2001年1月後半のdiary
■2001.1.17 借りすぎ/『プロ野球 問題だらけの12球団』
■2001.1.18 /『時計を忘れて森へいこう』
■2001.1.19 姿勢が悪いのか/『星の海を君と泳ごう 時の鐘を君と鳴らそう』
■2001.1.20 雪だ〜
■2001.1.21 温泉へ行こう
■2001.1.22 しあわせの足湯
■2001.1.23 /『騙し絵の檻』
■2001.1.24 おでかけ/『DIVE!! 1 前宙返り3回半抱え型』
■2001.1.25 /『夢弦の響 櫻の系譜』
■2001.1.26 じわじわ/『ファンタジイの殿堂 伝説は永遠に 1』
■2001.1.27 大雪
■2001.1.28 太陽の光
■2001.1.29 嫌いな季節/『風車祭(カジマヤー)』
■2001.1.30 悩み/『アース・ガード ローカル惑星防衛記』
■2001.1.31 『クリムゾン・リバー』を観た/『クリムゾン・リバー』
というわけでジャン・レノとメル・ギブソン、どちらを観るか迷ったすえ、ジャン・レノを選んだ。
予備知識はほとんどなし。原作がフランス人で、ハリウッドにも負けないアクション映画になったとかいうことをジャン・レノがインタビューで語っていたような記憶のみ。
でもこれがけっこう当たりだった。山奥にある大学町で起きた図書館司書の殺人事件(猟奇)。由緒ある大学の古い建物が陰鬱で、雪の積もった山が美しく、ジャン・レノが渋い(贅肉が増えた気がするが)。途中でからんでくる若い警部役のヴァンサン・カッセルがだれかに似ている気がして、それをずーっと考えていたせいか、それともかなり大胆なストーリーの刈り込みのせいなのか、途中で「?」と思うところもあったけれども、山岳アクションにカーチェイス、格闘ゲームさながらの乱闘シーンなど、サービス満点で飽きさせない。タダ券で見るにしては、かなり儲けた気分の映画でした。
猟奇な死体複数に耐えられない人にはお勧めしませんが。
途中の疑問が最後まで氷解しなかったので、つい原作本を購入して帰ってきました。
というわけで、ジャン=クリストフ・グランジェ(平岡敦訳)『クリムゾン・リバー』(創元推理文庫.2001.494p.920円+税
Jean-Christophe Grangé "LES RIVIÈRES POURPRES",1998)読了。暗い悪の気配の漂うミステリ。
フランス司法警察の警視正ピエール・ニエマンスは、警備の応援に行ったサッカー会場でサポーター同士の諍いを止めようとしたあげく、イギリス人サポーターひとりに瀕死の重傷を負わせてしまう。
外交問題にも発展しそうな不祥事を前に、昔なじみの警視長の配慮で、ニエマンスはアルプスの麓にある大学町ゲルノンで発見された惨殺死体の調査に赴かされた。被害者は拷問された後に眼球をえぐられ、絞殺されたらしい。
そのころ、田舎町サルザックで不可解な事件が起きていた。小学校への侵入に、墓荒らし。上層部ににらまれてとばされてきたカリム・アブドゥフ警部は、事件を追ううちに背後に二十年前のできごとの存在を感じ取る。犯人の痕跡はゲルノンへとつづいていた。
作者は「フランスミステリ界に彗星のごとく現れた大型新人」で、この本はデビュー二作目にして「フランスでも刊行以来、数ヶ月にわたってベストセラーの上位をしめつづけ」、そして映画も「異例の大ヒット」を記録したそうです。
その映画を見てから読んだわけですが。
まとめるために刈り込んだ枝葉は、こんなにあったのかー。
映画で「?」だった箇所は、わからないままでしたが、あれは映画側の編集のせいだったような気がする。わかったような気分になっていたところも「そうだったのかー、そういえば」と思うことしばしば。見せ場づくりに刈った枝葉から再度移植されたような部分も、もともとはストーリーのなかのしっかり根づいた一部分だったのね。
サイコサスペンスばりのストーリー展開に推理小説の巧みな構成がくわわった、上質の娯楽小説でした。
主役は、ときに理性のたががはずれて暴力衝動を抑えきれなくなる、元伝説の刑事ニエマンスと、自動車泥棒で学費を稼ぎながら大学を出、さらに警察学校を首席で卒業したアラブ系(ここらへんがフランスか)孤児のカリム・アブドゥフ。どちらも正義をふりかざすようなタイプではなく、自分も社会の汚濁の中に生きているという自覚がある、アウトローなひとたち。
このあたりは映画ではずいぶんソフトになっていますね。
物語の結末にそれが顕著に現れていると思う。
映画は「犬嫌い」の落ちをつけるあかるいものになっているのに、原作はダークというか、フランスものだからノアールというのか、別の結末を知ってから読むと「うわー、こうなっちゃうのか」という感じ。原作のみなら、「うーむ、そうなるのか」と思ったかもしれない。おなじようだけど微妙にちがう感想です。
ところで、
主人公の名前がちがう(主人公だけじゃないけど)。映画は「ニーマンス」原作は「ニエマンス」。外国人の名前の表記がメディアで異なる例はたくさんありますが、混乱を避けるためにも統一してほしいです。できれば現地人の発音にしたがって。
明日で一月も終わりですね。ここで悩みが。
一月末までの映画館タダ券があるのですが、現在その映画館で上映している映画に、取り立てて観たいと思うものが存在しない。
見なければいーじゃん。と言い捨てられればいいのだが、根が貧乏性なので「せっかくタダで見られるのにもったいない」とどうしても考えてしまいます。
見たくないものを却下して、見てもいいかなくらいのものを二本残したものの、どちらも決め手に欠ける。だいたいこの映画館は私の観たい映画をあまりやってくれないんだよな。
うーん、どうしよう。
小川一水『アース・ガード ローカル惑星防衛記』(ソノラマ文庫.1998.286p.490円+税)読了。侵略アクションSFコメディー(?)。
舞台は現代の地球、日本の名古屋地方。宇宙的にお尋ね者の窃盗犯ガーネットは、セーラー服を着て高校生をやっている。そこにあらわれたのがガーネットを宇宙人だと見破った宗谷水砂樹(地球人)。かれはガーネットを捕らえようとするが、SCPOの追跡刑事クレラード(宇宙人)の派手な立ち回りの前に、なぜかガーネットと共同戦線を張ることになる。
『SFマガジン』先月号の「21世紀SFのキイパーソン」を読んでから、思いついて借りた本。ホントは著者の出世作を読みたかったのですが、貸し出されていたので、とりあえずあったものを借りてみました。
ルパン三世と銭形警部の追っかけっこのようなお話に宇宙人の地球侵略計画がからんで、さらに地球の危機にまでスケールが広がるわりに、全体的にさらりと進んでしまいます。
このページ数でこれだけ話を膨らませて、なおかつすっきりとまとめようとすると、全体的に印象が薄くなってしまうのは仕方ないことなのかもしれません。
舞台がローカルで進むのなら、キャラクターももっと地域密着にしてもよかったかなとも思います。『風車祭』のあとだけによけいそう感じるのでしょうが。
とはいえ、この本はデビュー二作目なので、やっぱり最初に目をつけた本を読んだ方がよかったかと思います。
半日、『風車祭(カジマヤー)』を読んで暮らす。
本はとてもおもしろいけど、「冬至の日に熱帯夜の連続記録がとぎれた」なんて記述を読むと、本当かどうかはさておいて、「そんなところで暮らすのは論外だな」と思う。私は夏が一番嫌いです。
池上永一『風車祭(カジマヤー)』(文芸春秋.1997.542p.2476円+税)読了。現代沖縄を舞台に古くから伝わる祭りとともに語られる壮大なファンタジー。
島の高校生、比嘉武志は、子供は出歩いてはいけなさいされるシチ(節)の日に、仲村渠家のオバァを訪ねた。仲村渠家には祖母、母、子世代の三人のオバァがいるが、親しいのは母世代のトミだ。彼女はシチの日のいわれを彼に諭す。シチの日には後世(あの世)のひとが子供のマブイ(魂)をとっていくのだ。マブイをとられたものはそのうち死んでしまう。だが彼は気づかぬだけですでに出会ってしまっていた。彼のそばには姿の見えない気配がある。そして豚のものともうひとつのにおいがし、さらには声が聞こえる。
奇妙な豚の足跡を追っていった武志は途中で会った近所の小学生郁子とともに、アラピキ橋で巨大な六本足の豚と琉球の婚礼衣装を着た若く美しい女を見た。彼女が声の主。そして肉体を持たぬマブイだけの存在だった。そのとき武志と郁子はマブイを落としてしまっていた。
マブイだけで二百四十年生きてきた女に恋するあまり、落としたマブイをとり戻そうとしない少年と、早く後世に行きたいと願いながらも少年に恋するマブイの女ピシャーマ。そして信仰の薄れたがために危機に瀕する島を救うため、神から彼女にあたえられた使命。しかし、無力な彼女がなすすべなく過ごすうちに神の予言が実現されていくさま。神からのすくない言葉に翻弄される聖職者たち。
スケールの大きな物語が、妙に日常的に展開されていく不思議なお話。
沖縄の精神世界の独特な豊かさも、作品に欠かせない大きな要素ですね。魂と理解されるマブイが、簡単に落としたり拾ったりできるのがかなり不思議。そして肉体と離れたマブイがドッペルゲンガーのようにかってに歩きまわってしまうのも、とても不思議。マブイを落とすのとたまげる(魂消る)のとでは、どこがちがうんだろうか。
それから、異常に生命力の強いオバァ、数え九十七歳の風車祭(カジマヤー)を祝うためだけに生きてきたフジの存在は圧巻。『レキオス』もそうだったけど、この作家の描くオバァたちは強烈です。そのほかの登場人物たちも癖のありすぎる人(および豚)たちで、笑いをこらえる場面が多々ありました。
とにかく読んでて楽しい一冊。最後はほろりとさせられます。
ところでとても重たいです、この本。読みながら腕がだるくて仕方なかった。それでも読みつづけたのは、おもしろかったから。それだけの価値はありますが。
太陽の光は偉大です。
雪が降りつづいていた昨日にくらべると、今日の我が家の居間は別世界のよう。
すきま風の多い建物ですが、日当たりだけは抜群。とくに居間は西日がいつまでも射しこんでくるので、日が出ている間はときには暖房の必要を感じないほど温かい。いきおい、自室に戻る時間が少なくなり、寒いままで放置され、就寝時にいくのがイヤになるのですが。
おなじ気温でも曇っているととても寒く感じます。さらに夏には反対の作用をもたらし、地獄のように暑くなります。日が高くなるから、西日の射し込みはそれほどではないですけど。
しかしとにかく、寒い間のこの温かさはうれしい。太陽さま、ありがたやと日々暮らしております。
ひきつづき、池上永一『風車祭』を読む。分厚い本の上に、二段組なので、なかなか進まない。重いし。
朝から雪が降り止まない。こういうときは家の中にいたほうが身のため。
というわけでだらだらと無計画に一日過ごしました。
朝刊を拾い読み、『Number』最新号の伊藤みどり、本田武史、関東学院の記事を拾い読みしているうちに午前中は終わり。
午後からはFFIX。めんどうなのでいっさい手を染めずに来たカードゲーム。やらなければ先に進めない事態に直面して、泥縄式にやっているのだけど、ルールを覚えようという気力があまりないうえに、カードに書いてある記号が判別しづらくて、何度やっても負けてしまう。うーん。
池上永一『風車祭』を読み始める。
雪は20センチ以上積もったもよう。
ここしばらく、背中から肩、腕にかけての痛みがつづいていました。温泉に行っても改善せず、夜眠れないくらいにひどくなってきたので、貼り薬を貼ってみた。
足首・頸用に医師に処方してもらったもので、炎症のあるところに貼る冷湿布なので、ちょっと不安だった(血行不良なら温湿布でしょう)のですが、貼ったとたんに「じわじわじわじわ」。薬効成分が浸透しているのがおそろしいほどに実感できて、笑っちゃいました。夜も眠れたし、はやく貼ればよかった。
ロバート・シルヴァーバーグ編(風間賢二,等訳)『ファンタジイの殿堂 伝説は永遠(とわ)に 1』(ハヤカワ文庫FT.2000.389p.740円+税
Robert Silverberg(ed.) "LEGENDS",1998)読了。アメリカSF界の大御所シルヴァーバーグが、現在を代表するファンタジーシリーズの新作外伝を集めて編んだアンソロジーの一冊目(全三巻)。
まず「序」でシルヴァーバーグが欧米におけるファンタジイの歴史と収録作品の著者を簡潔に紹介。それぞれの作品の前には、シリーズのあらましと既刊の作品名。邦訳のあるものは邦訳名。存在するものは作品世界の地図も掲載されている。シリーズに初めて出会う読者にも親切な構成ですね。邦訳を出している出版社も載せてくれるとなおよかったけど(訳者あとがきに書いてありますが)。
「1」の収録作品は以下の四作。著者名(訳者名)「作品名」〈シリーズ名〉の順。
スティーヴン・キング(風間賢二訳)「エルーリアの修道女」〈暗黒の塔〉
ロバート・シルヴァーバーグ(森下弓子訳)「第七の神殿」〈マジプール〉
オースン・スコット・カード(友枝靖子訳)「笑う男」〈アルヴィン・メイカー〉
レイモンド・E・フィースト(岩原明子訳)「薪運びの少年 ―リフトウォー小話―」〈リフトウォー・サーガ〉
このうち読んだことがあるのは半分。丁寧な紹介文のおかげで、それほどまごつかずに作品世界になじむことができました。
キングは説明の必要もないほど有名なモダンホラーの大家。しかし、私は最近ずっと精神的体力のなさを理由にこの作家から遠ざかっている。〈暗黒の塔〉シリーズはファンタジーという噂は聞いていて、気になっていたのですが。
このお話は、ガンスリンガーのローランドの探索の旅が始まった頃のワンエピソード。西部劇に出てくるような町で出会う怪異と、謎の美少女との交流。なんとなく菊地秀行の「ヴァンパイアハンター」シリーズを思い出した。紹介文によると話の方向性はまるで異なるようですが。感想、やっぱり体力のいる話であった。
シルヴァーバーグの〈マジプール〉シリーズは、邦訳されたものは全部読んでいる…はずなのだが、登場人物の名前と関係がなかなか思い出せずに苦闘した。かえって知らない話のほうがストレスがたまらないような気がする。
惑星マジプールの先住民族メタモルフと人類が共同でおこなっていた遺跡発掘現場で起こった殺人事件。被害者はメタモルフの考古学者。人間とメタモルフの間の和解に尽力した教皇ヴァレンタインが、解決に乗り出すというお話。人類が入植するより遙か昔に破壊された、メタモルフの都の真実とは。
オースン・スコット・カードは『エンダーのゲーム』で有名ですが、私は未だ読んだことがない。カードの本自体は二冊ほど読んでいたのですが、あんまりおもしろくなかったという記憶しか残っていない。この経験がいけなかったのか。
〈アルヴィン・メイカー〉シリーズも題名には見覚えがありました。独立戦争が起こらず、民間魔術のさかんなアメリカを舞台にした改変歴史物。造物者(メイカー)外見は鍛冶屋のアルヴィンの冒険物語であるらしい。シリーズ名からもっと硬質なSFをイメージしていたのはとんだ誤解でした。すくなくともこの話に関してはユーモラスな民間伝承のような趣があります。この本の中で一番おもしろいと思った話。
フィーストの〈リフトウォー・サーガ〉も邦訳は全部読んでいました。ツラニ帝国の話も、三部作になっているんですね。つづきは出ないのでしょうか。
この話がいまの日本で流通する「ファンタジー」というイメージに一番近いような気がします。侵略者がツラニ人でなく舞台が異世界でなければ、ヨーロッパの昔話として紹介されてもわからないような普通の物語。本編にはもっと仕掛けがあるのですが。
でも、クライディーのボリク卿の元気な姿が読めたのがうれしい。ボリク卿って父親のほうですよね? 息子の名前はなんでしたっけ。脳味噌が溶けてる…。
アンソロジーは時間に追われて読むものではないなとしみじみ。特にこの本は一編一編違う世界をのみこむのに、あたまをきりっと切り替える必要があって、一気読みは無理でした。だから旅行に持っていこうと思ったのに、忘れるんだもんなー。しくしく。
金蓮花『夢弦の響 櫻の系譜』(集英社コバルト文庫.2001.270p.495円+税)読了。青春伝奇小説?。
当麻杜那は陰陽師の家系に生まれ、幼い頃から人には見えぬものが見えた。私立開櫻高校に進学した杜那は、通学路の桜並木のもとで自分の運命と出会った。北の空で輝く星のような瞳をもつ存在。それは人にあらざるモノ。そうとわかっていながら杜那はひきつけられた。
父親とともに「夏越の弓」の鑑定をすることになった杜那は、紹介者の田所にペースを乱されている自分を感じていた。真意のつかめぬ田所に、しかし、杜那が敬愛する父親はずいぶん親密に接している。
夏休み最後の日にふたたび田所に「夏越の弓」鑑定のつづきにかり出された杜那は、そこで希代の巫女を祖母に持つ、栗花落砌と出会う。かれはおなじ開櫻高校の一年生だった。
先頃完結した「月の系譜」と対をなすシリーズ。常世姫を封印した櫻の巫女の血筋に関わる出来事が展開されていくのでしょうか。しかし、ストーリーは直接関係があるわけではなく、むしろ並行的なものになっているようです。
主人公は高校生陰陽師の当麻杜那。そして櫻の巫女の孫、栗花落砌。審神者(サニワ)である田所冬星。田所と杜那の関係は、「月の系譜」の泉ちゃんと榊を思わせるけれど、今回は別方向に怪しげな人物配置でありますね。
高校生が主人公で特殊能力のゆえに孤立しているというお話はよくあるような気がしますが、著者のちがうところは家族をしっかりと描いているところです。杜那の幼い頃のエピソードなどであらわれる両親のすがたには、リアルな重みがあります。
今日も寒い。寒いときの外出でつらいのは、バス停でバスを待っているときです。電車と違って時間通りにくるわけではないので、暖かいところに避難するわけにもいかない。避難できる暖かいところなんて、まわりにないのですが。
吹きさらしに十五分立っていたら、頭が重くなってきた。もう風邪をひくのはイヤー。
図書館で読んだのは『週刊ベースボール』と『本の雑誌』。『本の雑誌』の「北上次郎にティーンズノベルを読ませよう」(だったと思う)という企画が楽しかった。時間がなくて全部読めなかったのが残念。
その後、繁華街へ出て、delta-wing『THE DELTA-WING』と谷山浩子『心のすみか』を購入。本屋にてロイス・マクマスター・ビジョルド『スピリット・リング』を購入。はっ、これが今年の初買い本か。
森絵都『DIVE!! 1 前宙返り3回半抱え型』(講談社.2000.223p.950円+税)読了。飛び込みにうちこむ少年の成長を描く青春小説。
坂井知希は中学一年生。小学生の時からMDCで飛び込みをやっている。飛び込みの推進者だった会長の死で、MDCは存続が不安視されるようになっていた。知希はまだ子供で、人にはつきあっていると思われている未羽との電話も億劫だと感じてしまう少年だが、飛び込みができなくなることなど考えられない。
そんなある日、プールに印象的な瞳を持つ若い女性がやってきた。思わず、「あんた、うちのクラブをつぶしに来たのか?」と尋ねてしまった知希に返ってきた答えは「つぶしに来たんじゃないわ。守りに来たのよ」。
麻木夏陽子と名乗った彼女は、知希たちの新しいコーチだった。
少年誌に載っているスポーツマンガのようです。いい意味で。
自分の可能性に無知で、無欲な、しかしなにより飛び込みを愛する少年。彼を取りまくのは同い年でおなじスポーツに打ち込む「仲間」。なにくれとなくアドバイスをくれる、クールでハンサムな年上の実力者。年子で早生まれなため、同学年にいる性格の違う弟。告白されてなんとなくつきあっている「彼女」。
そして、強引な手腕で主人公を導いていくコーチ。コーチに見いだされた天才のライバル。
典型的な設定のようですが、予想できる展開が陳腐にならずに先へとひっぱっていく力になっている。そしてスポーツものらしく、地道なトレーニングが実を結び上達してゆく喜びが、少年の繊細な心情を絡めつつ描かれていきます。
知らない世界についての知識を得るという楽しみも。飛び込みって、オリンピックでくらいしか中継されないほんとにマイナーなスポーツという印象ですが、こういう本を読むとどういう競技なのかがすんなりと理解ができて興味がわきます。
図書館の「新着図書」の棚にあったのを見て、著者名に見覚えがあったので借りてみたのですが、とてもおもしろかった。巻末に第二巻が11月下旬に刊行予定と書いてあるので、もう出ているはず。
ジル・マゴーン(中村有希訳)『騙し絵の檻』(創元推理文庫.2000.314p.660円+税
Jill McGown "THE STALKING HORSE",1987)読了。イギリス人ミステリ作家の邦訳長編四作目。
十六年前、無実ながら二件の殺人事件で終身刑を宣告されたビル・ホルト。仮釈放されたかれは真犯人を求めて故郷へと帰った。自分を罠にはめた人物は誰なのか。探し出して殺してやりたいという衝動に突き動かされるビルの前につぎつぎとうかびあがる新たな事実。
法月倫太郎氏による解説によれば、「本格派の四番打者、満を持しての手法の登場と呼ぶにふさわしい風格をそなえた傑作」なのであるらしい。
謎解きにワクワクしたくて読む読者にはこたえられないパズラー、なんだろうな。
しかし、読みながらいちいちの情報を頭に書き込んだりしない、ずぼらな読者である私には、少々手に余る作品だったもよう。
同じ作者の「ロイド&ヒル」シリーズが面白かったんで借りてみたのですが、人間ドラマより推理の構成に力が注がれた作品という感じ。非常に引き締まった作品であるだけに、二兎は追えないという作者の姿勢は一貫していて、それはそれでいいのですが、やっぱり私にはパズラーはむかないのですね。もうすこし登場人物やまわりの空気を書き込んでほしいと思ってしまうので。謎解きのすばらしさもちゃんと味わっているとは言い難いし。
これからはちゃんと確認してから借りようと思いました。
一泊二日は短いようだけど、都合四回も温泉に浸かれば疲労もかなり増しています。
それでも妹は満足せず、最後に屋外の足湯施設に連れていかれました。
料金を払ってロッカーの鍵を受け取り、荷物はそこに保管。裸足になって備えつけのサンダルに履き替えます。ここでズボンの人は裾をからげます。
幼児用プールのような浴槽が九つあって、それぞれに効能が書かれた看板がたててあり、人間は求める効能の浴槽へじゃぶじゃぶと足を踏み入れるという寸法。
もちろん、温泉のもとは同じなので、お湯に違いがあるわけではなく、浴槽の底にそれぞれの効能をひきだすツボを刺激する石だの、ブロックだのが埋め込まれているのです。
これは私には拷問に等しかった。石をよけて入ってましたが、好奇心に促されるままあちこちの浴槽をわたりあるいた後で、ツボ刺激が必要ないなら一カ所でじっとしていればよかったのだと気づきました。かなりバカです。
足をお湯につけたまま腰を下ろせるようになっているので、ぼんやりとくつろぐこともできます。座って本を読んでいる近所にお住まいらしい方も見かけました。
お湯の温度は始めは熱いと感じましたが、それは足が冷えていたからで、慣れるにしたがいちょうどよくなりました。深さは大人でふくらはぎくらい。いちばん深いところでも膝まではこなかった。屋外なので、顔が寒かったりするんですが、足からほかほかとして、とっても楽しい気分。
今回の温泉旅行でこれが一番しあわせ度の高い経験でした。
まだ新しい施設みたいで、私たちが浴槽から出るときにはどこかのテレビ局が取材に来ていたようです。
しかし、今は冬だからあったかいのがうれしいですけど、暑い季節はどうなんでしょうね、この施設。
帰宅したら、家のまわりにはまだ雪がけっこう残っていた。雪のことなんか半ば忘れていたのですが。
旅装をといてようやくひと心地。疲れた疲れた。滅多に旅行なんぞに行かないので、ちょっと出かけるだけで大仕事です。本も全然読めなかったし。というか、読む本がなかったんだけど。
メールチェックのついでにのぞいた「ニッカンスポーツ」のサイトで鈴木尚典の怪我を知り、ショックを受ける。怪我だけはしないでほしいのにー。
妹の発案で一泊二日の家族温泉旅行。ワンボックスカーに乗って出発です。
雪が積もったので心配しましたが、道路が大変なのはうちの周囲だけ(苦笑)。表通りは何の支障もなく通行できるようになっており、温泉地に近づくにつれ、路肩の雪なども姿を消していきました。
広い浴槽に入りたいと望んでいた妹が組んだスケジュールに沿って、宿泊予定の宿以外の宿の温泉にも入りましたが、格の上下、質の違い以外は、温泉の風呂場はどこも似たり寄ったり。
私には温泉は設備的に合わないのだなと、思い知りました。ひとり家に残されるのもイヤなので着いていったけど、これからは自宅待機も考えた方がいいかも。
持っていくつもりだった本を荷物の中に入れ忘れた。やはり出発当日の朝に支度をしたのはまずかったようです。
午前中、メールチェックをしたら、Outlookがチェックの途中で前触れなしに終了するという怪異に遭遇した。メーラーはEudoraに適宜移行中なんだけど、Outlookで受けた過去のメールを扱えないのと、保険のつもりで、Outlookも使っているのです。
何度やってもチェックの途中で終わってしまうので、イヤーな予感がしつつもウィルスチェックとハードディスクのチェックをした。ウィルスには感染していなかった。しかし、ハードディスクのチェックは途中から音がするだけで進行しなくなってしまいました。またかよ…。
というわけでPowerBookG3、またも生まれ変わりました。もう作業の詳細は書きません
復旧途中で買い物に出かけたら、雪が降り出してきて、帰りがめちゃくちゃ大変になってしまった。週末の夕方、それでなくとも道路が混んでる時間帯なのに、けっこうな降りなんだもんな。
午後六時過ぎ、家の前にはすでに三〜五センチくらい積もってました。天気予報じゃ、雨って言ってたはずなのにい。明日から温泉へ行く予定なんだけど、大丈夫でしょうか?
ネットサーフィンしてたら腰が痛くなった。やっぱり、姿勢が悪いのでしょうね。机に脚を伸ばすスペースが全然ないんだもんな。下になにやらたくさん物があるせいで。自分の机ではないので、勝手に片づけるわけにもいかないし。
膝の上にパソコン載せて日記を書いてるときはなんともなくて、ちゃんと椅子に座ってるときの方が支障があるなんて、理不尽な気がする。
作家の高野史緒の公式サイトを見つけた。まだ出来たばかりのようです。即座にブックマーク。リンクのページにたどり着けなかったので、URLをメモ。
柴田よしき『星の海を君と泳ごう 時の鐘を君と鳴らそう』(アスキー.2000.430p.2200円+税)読了。オンライン雑誌『SFオンライン』上で有料コンテンツとして発表された「星の海を君と泳ごう」と書き下ろされた続編の「時の鐘を君と鳴らそう」を合わせて一冊にまとめた未来宇宙SF。
銀河総合大学で学ぶ十三歳のララは、ルナ出身の苦学生。親友のタニアから高額な報酬の約束されたアルバイトを紹介される。仕事の内容はタニアの兄で銀河連邦一の加入者数を誇るテレビ局の一員であるキリバンのたずさわるドキュメンタリーの基礎調査。最近大学から行方不明になる学生が増えているのだが、その背後になにがあるのかを調べるために、学生たちのインタビューを集めることだった。
打ち合わせに訪れたララは、調査のために集められたほかの学生たちと顔を合わせる。そのなかには彼女がひそかに心を寄せるマース人のイトーもいた。ララは銀河系中にその名が知れ渡っている天才少年キム・ウンヨンとパートナーを組んでインタビューをすることになる。
ケレンのない真っ向勝負の正統派冒険宇宙SF。
まだ未来が輝かしく感じられていた頃書かれたSFの懐かしい感じがしました。現代に書かれたものなので、さすがに設定的にあっけらかんと明るい昔の作品とは一線を画し、人類の暗い過去や出会った異星人との確執なども描かれているのですが、全体的にまっすぐなストーリー展開で、文章にもクセがなく、よくできた娯楽小説の心地よさが味わえます。
銀河総合大学の設定やともに学ぶ様々な出身の学生たちなどの雰囲気が、萩尾望都の名作『11人いる!』を思い出させたのも懐かしく感じた原因かも。
ものすごく分厚い本のこしらえにちょっと気圧されましたが、読みやすいのでそれほど分量があるようには感じなかった。ハードカバーじゃなくて、文庫で読みたいお話でした。
光原百合『時計を忘れて森へいこう』(東京創元社.1998.270p.1600円+税)読了。
人間関係を少女の視点で描く、「癒し系」ミステリー。
若杉翠は高校入学と同時に父親の転勤で八ヶ岳の麓の清海に引っ越してきた。校外学習で訪れたシーク協会の森で腕時計を落とし、探すうちに迷ってしまった彼女は、森の中で一本も枝のない木に抱きついている人物と出会う。二十代前半のその男は全身を幸せそうな空気でつつまれているようでふしぎに警戒心を抱かせず、翠はつい話しかけてしまう。協会の自然解説指導員(レンジャー)である彼、深森護の存在に惹かれるように、翠はシーク協会にかかわるようになっていく。
というのが話の前段で、謎解きはこのあと、翠の身近にいる別の登場人物からもたらされてきます。
人の死がからんでいるものの、身近な出来事を丹念につづっているという印象。
謎解きというより、心理カウンセリングの物語といったほうが近いような気がしました。
シーク協会というのは、農村の復興などを目的に設立され、現在は環境教育などに活動範囲を広げている協会。その協会が八ヶ岳の南麓に所有している敷地内の森が、この物語の大きな舞台であり、もうひとりの登場人物。探偵役として存在する深森護は、森の精みたいな存在で、だからこんなに浮世離れしているのでしょうが、森とふたりでひとびとの心に凝った謎をときほぐして、解放してくれる。
それをかたわらで見ている翠は、マイペースののんびりや。だから物語の雰囲気はなんだかほんわりしています。
すべてに角がないので少しの物足りなさも残るのですが、こころのあたたまる後味のよい本だと思います。
今朝も寒かった。月曜日よりはだいぶマシだったけど。
今日は図書館へ返却する本がうすーい文庫本ばかりだったので、行きは非常にらくちんだった。しかし、帰りは「なんでこんなに…」とへこたれそうになるくらい重たい単行本ばかり借りてしまった。いま腕から手にかけてだるくて、とても後悔している。全部読めるかどうかもわからないのに…。
おかげで本屋に寄る気力はナシ。「小説本の初買い」はまたも次回へ持ち越しです。
小関順二『プロ野球 問題だらけの12球団』(草思社.2000.230p.1400円+税)読了。
野球界に人的つながりのない、命がけの「趣味的野球人」である著者が、日本のプロ野球十二球団をドラフトによる選手獲得とその活用法に焦点を当てて検証する。もちろん、プロ野球に興味のある方むけの一冊。
『Number PLUS』誌上で「200年度傑作スポーツノンフィクション ベスト5」単行本部門第四位に選ばれた本。
プロ野球チームはフロントがつくっている、というごく当たり前のことがよくわかる好著です。
個人的に横浜ベイスターズの章には苦笑いをさせられました。ホントにその通りだよなあ。
著者は「ドラフト会議倶楽部」を創設、毎年「模擬ドラフト会議」を開催するドラフト研究の第一人者なのだそう。そういうお話は、新聞のどこかで読んだことがあるなあと思いあたった。
内容はかなり専門的ながら、私のような雰囲気だけ楽しむ人間にもわかりやすく、その主張もなるほどと頷ける常識的なもの。
しかしその常識的なことが実現できないのだから、人間ってやっぱり目先のことで動いているのかなと考えさせられます。
「ドラフト制度があるかぎりチームは強くならない」という「一部球団の主張」を裏切る、黄金時代の西武の存在をもっと見直して、ほんとうにつよく楽しい球団をめざして、球界全体で切磋琢磨していってもらいたいなあと思うものであります。
「少女」という言葉のさす年齢的な範囲の下限は、どれくらいなのでしょう。
本に「三歳くらいの少女」という表現がでてきたのですが、これにひっかかったのでした。
三歳って、少女?
少女という言葉の持つイメージには、ただの低年齢の女の子というだけじゃない広がりがあると思うのだけど。未成熟ながらも女の性は持っているという存在、というような。
で、上限に関しては「たぶん大人と呼ぶにはもうちょっと、というあたりまでくらいかなあ」と考えたこともあるのですが、下限については意識したこともなかったな。
でも現在もうすぐ三歳になろうかという人物が身近にいる身としては、考えてしまったわけです。
三歳児は一般的には幼児と呼ばれることが多いですよね。赤ん坊の延長だけれど、もうはっきりと赤ん坊とは呼べなくて、でもまだまだ幼い存在。
三歳に女性を感じるか。というのがこのひっかかりの原因と思う。
作品中では三歳くらいの存在であっても女である必要があってこう表現されたのだとわかるのです。その存在は真実女でも子供でもなかったのですが。
でも現実社会的にいって、そうかなー?
あんまり三歳児に女を感じてほしくないというのが、私の本音かもしれませんが。
谷瑞恵『摩天楼ドール ハイブリッドハンター』(集英社コバルト文庫.2000.268p.514円+税)読了。近未来青春アクション。シリーズ三作目。『摩天楼ドール フェザークィーン』のつづき。
無法地帯のオムルシティにあって、最低限の秩序とでもいうべき部分を守るために存在していると噂される妖鬼「ドール」。ドールに祈りをかなえてもらうために本土から逃げ出してきた「混成種」の子供ふたりは、後を追ってきた「あいつ」によって追いつめられた。ひとりが犠牲になってもうひとりを逃がす。あとに残った一角獣の子供は自分の身体を捧げることで「ドール」への依頼を果たした。
現在は「ドール」として活動する人々のそばで暮らしているが、「組織」によって殺人兵器として育てられてきたきよらには、子供の頃の記憶がない。そのきよらのもとへ、かつての知り合いらしい男が姿を現す。かれはきよらのとぼしい記憶の中で、唯一あたたかな感情を抱いた人物だった。だが、かれはどうやら「混成種」を追ってオムルにやってきたらしい。かれはきよらの覚えているやさしい人物なのか、それとも「混成種」を利用する非情な「あいつ」なのか。彼女の迷いが、みまもる悠の心に生じさせる不安に、きよらはまだ気づかぬままだった。
あんたたち、よく頭が溶けてしまわないね。
一喝したくなるくらいよく悩む悠ときよらに、ちょっとうっとおしいものを感じてしまった一冊。
ちゃんとストーリーは進行しているし、いろんな局面でさまざまな展開はあるし、それぞれのキャラクターもちゃんと出番が、しかも、役所を心得たシチュエーションでまわってくる。
そのせいか、かなりめまぐるしい印象がのこった本でした。
悠ときよらの絡みよりも読んでて気楽だったのは確か。
それと、主役級の内面描写は深化しているのに、オムルシティの雰囲気は無機質なままなのはいかがなものか。色も臭いも湿度もなくて、なんだかドラマのセットのようだなと感じます。