実際、高級品が欲しいわけではないから、ラジカセの方が安いんですけど、いまあるアンプとかスピーカーとかを捨てるのも悲しいので、デッキを探していたのです。探すというほど通いつめていたわけでもないんだけど。
設置するのにまたすったもんだありましたが、いまは快適に音を出してくれてます。
手始めにそばの山からアメール・ラリューをとって挿入してみましたが、どうも気分ではないので、とっかえひっかえ聞いては取り出しをくり返した結果、最終的に『横浜ベイスターズ選手別応援歌2002』にたどり着いたのは、ヘビーローテーションする前に途切れていたので未練が残っていたせいでしょうか。
しかし、これを聴き始めるとなぜか負けるよな…横浜。
中野美代子『カスティリオーネの庭』[Amazon][bk-1]を読んでおります。今回は読み切れるか。