2002年6月後半のdiary
■2002.6.17 /『めざめる夜と三つの夢の迷宮』
■2002.6.21 /『レディ・ガンナーの大追跡 上』/『レディ・ガンナーの大追跡 下』
■2002.6.24 梅雨寒歓迎/『三国志 十一の巻 鬼宿の星』
■2002.6.26 デート
■2002.6.27 ウィンブルドンテニス/『陰陽ノ京 巻の二』
■2002.6.30 宴の終わり/『トニーノの歌う魔法 大魔法使いクレストマンシー』
W杯閉幕。
決勝トーナメントに入ってから試合間隔が遠くなり、ちょっと熱が下がりだしていましたが、やっぱり終わってしまうと少々寂しさが。この虚脱感は1998年のシーズンが終わったときと(レベルはかなり違うけど)どこか似ています。
明日から、もう新聞に試合結果だの選手の動向だの評論家の分析だのも載らなくなり、テレビでサポーターたちの表情を追うこともなくなり、本当に普通の日々が始まるのだなー。今年の六月は、短かったです。
ダイアナ・ウィン・ジョーンズ(野口絵美訳)『トニーノの歌う魔法 大魔法使いクレストマンシー』(徳間書店.2002.304p.1700円+税
Diana Wynne Jones "THE MAGICIANS OF CAPRONA",1980))[Amazon][bk-1]読了。「大魔法使いクレストマンシー」シリーズの四冊目。
イタリアの小国カプローナは呪文で名高いところだ。呪文作りのふたつの名家、カーサ・モンターナとカーサ・ペトロッキは、カプローナ建国までさかのぼることのできる由緒ある家柄だったが、お互いにこれ以上ないほど仲が悪かった。最近、カプローナでは魔法の力が弱まってきた。大魔法使いクレストマンシーがやってきて、原因は悪の大魔法使いだと告げるが、モンターナ家の人々はペトロッキ家が悪いと信じているので耳を貸そうとしない。ぐずでのろまで魔法がうまくできないモンターナ家の少年トニーノは、大人たちが攻めてくる外国を迎え撃つための準備をして大騒ぎをしているときに、小包を受け取った。
楽しい本でした。
舞台がイタリアだからでしょうか、大胆で奇想天外で用意周到なものがたりに、底抜けの明るさが加わったよう。
これまでのジョーンズの話は、主人公は悩みをひとりでかかえつづけるのが多かったような気がするのですが、トニーノは魔法がうまくつかえなくても家族に大切にされていて、特別な猫ベンヴェヌートの加護を得てもいるので、孤独に苛まれるようなことはありません。
大家族の喧噪と笑い声がひびいてきそうな、にぎやかな物語世界。カプローナに伝わる天使の歌の謎と、魔法使いの家に生まれたのに魔法が得意じゃないトニーノとアンジェリカが巻き込まれる陰謀と、反目する両家の争いとが、ときおり笑いをさそうような機知に富んだ文章で描かれています。
ゆうべ、テニス中継を見たあと(すでに午後十一時)に読みはじめたのは大失敗でした。とまらなくなって最後まで。睡眠不足で、頭が働きません。ろくな感想文じゃないですね。とにかく、クレストマンシーのシリーズでは、私はこの本が一番好きです。それと、カプローナ一の猫ベンヴェヌートがお気に入り。このシリーズはいつも猫が大活躍なので、そこも好きでした。
W杯の影で地味ですが、全英オープンテニスが開幕しています。
サッカーの試合をしているときはハーフタイムなどにちらちらと見てましたが、今日はプロ野球中継のあとで少し見てました。なんか、最近テレビというとスポーツ中継しか見ていない私。
ところで、ウィンブルドンだけがそうなのかどうかは無知なのでわからないんですが、テニスってなかなか時間どおりに始まらないんですよね。杉山愛の試合を中継するというのでチャンネルを合わせたのに、やっていたのは男子の試合。おなじコートでの前の試合が長びいているせいで、試合開始がおくれているんだとか。なかなか始まらないので眠りそうになってしまいました。そして遅くなったので第一セット終了まで見て寝ました。どうやら危なげなさそうだったので。
渡瀬草一郎『陰陽ノ京 巻の二』(メディアワークス電撃文庫.2002.266p.510円+税)[Amazon][bk-1]読了。平安時代の陰陽師たちの活躍を地に足のついた筆致で陰影豊かに描く。『陰陽ノ京』のつづき。
民をないがしろにすることで悪名高いある貴族が倒れた。阿倍晴明の息子、吉平は、貴族の身のうちから人をかたちづくる魂魄のうち「魄」が失われていることに気づいた。このまま放置されると貴族と魄との絆がとぎれ、死ぬことになる。魄の筋を追って吉平がたどり着いたのは、寂れた右京にある朽ちかけたあばら家。そこには十一年前、陰陽寮から姿を消したひとりの外法師が待っていた。
朝廷に依っているが故に、いかに悪辣であっても権力者を守らねばならない陰陽寮。子どもを殺されて貴族を呪っていた素人外法師に出会って怨念を受け継いでしまったため、陰陽寮を背くことになった氏家千早という外法師と、信念を実現するために矛盾をかかえたまま存続しようとする陰陽師たちのたたかいは、呪法合戦のようなものではなく精神的なものとして描かれてます。
前巻よりもページ数が少ないせいか、アクションはほとんどなくて、静的な印象がつよい。
主役であるはずの慶滋保胤がたたかうひとではないせいか。この人は物語の中でも、年齢は若輩に位置しているはずなのに、みょうにできあがっていて、彼の前にたつとあの阿倍晴明ですらおのれの未熟にはっとなるようなところがあります。この存在感は若者のものというより、人生を見切った老人や神仙のたぐいのもののような。思いは若者のそれですが、信念を支えている視界は人のもののような気がしません。
ともすると人間味が希薄になってしまいそうな保胤くんですが、伯家の時継に思いもあらわに押しまくられているときは楽しいです。あと、吉平と佐伯貴年のちいさいほうのカップルがかわいい。おもしろかったです。
高校時代の友人と会う。昼食をご一緒し、しゃぶしゃぶ定食を食べながらしゃべりつづける。話題は家庭の問題からW杯まで。「フランスのジダンて、修道士っぽいよね」ということで意見が一致(笑)。
その後、喫茶店に移動して、ふたりでPC雑誌でお勉強。
じつは、この会談は、近々ADSLを導入する友人に、あまりにも古いPCを買い替えたいが、知識がないので下見を手伝ってくれと頼まれて実現したもの。しかし、私はMacユーザーゆえWindows機の知識はナシ。こんな人物に助力を頼んで大丈夫なんだろうか。不安は去らないものの、できるだけのことをするべく『ASAHIパソコン』を読んで勉強していきましたが、他人様に指南できるほどの境地には到達できなかったので、泥縄式のこんなことに。
検討した結果、友人の希望は「ノート型、モバイルはしない、オフィスソフトがついている」ということになったので、カメラ量販店のPC館へ行って、各社のノート型スタンダード(価格およそ二十万円台前半)を見て歩く。しかし、はっきりいって、区別がつかない。見た目が少しずつ違うのはわかるんだけど、ひとつを取り出してこれはどこのと聞かれたら私は絶対にわかりません。さらに、私はWindows機のCPUの種類がいまいち飲み込めていないのでスペックの上下がわからなかった(汗)。するといったいどこで差別化すればいいのか。どれを買ってもそう大した違いはないようで、もう本人の好み以外に基準となるものはなさそう。
なんとなく、「キーボードの打ち心地なんかも試してみたら」とそれらしきことを言ってみたりしたけれど、なにか役に立ったのだろうか、私は…。
ぐるぐるまわっているうちに店員さんに何度か捕まり、いくつかの情報を吹き込まれ、シャープのメビウスが一押しであるらしいことがわかる。友人がぽつりという。「前回購入したときも、店員にメビウスを勧められて買ったんだけど、シャープには何かあるのか?」それでも(そのPCはこれまでに何度もトラブルをひきおこしている問題児であるにも関わらず)、店員のお薦め攻勢に大きく心が動いたようす。
しかし、財布をあずかる主婦のこと、即決などせず、ひととおりのカタログを集めて退散。友人は家でもうすこし勉強すると言っておりました。
さらに、ADSLのなんたるかをまるで知らない友人のために、導入のハウツーの載っている本を探す。本は見あたらなかったので、記事の載っている雑誌を購入(させた)。
その後は文庫本を物色しつつ、雑談。『夜のフロスト』は楽しかったよねーと表紙を見ながら語ったあとで、解散。
しゃべりすぎて喉が痛くなり、食べ過ぎで胃もたれ。でも楽しかったです。
最近、梅雨寒でとてもうれしい。長袖を着ていられるだけで、私は嬉しいのでした。なぜって、どんなに暑いときでも、半袖を着ていると関節が冷えるから。暑いから出しているのに、どうして冷える。理不尽さに怒りを覚えますが、現に冷えてしまうからしようがない。冷えることにこだわるのは、冷えると痛いからです。冷房最悪。
北方謙三『三国志 十一の巻 鬼宿の星』(角川春樹事務所.1998.300p.1600円+税)(文庫版[Amazon][bk-1])読了。『三国志 十の巻 帝座の星』のつづき。
「三人でひとりだった」関羽と張飛の弔い合戦にのぞむ劉備。圧倒的な戦力で呉の孫権の首をもとめた戦の行方と、その果ての劉備の最後へと劇的な展開を見せる巻でした。
あら、こんなに書いてしまっていいのか?
泣けるシーン続出(実際に泣くことはないんだけど)。乱世のはじめから生き抜いてきた英傑たちはほぼ鬼籍に入り、これから中原はどうなるのか。戦に背を向けて山に入った馬超のすがたが印象的です。
ところで、たたみかけるような、緊張感のある文章は物語世界にとてもあっていると思うのですが、登場人物の話し方におなじような印象を受けることがある。「〜と思っている」という台詞が多いのが最近気になります。
きのう、図書館に行くついでに繁華街へ出て、アンチウィルスソフトを購入。ちょうどキャンペーン中とかでノートンのほぼ半額だったMcAfee VirusScan for Macintoshにしました。妹の家に出張して、iBookにぶちこんできた。やれやれ。
茅田砂胡『レディ・ガンナーの大追跡 上』(角川スニーカー文庫.2002.252p.476円+税)[Amazon][bk-1]、
茅田砂胡『レディ・ガンナーの大追跡 下』(角川スニーカー文庫.2002.298p.514円+税)[Amazon][bk-1]読了。『レディ・ガンナーの冒険』のつづき。
かつて人類は、動物の形態に変化する異種人類(アナザー・レイス)と戦った末に敗れ、現在は互いの立場を尊重し、共存してゆこうという意識が一般的になっていた。しかし、一部のアナザー・レイスを毛嫌いし、いわれのない優越感をいだくものたちは、影でアナザー・レイスの撲滅を図るべく暗躍している。かれらは異種人類と人類との混血(インシード)にも、形態変化の能力を持つものがいると知って、解剖実験の標本とするべく捕獲作戦に乗り出した。
バナディス外務補佐官をつとめるエリオット・ウィンスロウの娘キャサリンは、人類と異種人類の共存共栄を心から信じる曲がったことが大嫌いなお嬢様。彼女が先日の冒険で知り合ったインシードの美しい変化した姿を美術の時間に描いてしまったことから、《蜥蜴》のベラフォードに目がつけられた。
上巻を読んであまりにつまらないので、ここでやめてしまおうかと思ったのですが、すぐに下巻が届いたのでけっきょく読みました。下巻はとてもおもしろかったです。
ようするに上巻は導入部だけ、だったんですよね。シリーズものの導入部に必要なことをいろいろと考えさせられました。顔見知りのキャラクターをすくなくともひとりは登場させるとか、話に関係ないように見えても、主役は登場させておくとか。そうでなければ、視点人物をひとり固定して、その人物を主要キャラクターとして活躍させるとか。
敵役のしようもない偏見道楽貴族たちとか、秘密結社とかの内幕ばかりだと、興味を繋ぐのが大変。
キャサリンがベラフォードを助けるために旅立ったあとからは、話にテンポが出てきて、おなじみのキャラクターも活躍し、読んでて苦痛なところはほとんどなかった。用心棒の四人組や、男爵家の地下牢で出会ったミュリエル、アナザー・レイスの代表を務めるひとたちなど、個性的なキャラクターたちの超人的な活躍が楽しいです。
例外は、キャサリンというキャラクター。私は彼女に対してどうしてもひいてしまうところがあるので、その部分についてはあんまり考えないようにしております。
松井千尋『めざめる夜と三つの夢の迷宮』(集英社コバルト文庫.2002.270p.514円+税)[Amazon][bk-1]読了。「オムニバス幻想譚」。三編を収録。
安宿『三つの杯亭』の無愛想な娘リシ。言い寄る男を「決まった人がいるの」と断り続ける彼女には、しかし男の気配はない。ある日、辺境王と呼ばれる王子が街に来る途中で賊に襲われ、かれを護衛していたというダヴィウという若い男が『三つの杯亭』にやってきた――信頼していた人を信ずるが故に陥れてしまった過去のせいで、他人にも自分にも頑なになった娘の心の解放を描く、「辺境王の帰還」。
善良だが野暮ったい人々が暮らす村の娘ロタは、夕暮れ時、赤い夕日にをうけてさらに輝きを増す魔術師の娘に、その美しさへの嫉妬からおもわず憎まれ口をくちばしってしまった。魔術師の娘は七年ほど前から村に住みついているが、だれとも眼をあわさないし、だれとも話したりしない。ところがこのとき、娘はロタをみつめ、ロタも娘をにらみかえしたのだった。あとになってロタは「魔術師の体には古い魔法の力があふれている。目をあわすと、悪いことが起きる」という言い伝えを思い出す――人とはちがう法則にしばられて孤独に生きる魔術師の娘と、村娘ロタのはかない交流を描く「小さな夢の迷宮」。
トリシテの歴史のすべて、事実のすべてを口述でつたえる伝声官。大臣の息子であると同時にとびぬけた才能を持つシラは、異例の速さで一位伝声官に出世した。元奴隷の息子でつてのない幼なじみのダルエクは、まだ四位伝声官のままだ。ある日、シラは二位伝声官イザクからソ人の奴隷娘を預かった。十年も前にトリシテに滅ぼされたソは、国民のすべてが死を選んだ際にトリシテに呪いをかけたという噂が流れていた――すべてを声で伝える世界を根幹で支える伝声官のおきてに背いてゆく若者を描いた「トリシテの伝声官」。
三編とも、あんまりうまくまとまってないなーと感じるところはあるのですが、私はこの本が好きです。
これまでの著者の本はすべて読んでいますけど、この本が一番好き。というか、これまでは異世界を舞台にした話は書いていなかったんですよね、この方。それでつい手にとったのですが、買ってよかったーという感じです。
派手さはないものの、そのときそのときに的確なことばでつづられた着実な文章が、物語のふんいきにぴったり。甘すぎず、辛すぎずの描写と読後感。そして話の長さと、話の大きさもちょうどいいような気がします。
「辺境王の帰還」は働き者で無愛想で剣がつかえるヒロインのリシがとても好き。
いちばん幻想色が濃いのは「小さな夢の迷宮」ですが、私は「トリシテの伝声官」の、文字という概念にはじめて触れたシラとダルエクの会話が興味深かった。これを読むと、書かれた言葉というものがすでに情報としては淘汰選別されたものなのだなと考えさせられます。そしてラストの一文。なんか嬉しいような哀しいような不思議な余韻が残りました。
W杯も決勝トーナメントに入りました。見ていると試合の雰囲気が一変していて驚きます。
グループリーグまでは勝ち点だの得失点だの、いろいろと損得勘定をしながらの対戦で、ときにはお互いの利害が一致して、なごやかとはいかないまでも、それほど真剣にゴールを狙いに行かなくなって、ボールだけがぐるぐる回ったりするようなシーンがなきにしもあらずでした。
しかし、一発勝負、負けたら終わりのトーナメントでは、死にものぐるいというにふさわしいプレーが相次いで、目が離せません。
おかげで、ほかのやるべき事がすべておろそかになっている私(汗)。
今日はスウェーデン×セネガルも、スペイン×アイルランドも、すごかった。とくに後者は、双方うごけなくなるまで戦ったすえに、PK戦にも波乱が。ここまできたら、技術や体格というより、気力と体力の勝負なのかもしれない。延長で数的優位に立ったアイルランドが、自分たちのプレーを貫き通していれば、もしかしたら…と思わないでもないのです。それでも、終了寸前に同点にして延長に持ち込んだ粘りが色褪せるわけではありません。
うーん、W杯って凄い。
北方謙三『三国志 十の巻 帝座の星』(角川春樹事務所.1998.312p.1600円+税)(文庫版[Amazon][bk-1])読了。『三国志 九の巻 軍市の星』のつづき。
佳境ですね。よくよく見たら、このシリーズって全十三巻。主要登場人物の死が相次いで、盛りあがると同時に寂しさも感じます。魏の曹操(そういえば、前巻あたりからようやく国名がでてきたよ)の死を描く「冬に舞う蝶」は、周瑜の死の書かれ方と似ているのですが、生きてきた年月とやり遂げてきた業績の違いなのか、人生を生き抜いてきたという感慨があって、湿度が少ない分、よけいにしみじみしました。
それにひきかえ、張飛の一家はかわいそうだー(T.T)。これまでの描かれ方からして、張飛にはかなり好感を持っていただけに、この最後は衝撃です。