2001年4月前半のdiary
■2001.4.2 /『ノンセクシュアル』
■2001.4.3 部屋の片づけ/『地の掟 月のまなざし』
■2001.4.4 ダイエット
■2001.4.5 /『黒い塔の花嫁 有閑探偵コラリーとフェリックスの冒険』
■2001.4.6 iMac花柄/『忌みしものの挽歌 封殺鬼シリーズ22』
■2001.4.7 iMacに慣れる/『マリア様がみてる いとしき歳月 前編』
■2001.4.8 投手コーチが入院/『百鬼夜行――陰』
■2001.4.9 /『昏い部屋』
■2001.4.10 記憶がない
■2001.4.11 ATMだって嫌い
■2001.4.12 毎試合/『スカーレット・ウィザード5』
■2001.4.13 バナー
■2001.4.14 /『フィーヴァードリーム 上』
■2001.4.15 スリルとサスペンス
この対G三連戦、つねに被ホームランと隣り合わせの息詰まる(横浜ファンにとっては)三日間でした。しかも、サヨナラホームランで負けるという、ドラマじゃつくりすぎと思われそうな結末を二晩つづけて見た(聴いた)ために、ストレスがたまる一方(^_^;)。
今日も期待しないようにして観ていましたが、途中かならず盛りあげてくれるけなげな選手たちのおかげで、やはり一抹の希望を抱いてしまう哀しいファン心理。
予想に反して、どうしても取れなかった勝ち越し点をついに勝ち取ったとき。よろこびもつかの間、たった一点のリードを守ったまま、九つもアウトを取らなければならなくなった事に気づいて、気が遠くなりました。
初日に抑えに失敗した投手(しかも被本塁打率ナンバーワンとかにも輝いたことのある)の投げる変化球が、いまにも真ん中に入って、そのままスタンドへいってしまうのではと、下手な映画よりもよほど心臓に悪かったそれからの数十分。
なにしろリードは一点。相手は打順なき「超」重量打線。ソロホームランですぐ同点なのです。四球でも出そうものなら、即逆転の危機です。
終わったとき、「勝った!」じゃなくて「逃げ切った、ぐったり〜」と思ってしまうのも、やはりサスペンス映画みたいなのでした。あー、疲れた。借金が一個しか増えなくて、よかったー。
ジョージ・R・R・マーティン(増田まもる訳)『フィーヴァードリーム 上』(創元ノヴェルス.1990.310p.466円+税
George R.R.Martin "FEVRE DREAM",1982)読了。十九世紀のアメリカ南部。ミシシッピ川で運行される蒸気船と、吸血鬼たちの物語。
深夜のホテルに呼び出されたアブナー・マーシュは、そこで奇妙な男ジョシュア・ヨークと出会う。フィーヴァー川汽船会社社長として蒸気船をミシシッピ川で運行してきたアブナーは、川の氷結により船の大半を失い、膨大な借金をかかえて途方に暮れていた。ジョシュアは、会社の株を買いたいと持ちかける。半信半疑のアブナーに、船旅をしたいから、そのために必要な船の建造費も出そうという。管理はすべて委ねるが、そのかわり、自分のすることに口出しをするな、滅多に命令はしないが、したときには必ず従ってもらうともいう。
奇妙な条件だったが、大量の金貨を見せられたアブナーは承諾する。
金に糸目をつけずにつくられた蒸気船は壮麗で豪華なものに仕上がり、フィーヴァードリーム号と名付けられた。
読んでいくうちに「吸血鬼」がらみの話だということが徐々にわかるようになっているのですが、カバーのあらすじに書いてあるからいいですよね。
まず、十九世紀アメリカ南部の吸血鬼ものというと、アン・ライスの『夜明けのヴァンパイア』を思い浮かべてしまうのですが、SF畑出身の作者のせいか、あれほど濃密な雰囲気の世界ではありません。大農園主のダモン・ジュリアンのキャラクターはそれらしいですが、ジョシュアは素朴にすぎるのではと思えるほど、ヒーローっぽいキャラクターだし。
「夜の人々」の歴史と変遷についての話が整然としているのも、SFっぽいかなあという印象。陰々滅々していない吸血鬼ものというのが、新鮮でした。
時代設定のせいか、なかなか物語に入り込めなくて、読むのに非常に時間がかかってしまいましたが、このあとはラクにいきそう。でも、別の本の返却期限が迫っているので、中断しなくちゃだ。
リンクバナーを作成しました。
かかった時間に比例して作品は増えましたが、クオリティも上がるかというとそれは別問題。色数を抑えるか、サイトイメージに合わせるかで試行錯誤を重ねるものの、けっきょくは本人のセンスにすべてがかかっているということを痛感。せっかくつくったので大小10個くらいの試作品から、比較的まともなものを選んでみましたが…疲れた。
ご覧になりたい方は、ご案内の「リンクについて」へどうぞ。
天国から地獄。ようやく出た四番のタイムリーの後のクローザーの被本塁打。不安的中。驚かない自分が、かえって悲しい。
バナー作りに励んでいたせいで、ジョージ・R・R・マーティン『フィーヴァードリーム 上』は、ほとんど進まなかった。もう三日も読んでいるのに。
昨季は見られなかったいろんな選手がみられて、楽しいなあ…(負け惜しみ?)。
茅田砂胡『スカーレット・ウィザード5』(中央公論新社C・NOVELS Fantasia.2001.274p.950円+税)読了。『スカーレット・ウィザード4』のつづき。ハーレクイン・スペースオペラの完結編。
終わるとは思っていなかったんで、ちょっとびっくり。でも、最終巻にふさわしい大がかりな話になっていた。子供を助けるために逆上しているわりには、子供への愛情表現や子供の愛らしさの描写が欠けているかなと言う気はしましたが。
ラストはふいを突かれるほどクラシックなラブストーリーに収束してくれて、予想外にしんみりとしてしまいました。なるほど「ハーレクイン」と強調する意味がようやくわかった。
当初受けとめていたものとかなり違う雰囲気の話になりましたが、これはこれでいいのではないかなあ、と思います。ともあれ、全五巻、楽しく読めました。
図書館に全館ネットワーク接続された検索システムが導入されたころは、タッチパネルでの検索ブースばかりが盛況で、キーボード入力のブースはガラガラだったのに、最近は逆です。
私はタッチパネルが嫌いなので、いつもキーボード入力を利用していたのですが、このところいつ行ってもふさがっている。これもパソコンが普及したという証なのかなあと思うと感慨深いが、あまり嬉しくはありません。キーボード入力ブースはふたつしかないので、いつまでたっても順番がまわってこないのです。
最近の私は、がら空きのタッチパネルブースでイライラしながら画面を指で押さえるようになっている。
- 茅田砂胡『スカーレット・ウィザード 5』(中央公論新社C・NOVELS Fantasia)
- とみなが貴和『EDGE3 〜毒の夏〜』(講談社X文庫ホワイトハート)
を購入。
『EDGE3』は、どうしようか迷っていたんだけど、絶賛しているサイトをふたつも見つけてしまったので、つい。
というより、ものすごく不毛な一日だった…。メモリをリセットする。
ミネット・ウォルターズ(成川裕子訳)『昏い部屋』(東京創元社.1999.386p.2600円+税
Minette Walters "THE DARK ROOM",1995)読了。「一見無関係な様々な断片があつまって、ついにはひとつの大きな絵になる、コラージュのようなミステリー小説」。
ジェイン・キングズリー、通称ジンクスは、六月十三日、廃飛行場で不可解な車の激突による、意識不明の状態で発見された。彼女は奇跡的に助かり、億万長者の父親が送り込んだ病院で意識を取り戻すが、ショックのせいか事故前後の記憶を失っていた。彼女は、結婚を控えていた婚約者レオに裏切られたこと、婚約者は彼女の親友でもあったメグとフランスへ駆け落ちしたことを、あらためて告げられる。そして、世間は彼女が世をはかなんで自殺しようとしたと見なしていることも。
ジンクスは自分の置かれた状況に当惑を覚える。自殺をする理由が、思い当たらないのだ。なぜなら、レオの裏切りを「初めて」聞かされても、彼女はたいした感想を持たなかったのだから。
病院で不安定な精神をかかえながら治療生活を送るジンクスに、警察はフランスに行ったと思われていたレオとメグの他殺死体が発見されたことを告げにきた。かれらがジンクスを疑っていることは明らかだった。
一気読みでございます。分厚いハードカバーを握りしめて(?)読んでいたため、手が本の形にかたまってしまった。イタイ。
はじめのうちは、ジンクスの「自殺未遂」の周囲への波紋が、人間関係のトラブルとなって描かれ、「なんてイヤな奴らばかりなんだー」と登場人物の生臭さにあきれているうちに、つぎからつぎへと明らかになる新事実。つぎからつぎへと開陳される警官たち(脇役だけど個性的)の迷推理。そうそう、本格ものではありません。ミスディレクションを楽しむタイプ(こういう書き方でいいのか?)かと思います。
流行のアダルトチルドレンものかと思わせる過去の事件との関係がうかびあがってきたり、一見無関係な傷害事件が間に入ってきて、これはだれとつながりのある事件なのだ? と迷わせてくれたり。よくもまあ、いろいろな「事実」をこれだけバラバラに埋め込んだものだと、本当に感心いたしました。
誰が犯人なのか、どういう事件が起きたのか、いろいろと考えながら読むのですが、ヒロインが記憶を失っているせいで、登場人物すべてが疑わしい。みんな胡散臭すぎる。ヒロイン自身も自分を信用していないので、読み手はだれを基準にしたらいいのかわからない。わからないので新たな情報を求めてつぎつぎとページを繰ってしまう。そして小出しに提供されてきた断片が、ようやくひとつの事実をつくりあげるにいたったとき…。そうだったんですか。ぜんぜんわからなかった。いや、ミステリーで犯人をあてた事なんて滅多にないんだけど、雰囲気すらも嗅ぎ分けられなかったとは。
興味深かったのが、ジンクスの父親のアダム・キングズリーについての描写。さんざん悪評を読まされつづけ、好奇心を刺激されつづけるのに、本人はなかなかご登場なさらない。なさらないので余計に気になる存在でした。読み手を惹きつけるテクニックなのでしょうねー、これも。
こういう「人間の恥部」をあからさまに描くミステリを読むと、嫌な気分になることがありますが、ミネット・ウォルターズは、辛辣な描写にも関わらず読後感がいいのが不思議。
とにかく、おもしろかった。ミステリはおもしろいか、おもしろくないか。好きか嫌いかの基準しか持たない私にとっては、最大級におもしろかった。解説には「二度読むと、なお、おもしろい」と書いてありますが、たしかにそういう話かもしれない。でも、私にはそんな体力ないよー。
という記事の見出しに、一瞬頭をよぎったのは「胃潰瘍?」。ふがいない投手陣をみているうちに胃を痛めてしまったのか…と、同情したところ、つづきを読んでみたら「背中にボールが当たって脾臓から出血」。硬球は凶器だ。遠藤コーチの早期の回復をお祈りいたします。ところで、脾臓って何するところ?
京極夏彦『百鬼夜行――陰』(講談社ノベルス.1999.374p.980円+税)読了。「日常」の乱れるとき、人が直面する「闇」を描く、怪異譚集。
妖怪の名を冠した短編を十編収録。それぞれの話の最後にいつの出来事であるかが記されていて、「京極堂」シリーズの番外編としても読むことができます。私がはっきりと認識できたのは、二作目の「文車妖妃」だけでしたが…(苦笑)。
なにげなく暮らしている日々にも「怖い」と感じることはままあるものです。だいたいすぐに原因が分かったり、忘れてしまったりすることなのですが、そういった些細な恐怖の感覚が甦りました。饒舌なようでいて、すべてを説明しない文章も、雰囲気ありありです。
それぞれの登場人物を忘れているおかげで、先入観なく読み進めることができましたが、最後の作家だけはいただけません。本人の罪じゃないけど、うっとおしいことこのうえない。どうせなら作家じゃなくて、拝み屋か探偵が出てきてほしかったです。
昨日は付属のゲームBUGDOMをしていたら、いつのまにか時間が過ぎてしまったのを反省。
きょうは、しばらく触っていなかったマウスに慣れるのと、iMac自体に慣れるため、コントロールパネル関係の設定とか、ファイルのラベルつけとか、初めてのアプリケーション(Apple WorksとかiTuneとか)を少々いじってみたりした。先日、Winユーザーの友人に、Macのマウスはボタンがひとつしかないことを大げさに驚かれたのですが、付属のApple Pro Mouseは、ボタンがひとつもありません。ふふふ。(マウス全体がボタンになってるだけだよ)
野望の実現に向かっては、とりあえず、EthernetのクロスケーブルでPowerBookと繋いで、画像ファイルの移動をしてみた。といっても、なかなかファイル共有の仕方がわからなくて(ホントは一度別のMacと繋いだことがあるんで、忘れててのほうが正しい)、かなり時間がかかってしまいましたが。おまけに、ハードディスク空回りの余波か、いくつかのファイルが読み出し不能に陥っていたことが発覚。うーむ。
今野緒雪『マリア様がみてる いとしき歳月 前編』(集英社コバルト文庫.2001.218p.438円+税)読了。純粋培養のお嬢様学校を舞台にした、連作シリーズの七冊目。『マリア様がみてる ウァレンティーヌスの贈り物 後編』のつづき。
副題「いとしき歳月」から想像されるように、今回は間近に迫った薔薇さまたちの「卒業」がテーマ。とはいえ、学校行事における二大イベントのひとつを迎えるにあたり、生徒会でもある山百合会の面々はお別れを惜しんでしくしくめそめそばかりもしていられない。準備に忙殺されるつぼみたちをフォローしなければならない立場のつぼみの妹たちも、それなりに忙しい日々を送っている。
その祐巳の手にとんでもない写真が手渡された。映っているのは黄薔薇さま(ロサ・フェティダ)こと鳥居江利子と、年上男性のツーショット。しかも、ごていねいにすべて相手が違っている。いったい、卒業間際のこの時期にロサ・フェティダはなにをしているのか?
黄薔薇さまの援助交際疑惑をえがく「黄薔薇まっしぐら」。
『三年生を送る会』の準備に邁進しているうちに、山百合会は身内でおこなう「薔薇さま方のお別れ会」のことを失念していた。
連絡係を仰せつかった裕巳は、電話をした白薔薇さまから「笑いをとれる隠し芸を用意しておくように」と吹き込まれる。疑いながらも一年生三人は「笑いをとれる芸」の準備をはじめるが…
せわしない日常のさりげない心の交流を描く「いと忙し日日」。
黄薔薇さまの恋のはじまりについての短い話「一寸一服」。
の短編三話収録。
この本のメインは「黄薔薇まっしぐら」だと思うけど、「いと忙し日日」のラストシーンは笑えた。肩の凝らない、ほのぼの少女小説、といった趣の一冊でした。
がやってきました。グラファイトにしたかったんだけど、どうやら品切れ。でも、今を逃したら買えなくなるかも知れないと思って、清水の舞台から飛び降りました。今回はApple Storeではなく、ショップで購入。価格の三パーセントで五年間保証という契約も結んできた。
魅力はCD-RWドライブとiMovie2。
私の野望は
- 撮りためた写真をCDに焼いて、(Power Bookの)ハードディスクをすっきりさせる。
- 撮りためたビデオをなんとか退屈しないで見られるものにする。
- 数年間封印していたお絵かきをしてみる。
- 自室でインターネットしてみたい。
の四つ。
根性があればすべて実現することも不可能ではないと思われます。が、かなり時間はかかりそう。
とりあえず、梱包をといて、箱の中にあった発泡スチロールのでかさに驚嘆。こんなにかさばるもの、どうやって保存すればいいんだ…。でも、故障した時にないと困るしなあ…
霜島ケイ『忌みしものの挽歌 封殺鬼シリーズ22』(小学館キャンバス文庫.2001.234p.514円+税)読了。『昏き神々の宴 封殺鬼シリーズ21』のつづき。
「中央」の術者を殺害してしまった聖。放心状態の相棒を連れた弓生は、高良から与えられた鍵と情報をたよって多摩丘陵のあるところまでたどり着いた。「立入禁止」とされたその建物は公共施設のようにさえ見えたが、人の気配は何もない。数日後に訪れた高良はかれ自身の素性と、ふたりを匿うことにした理由をあきらかにする。
とてもシビアな展開になっている物語のなかで、一番深刻に落ち込んでもおかしくない聖の、状況に順応する素早さと前向きな姿勢には、ほんとにあきれてしまいます。これだけ長く生きているんだから、そりゃ、臨機応変でないとやっていけないとは思いますが。読んでて楽しいから、いいけど。
フィクションは楽しめばいいので、これはあくまで個人的な感想ですけど、何百年も生き続けてきた存在のメンタリティーというのは、本当はどうなるのかなあ、という疑問はあります。
たとえば、生まれた年が五年くらい違うだけでもう世代間の意識の差みたいなものはあるわけです。それが何百年分も積み重なったら、ふつうの人間なら、意志の疎通も難しいんじゃないかと思ったりします。おなじ言葉でもその意味するところは時代とともに確実に変化していくし。でも、人間はそんなに生きないので現実問題にはなりません。
だから、フィクションでしか成立しない疑問ではあるのですが、話の通じない人間が主人公では読む方は感情移入できないし、書く方だってかなり困難なことになるだろうし、そんなの誰が読むのさということになりそう。
まあ、小説というのは、時代を大昔にとったところで今の人間が投影されていないと、おもしろくはないんだろうし…。ということで何か言いたいわけではなく、ただのふとした疑問。
橘香いくの『黒い塔の花嫁 有閑探偵コラリーとフェリックスの冒険』(集英社コバルト文庫.2001.330p.571円+税)読了。『楡屋敷の怪人』のつづき。異世界冒険コメディーシリーズの十一作目。
叔母の見舞いを済ませたコラリーとフェリックスは、サロワへと急いでいた。サロワ城にはレヴィ・ストローク侯爵令嬢リゼットと国王秘書官のマイエが滞在している。コラリーはこのふたりの仲を進展させるべく、実家から身を隠す必要のあるリゼットを王家所有のサロワ城に匿ったのだ。
コラリーとフェリックスの帰りが遅れるにつれ、退屈しのぎに勝手な外歩きをはじめたリゼットを、心配からとめようとするマイエ。しかし、うち明けた思いに正直に応えてくれないマイエのいうことをリゼットは聞こうとしない。心配ならば一緒に行ってほしいというリゼットの頼みを、マイエはやはり受けることができない。リゼットはひとりで出かけて行くが、最後に黒い塔で姿を見られたきり、彼女の行方は杳として知れなくなってしまう。街でささやかれはじめたのは、「黒衣の伯爵夫人の呪い」の噂だった。
このシリーズって、一話完結だとばかり思っていたんだけど、れっきとした続き物だったんだー。
だって、リゼットとマイエさんのことを思い出さなければならなかったから。あと、リゼットの身の上話とか。いままでこのシリーズはそういうコトがあまりなくて、気楽に読めたのに…。
と、自分の記憶力の弱さを愚痴っても仕方ないんだけれど、それくらいこのシリーズは障壁を感じないで馴染んでいたのでした。買ってすぐ疲れたあたまで無防備に読み始められるくらいに。
大作とか傑作とか秀作とか佳作とかの範疇にはまったく入らないんですが、私がこの作品に感じているのは、読んでいるときの「楽しさ」「ストレス感じなさ」でポイントが高いということ。気分よく読めるコメディーまんがみたいな感じとでもいいますか。
そんなわけで、今回もコラリーとフェリックスの会話には、笑わせてもらいました。それ以外書くことがあんまり…。いや、アニエスさんって、しぶといですね
図書館へ行ったら、おもたーい本が到着していて、さらに予約はしないで待っていたハードカバーが戻ってきていて、帰りの荷物が重かった。最近、薄い文庫本の予約したのがなかなか到着しません。春休みだから?
繁華街へ出て、
- 霜島ケイ『忌みしものの挽歌 封殺鬼シリーズ22』(小学館キャンバス文庫)
- 谷瑞恵『魔女の結婚』(集英社コバルト文庫)
- 橘香いくの『黒い塔の花嫁 有閑探偵コラリーとフェリックスの冒険』(集英社コバルト文庫)
を購入。
ところで、にわかに「本を増やしたくない」意識が上昇中です。
一昨年から繁華街に楽に出られるようになったせいで、気の向くままに本を増やしていたのを反省しています。とにかく、勢いで買うのはやめようと「いまは」思っている。いつまでつづくかは、不明。
しかし、そうと決めるとあちこちに気になる本がみつかるんですね。たつみや章の『地の掟 月のまなざし』の続編が出ていたり。いや、これは絶対に図書館で借りるつもりだけど。そうすると読めるのは半年後くらいかなあ。
あと、松井千尋の新刊。このひとのデビュー作『犬が来ました〜ウェルカム・ミスター・エカリタン〜』がけっこう楽しめたので、いつもなら買ってるんだけど…。うーんうーん。
を少しばかりやった(マリナーズの開幕戦をときどき見ながら)。
今回は長らくひきずってきた大学時代のノートをすべて捨て去ることにした。いままでほとんど開いていないのにどうしていつまでも持っていたのか。やはり、自分が人並みのことをしていたと思える最後の時代をとっておきたかったからかなあ…なんてね。
講義のノートやルーズリーフ、補助教材のプリントなど、総量は相当なものになりました。なかから成人式の次の日にうけた試験の答案などが出てきてぎょっとしたり。「マラズギルドの戦いについて述べよ」とか。それって「アルスラーン戦記」の話かなあと思ってみたり(バカ)。
たしかに自分が書いたものなのに、ぜんっぜん覚えていない。ふしぎな感覚でしたが、高い授業料の結果がこれかと思うとかなりもったいなかったなーといまにして感じる。
少しばかりの片づけでは、やはり少しばかりしかきれいにならない。ということもよくわかった。でも、けっこう疲れた。
たつみや章『地の掟 月のまなざし』(講談社.2000.374p.1700円+税)読了。児童文学ファンタジー。『月神の統べる森で』の続編。
月の巫者クシイルケの不幸な死の後。
例年よりも早く降り始めた雪の中を、ポイシュマとワカヒコはそれぞれの所属するべき場所をめざして歩いた。
ヒメカの治めるクニにようやくたどり着いたワカヒコは、ムラの民を野人、クシイルケを魔物と主張するヒメカに反論し、魔物にとりつかれたとして取り抑えられて牢に入れられる。
一方、アテルイの導きによりムラに入ったポイシュマも、クシイルケの死の真相を疑うものたちから疑惑の目をむけられるようになる。諍いの種になることを畏れたポイシュマは、ひとりひそかにムラを出ようとするが…。
前の巻は一冊でも読める、独立した話であったのに対し、この巻ははっきりシリーズの二巻目として成立しています。いちおう、文中にいままでのいきさつに触れてあるけれど、ちゃんと前の巻を読んでいた方がストーリーの理解度も高まると思う。そして、ここに描かれたエピソードはこれから始まる物語の助走という感じで、シリーズはまだまだつづくぞーとおもいきり主張しているようです。とすると、『月神…』は遠大な物語のプロローグだったのでしょうか。
今回はムラの人々、クニの人々の生活がよりくわしく描写されていて、神話的だった雰囲気が英雄伝説的になってきたなーと感じました。登場人物も増えて、それぞれに個性があり、世界が豊かになってきた。
物語の展開は定番だし、けっこう安易に進んでいるようなのですが、児童文学のきまじめさを感じる描き方のせいか、雰囲気がおごそかなのがティーンズものとちがうところでしょうか。
森奈津子『ノンセクシュアル』(ハルキ・ホラー文庫.2001.342p.720円+税)読了。「傑作ルナティックホラー」小説。
バイセクシュアルの小説家詠子は、徹と秀美というふたりの恋人がいることを、徹にプロポーズされたことがきっかけでバレてしまい、けっきょくふたりともにふられてしまう。
さすがに落ち込んだ日々を送っていた詠子の前に、徹があらわれる。ふたりの会話は口論となり、暴力沙汰となりかかったところを、通りかかった絵里花に救われる。詠子は絵里花のあまりの美しさに目を奪われてしまう。絵里花も詠子に好意を持ったようだった。しだいに親しくなっていくふたりだったが、絵里花の美しさの影に隠された本性に気づきはじめたとき、詠子はすでに絵里花から逃れられなくなっていた。
「ルナティックホラー」なるものがどういうものなのか、私にはよくわからないんですが、イメージ的には、世紀末の退廃を漂わせたゴージャスな感じがするもののような気がします。あ、もう世紀末ではないんでしたね。「ルナティック」というのは、おそらく異常な精神を意味するんだろうとは思うけど、「サイコホラー」と区別して使うからには、そこにはべつのふくみもあるはずだし。
けれどこの本は、もっとざっくばらんで庶民的な感じのするホラー小説でした。たぶん、ヒロイン詠子の性格のせいだと思うけど。「誤って自分の腹を貝で叩いて事故死するラッコはいないのか」とか、思わず吹き出すような、でも、そういえばそうかも…と納得するような、珍妙な思考過程が脱力感を誘って、ホラーにしては緊迫感があんまりないのです。
でも、そのせいでかえって日常的な恐怖というのは、こういうものかもしれない、と感じました。美しい絵里花さんの「できあがるまで」というのが、はじめのうち詠子の小説を挿入しているのかと思ったくらいに見事に非現実じみていて(絵里花のフィルターを通した話だからかもしれないが)、詠子の怠惰な性格と生活のリアリティーとの対比がおもしろかったです。
あと、詠子の友人で「人畜無害な変人」秋野夕子のキャラクターが読んでて楽しかった。
きのう、「毎日本屋に通っている」友人に『獣王星』の五巻はまだ出ていないよと指摘され、白泉社のサイトをみてみたら、本当にまだ出ていなかった。では、私は何を見ていたのでしょう…? あれは夢? それともまぼろし? たんに視力が落ちているだけという噂が…。
ようやくprofileの読書遍歴に「小学校編」を追加しました…。しましたけど、自分の成長の遅さを暴露しているようで、ちょっとはずかしい。本の題名もあんまりでてこないし。
森ベイスターズに初日が出ましたね。九回、斎藤隆の名前をアナウンスされたときはドキドキだった(^_^;)。
高野史緒『ウィーン薔薇の騎士物語4 奏楽の妖精』(中央公論新社C・NOVELS Fantasia.2001.226p.900円+税)読了。世紀末のウィーンを中心にしたヨーロッパを舞台に音楽とともに繰り広げられる、えーと、なんと表現すればいいのかよくわからない、陰謀あり、恋あり、青春ありの物語。『ウィーン薔薇の騎士物語3 虚王の歌劇』のつづき。
夏のはじめ。
ベルンシュタイン公爵に気に入られた薔薇の騎士四重奏団は、公爵よりそれぞれの楽器を賜ることになった。公爵の遣いが楽団まで届けてくれた楽器の中に、だが、フランツが使うはずのヴァイオリンはなかった。かれのための楽器は、調整に時間がかかっているのだという。そして公爵はフランツに、楽器を受け取りがてら、夏の居城エーデルベルク城に滞在しないかと誘ってきた。
フランツ君がようやく一人前の演奏者としての自分について考え始め、大人への道を歩み出す…といったおもむきのあるこの巻。
話自体は、演奏者を選ぶ幻のヴァイオリン〈シレーヌ〉と、ごつい体つきに繊細でたよりなげな雰囲気がアンバランスな記憶喪失の少年シュテファンをめぐる謎を中心に進んでいきます。
殺人事件がひとつ、殴打事件がひとつ、殺人未遂がひとつと、かなりミステリー色の濃いストーリー展開。うらには近隣の小国ボーヴァル王国の存在がちらりちらりと見え隠れしています。アレクシスが出かけたボーヴァルの図書館って、あの図書館のことでしょうか。
トビアスがルドルフに送った手紙の文章には、びっくりしました。こんなところでインターネット文体を見ようとは…。でも、テクノロジーを前倒しした歴史改変小説が身上の作者なのだから、驚くには当たらないのでしょうね。巻を重ねるごとに肩の力が抜けていっているような気がします。
クリスタのキャラクターにも(セリフにも)だいぶ馴染んできました。エゴンくんの「サイコ系」というのは、「超能力者」という意味だったのかといまごろ納得。
気軽に読めるような雰囲気にはなってきましたが、地の文と会話文とがあまりに異なるために話全体の統一感を損ねているようです。はじまりとくらべると落ち着いてきたので、慣れ、なんでしょうかね。